勉強は、結局は独学しかない(3)本と出会う習慣
この記事は、「大人の勉強は、結局は独学」ということを基本にすえた、独学術や勉強法の基本を述べています。
私は、普通のサラリーマンでしたが、読書を通じた独学の成果として、世界史の入門書(『一気に流れがわかる世界史』PHP文庫)を出版したりしています。
この記事は全5回のシリーズです。第1回は勉強を始めるにあたり「何かを選ぶ」ことの重要性について。そして、「何かを選ぶ」とは「これだという先生・著者を選ぶこと」であると述べています。
第2回は、「独学」において最も重要な手段である、読書の基本について。「本は拾い読みでいい」「読んでもわからないのは、書いた人のせいかも」「机に向かっていては、読めない」といった、大事なコツ・視点を述べています。
今回は第3回。本と出合うための習慣・方法について。そこには本の買い方も含まれます。読書の基本は、読み方だけではないのです(サムネイルの写真は、私の「団地の書斎」)。
まず本屋さんへ行って、本を手に取ってみよう
「本を読みたいのですが、何か面白い本はありませんか?」と聞かれることがあります。でも、そういう質問は答えにくいのです。「こういうことを知りたいが、いい本はないか」というのなら、答えようがあるのですが……
ただばくぜんと「何かいい本はないか」という人には、とにかく「近所の本屋さんへ行って、本を手に取ってみること」をおすすめします。
読書の最初のステップは、「本屋さんへ行くこと」です。
本屋さんに行ったら、まずうろうろしてください。普段のぞいたことのないようなコーナーにも行ってみてください。「へえ、こんな本もあるのか」という発見があるでしょう。
本屋さんのいいところは、洋服屋さんとちがって「いらっしゃいませ、今日は何をおさがしですか?」などと声をかけられないことです。だから、安心してうろうろできます。
読書の第2のステップは、「本を手に取ること」です。うろうろしてみて、ちょっとでも興味の持てそうな本が目にとまったら、すぐに手に取ってみましょう。ここでは、「何も考えずに気軽に手に取る」ことが大事です。
ビジネスの本をさがしていて、ふと料理の本が目にとまったとします。そのとき、「今さがしているのはこれじゃないから、あとで」などと考えてはいけません。すぐに、その本を手に取ることです。どんどん手に取って、パラパラめくってみる。つまらなかったら、棚に戻せばいい。
以前私が勤めていた会社の近所には、かなり大きな本屋さんがあって、昼休みによく行きました。「うろうろする」時間は、30分ほどでしょうか。その間に、10冊くらいの本を手に取っています。
本屋さんに全然行かない日というのはあまりないので、そうやって年間に「何千冊」という本と出会えるわけです。10冊手に取ると、1冊くらいは「買ってもいいかな」と思える本があります。
まず、一週間に30分ほど「本屋さんをうろうろする」ということを、してみてはどうでしょうか?
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なお、「本屋さんのどこをうろうろしたらいいかわからない」という人には、とりあえず、岩波新書、中公新書、講談社現代新書などの新書の並んでいる棚をみることをおすすめします。
新書は、いろんなジャンルについて、実績のある著者・専門家が一般向けに書いた、コンパクトな本のシリーズです。読書の世界のエッセンスが詰まった媒体ともいえます(詳しくは第2回で述べました)。
そして、「生活圏に本屋さんがない」という方も、最近は多いかもしれません。その場合は、アマゾンなどのネット書店を「うろうろ」することです。
まず、あなたが一定の興味を持つ(あるいは買ったことのある)、ある1冊についてのページを起点とします。そこには「あなたにおすすめ」「この本を買った人はこれも買っている」などの関連のある本が示されているので、そこをクリックして、本の紹介やレビューをみたり、可能なら試し読みをするわけです。それを何回もくりかえすのです。
あるいは、おなじ著者の別の本を検索するというのも、大事なことです。また、興味のあるキーワードでネット書店内を検索し、「これは」という本があればクリックする、というやり方もあります。
このように「ネット書店をうろうろする」ことも、リアルの書店ほどの充実感はありませんが、一定の代わりにはなります。
近所の図書館は、数百万冊の蔵書とつながっている
あなたの家や職場の近所に、公共図書館はありませんか? 私は東京の多摩地区に住んでいますが、歩いて5分ほどのところにまずまずの規模の市立図書館があり、よく利用しています。
