古代オリエント文明の歴史には「すべてのパターン」が詰まっている【加速と減速の世界史6】
文・秋田総一郎(世界史研究家、著書『一気に流れがわかる世界史』PHP文庫発売中)
世界史の最初の3000年
この記事では、ここでテーマとしている「加速(急速な進歩)→減速・定常状態」という世界史の大きな動きの先行事例について述べます。何千年も前の、遠い昔の事例です。一連の記事の第6回ですが、初めて読む方も大丈夫なように書いています。
その「先行事例」とは、西アジア(中東あるいはアラブ地域に近い範囲)の古代文明の歴史です。つまり、紀元前4000年頃から紀元前1000年頃までの3000年間に西アジアで展開した文明社会の歩み。

概ね「西アジア」の主要範囲
地図は拙著『一気に流れがわかる世界史』より
西アジアの古代文明については、「古代オリエント文明」という呼び方もあります。つまり、この記事は大まかに「古代オリエント文明全史」を述べたものです。
世界史上初の、相当な規模を伴った本格的な文明社会は、紀元前4000年頃~紀元前3000年頃の西アジアで成立しました。それは都市を中心とする「都市文明」でした。そして、ここでは「本格的な文明以降」を「世界史」だと考えています。
そこで、紀元前4000年頃から紀元前1000年頃までの3000年間は、世界史における「最初の3000年」といえるでしょう。
それは、ここでいう「世界史」の半分を占める期間で、「文明以降」の人類にとって、原点といえる時代です。 以下、この「最初の3000年」について述べていきます。
「最初の3000年」の出来事は、後世にもくり返された
「最初の3000年」における西アジアの文明(古代オリエント文明)の歩みには、その後の世界で起こった出来事と似たさまざまな要素が詰まっています。そこには「歴史や文明の動きの基本パターン」が、すでにひと通りあらわれているといってもいいでしょう。
一言でいえば、「古代オリエント文明の歴史には、すべてのパターンが詰まっている」のです。
後世の大きく異なる時代においても、「最初の3000年」に起こったのと共通の要素や構造を備えた出来事がいろいろとくり返されました。
たとえば、自然環境の過度な利用によって深刻な環境問題(灌漑農業がもたらした塩害)が発生したり、周辺的地域の新興の民族によって文明の中心部が攻撃されたり、辺境から先進地帯へと大量の難民が押し寄せたり、といったことがあります。それらのことが、「最初の3000年」ですでに起こっているのです。
そして、のちの時代にも、舞台となる場所や登場する民族などは全くちがうわけですが、抽象度を上げてみれば、上記の出来事と共通することが起こっています。
現代の環境破壊や難民問題は、まさにそうです。ローマ帝国時代の「民族大移動」(おもに西暦400年代)や、アジアの草原地帯の騎馬遊牧民が「中華」を脅かしたこと(そのピークが1200年代のモンゴル帝国)もそうです。
「最初の3000年」でも、当時の「中華」であるメソポタミアの主要都市を脅かす後進の民族が台頭した際、その攻撃を防ぐための当時としては長大な城壁が築かれています(史上初の「長城」といえるもので、都市を囲む城壁とは別)。
そして、その長城が結局破られてしまうのも、「最初の3000年」の西アジアとそれから1000数百年以上あとの中国北部・西部の出来事は共通しています。
また、「最初の3000年」の最後の数百年〜1000年の間では、西アジア(多様な民族・地域を含む)の全体が経済的・文