若いときに住んでいたアパートの近所にも、市立図書館の小さな分館がありました。ここにはたいした蔵書はなく、読みたいと思う本が本棚にみつかることは、そんなにありませんでした。
それでも、ときどき私はその図書館に足を運んでいました。それは、この小さな図書館が、何百万冊もの巨大な蔵書にアクセスする窓口であるからです。
著者やタイトルがわかっていれば、コンピュータの検索システムでその本をさがすことができます。館内になければ、市内のほかの図書館にないか。市内全体で何十万冊という蔵書があります。本があれば、私の住む市では2~3日で取り寄せてくれます。
市内の図書館になければ、窓口に相談してみましょう。隣接するほかの市の図書館や、港区にある都立中央図書館(あるいは国分寺にある都立多摩図書館)をさがしてくれます。都立中央図書館は、蔵書229万冊の大図書館です(2025年3月現在の図書数)。
日本最大の図書館である国会図書館の蔵書(図書)は1230万冊ありますが(2023年度)、これは飛び抜けています。都立中央図書館は、それに次ぐクラスの図書館なのです。そこから最寄りの図書館に本を取り寄せて、貸し出してくれます。私の住む市ではこれに1~2週間かかります。
国会図書館では、原則として館外貸し出しはしていません。都立中央図書館でも、個人への館外貸し出しはしないのですが、市立図書館の窓口を通してなら、自分の部屋に持ち帰って読むことができるのです。なお、私は利用経験がありませんが、国会図書館は、近年はデジタル化された絶版本や資料(国立国会図書館デジタルコレクション)のネットによる閲覧サービスも行っています。
取り寄せに1週間かかっても、それだけの値打ちはあります。この方法で借りてきた本の中には、古書店でも見つかりにくい貴重なものもあるのです。
また、さがしている本がまだ書店で売られている新しい本であれば、リクエストして図書館に買ってもらう、という方法もあります(本によっては、できない場合もあります)。
こんな便利な窓口が、都市部であれば歩いて行ける範囲に、ひとつやふたつはあるのです。そうなったのはこの20~30年ほどの(1990年代後半以降の)、比較的最近になってからのことです。本を買うお金が足りなくても、勉強できる時代になったのです。
本は買おう。でも図書館も使おう
図書館は、お金が足りない人の読書を支えてくれます。でも、本はできるかぎり買うことをおすすめします。
あたり前のことですが、図書館の本は返さないといけません。返してしまえば、あとでふと思いついたときに、手に取ることはできなくなります。これは、読書の初心者が思う以上に大きなデメリットなのです。
何かを考えたり、書いたりしているとき、「あの本にこういうことが書いてあった」というのを読み返したくなることがあります。具体的な知識を確認したいときもありますが、何となく思い出して「もう一度読みたい」ということも多いです。前に読んだときには重要と思えなかったような本でも、そういうことがあります。
あるいは、自分の本棚に並んでいる1冊がふと目にとまって、手に取ることがあります。そして、ふと開いたページを読んでいると、新たな発見があったりします。ときには、「今自分が求めていたのは、これだ!」などということもあるのです。
こういうことは、読書の大事な楽しみです。このように「ふと読み返す」ことをくり返していくうちに、読書を通じての自分の世界ができていくのです。
でも、図書館に返してしまった本は、ふと読みかえすことができません。だから、お金が許すなら、本は買うべきです。そして、自分の蔵書として蓄積していくのです。
蔵書の蓄積とは、「ふと読み返して、何かを発見する可能性」を蓄積することなのです。
「本は買うべきだ」という読書論に初めて触れたのは、大学生のときでした。板倉聖宣さんが述べていたほか、英語学者・評論家の渡部昇一さんが『知的生活の方法』(講談社現代新書、1976)という本で強調していました。最初は「そんなものかなあ」という感じでしたが、あとで大事なことだとわかってきました。
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しかし、多くの人にとって、本代に使えるお金には限りがあります。だから、その限界を補う手段として図書館を使おう、ということです。
つまり、本屋さんをぶらぶらしたり、読書したりする中で「気になる」「読んでみたい」と思った本を全部買うわけにはいきません。買う本は選ぶ必要があります。それを見出すための、「本との出会いの場」のひとつとして図書館を使うのです。
たとえば、気になる本があるけどかなり高価で、その中身がどうだかわからない、ということがあります。それには、タイトルや紹介だけで現物を見ていないときもあれば、本屋でちょっと立ち読みしたけど、それでは判断がつかないというときもあります。そういう本を図書館で借りれば、家に持ち帰ってじっくり検討できます。
すると、「あまりよくない」ということもあれば、「いい本だ、欲しい」と思うこともある。後者であれば、フトコロ具合が許すときに買います。「一度読んだ本を買うの?」と思うかもしれません。しかし、「借りて読んだ本で、いいのがあったら買う」というのが大事なのです。
世の中には、「図書館はあまり使わない」という読書家も少なくありません。前に述べた「蔵書の蓄積」の重要性ということがあるからです。私も「本は買うべきだ」ということに異論はありません。しかし場面によっては、図書館を使っていけばいいと思います。
図書館を使うことで、本と出会う機会が増えます。今述べた「気になる未知の本」の中身をじっくり確かめるのに使える、ということもあります。それから、図書館をぶらぶらして、ふと目にとまった本を手にとってみる、ということも重要です。
図書館に並んでいる本は、新刊書店とは傾向がちがいます。「最新」よりちょっと古く、いろんなものを分け隔てなく並べるランダムな感じ――それが図書館の蔵書の特徴です。
だから図書館では、「少し前に出たいい本で、見逃していた」というものを発見することがあります。大書店でもあまりみかけないような専門書で、「これは」という本をみつけることもあります。「こんな本があったのか」というようなマニアックな本が、ベストセラーのすぐ横に並んでいたりもします。
図書館の本はタダで貸してくれるので、ちょっと気になったら、気軽に持ち帰って読むことができます。そして、そうやってみつけた本を「欲しい」と思ったら、本屋さんに注文して買うこともできるのです。
本は買いましょう。でも、図書館を使わないのはもったいないです。図書館を使うことで、あなたが本と出会う機会はぐっと広がるのです。
少し入りにくいけど、古書店に行こう
古本屋さんて、入りにくいですよね。とくに、神保町(東京の有名な古書店街)あたりの立派なお店だと、緊張します。気むずかしそうなご主人ににらまれているような気になります。
でも少しがんばって、そういう場所に慣れておくと、世界が広くなります。新刊書店の世界は、本の世界の一部にすぎません。古書店に足を踏み入れなくては、深い勉強はできません。
古書店には大きくふたつあります。ひとつは、特定の分野を決めずに全般的に本を並べている店。もうひとつは、専門店です。日本文学とか歴史とか美術といった特定分野の本だけを扱っている店です。
勉強のためにとくに重要なのは、この専門店のほうです。「新刊書店のお客さんよりもよく勉強している人のための本」が並んでいます。いろんな専門店があります。岩波書店の本だけを専門にしている店とか、社史や統計書の専門店なんていうのもあります。
神保町には、そういうさまざまな古書店が並んでいます。東京で古書店が集まる街というと、ほかに本郷や早稲田などもありますが、最も大きいのが神保町です(さらに、神保町には大きな新刊書店がいくつも集まっています)。
いくつもの古書店に入っていうちに、「自分の関心に合う本があるのは、この店のこの棚のあたり」というのがわかってきます。そうしたら、定期的にその棚に通いましょう。
もちろん、神保町が遠い人も多いと思います。そういう人は、生活圏内に自分に合う古書店がないか、さがしてみましょう。その一方で、できれば神保町などの東京の古書店街にも行ってみるといいと思います。
古書店の棚に並んでいる本は、入れ替わっていきます。その棚を、あなたが読んだり手に入れたりしておかなくてはいけない本が通り過ぎていきます。古書店の中で「これ」という場所を決めて、「定点観測」を続けるのです。そのうち、古書店に入ってもそんなにドキドキしなくなるでしょう。
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それから、郊外の街道沿いなどにある大きな古書店にも、ときどき通いましょう。これは、「古書店」というより「本のリサイクルショップ」といった感じです。神保町のように「深く」本が集められているわけではありませんが、何十万冊という本が並んでいます。こっちは、うんと気楽に入れます。
私は、そういう店で最近出た本を安く買うことがあります。ごく最近の本は半額くらいですが、少し前の文庫や新書が一冊100円、200円で売られていたりします。その中にも面白い本、すぐれた本をいろいろみつけることができます。こういう特売本は、昔ながらの古書店でも、店先のワゴンなどに並んでいます。
お金がない本好きの味方は、図書館だけではありません。古本屋さんも、力強い味方なのです。
それに、こういう「本のリサイクルショップ」でも、結構な掘り出しものがあるのです。こういう店で1000円の歴史書を買いましたが、神保町の専門店で同じ本が5000円で売られていました。また、専門店では何千円で売られている絶版の古い文庫や新書が、うんと安く売られていることもあって、うれしくなります。
近所に「本のリサイクルショップ」があれば、ぜひ活用しましょう。
たまには、ちょっと高価な本を買ってみる
たまには、少し高価な本を買ってみるといいと思います。高価な本をていねいに読むと、「具体的なデータをもとに、自分なりに考える」ことの練習ができます。
「高価な本」といっても、一部のマニアが集めるような、何十万円もするものではありません。5000~6000円とか、せいぜい1~2万円のものです。
これに対して「安い本」があります。文庫や新書、それと2000円くらいまでの単行本です。本に使えるお金が月に一万円あったら、千円の本を十冊買うようなことをしてはもったいないです。そういう「安い本」は3~4冊にしておいて、残りは「高価な本」を1冊買うのに使いましょう。
「本の値打ちは値段では決まらない」ということは、よく言われます。確かに、高くてもいい本とはかぎらないし、安くてもすばらしい本があります。でも、「高価な本」でないと得られないものもあるのです。
「高価な本」というのは、詳細なデータや情報、説明が入っていてかさばるから、高くなるのです。また、専門的で細かな情報を求める人の数はかぎられているので、多少値段を高くしないと採算がとれないということもあります。
盛り込まれる細かな情報量のちがいが、「高価な本」と「安い本」のちがいです。書いてある結論・主張が高級であったり低級であったりということではありません。
「安い本」は、結論に力点が置かれていて、データや(結論に至るまでの)説明が簡略化されています。一般にはそれで十分だし、そのほうが読みやすいのです。
でも、他人の結論や主張だけを読んでいたのでは、考える練習にはなりません。「考える」というのは、他人が調べたことでもいいから、いろんなデータをもとに自分なりの結論を導き出すということです。
それには、「高価な本」を読んで、たくさんのデータやそれに基づく説明にあたる必要があります。高いレベルをめざすなら、「高価な本」にも手を出さなくてはいけません。
「いつか読むかも」という本は買っておく。お金が許すのなら
ふつうの、教養や楽しみのための読書だったら、「これから読もう」と思う本を買います。でも、もっと深い勉強や、文章を発表するなどのアウトプットを志す場合は、ちがいます。買うのは、「これから読もう」という本だけではありません。「今は読まないけど、いつか読むかもしれない」という本も買うのです。
私が尊敬する板倉聖宣さんという学者は、「研究テーマに関する本は全部集める」というやり方をします。
板倉さんは、いつも複数の関心やテーマを持っていますが、そのときどきで集中できるのは、ひとつのテーマに絞られます。あるとき、「A」というテーマで研究していたとします。そのとき、「いつか取り組みたい」「面白そうだ」と思っている「B」や「C」に関する本をみつけたら、買っておきます。すぐに読むのではなく、ただ買っておく。
それを積み重ねると、「A」に取り組んでいる間に「B」や「C」に関する情報も、相当集まっています。やがて、「B」に集中するときがきます。そのときには、「B」についての資料は大部分集まっていて、「あとはこれとこれを集めれば全部」というふうになっています。そこで、「あとの足りないもの」を短期間で集中的にさがして集めます。
そんな達人の域には、なかなか行けません。でも、私たちだって、それなりの真似をしたらどうでしょうか。「今読むわけではないけど」という本も買ってみるのです。
そんなふうに買った本を、数年後に初めてきちんと読んで、実にいい本だったことがあります。本はすぐに品切れ・絶版になってしまいます。古書を探しても、すぐにはみつからないことも結構あります。あのとき買っておいてよかった、と思います。
(第4回へ続く)
第4回は「書くこと」について。文章を書くことは、最強の勉強法です。書くことで、読むだけよりも、はるかに考える力がつくのです。
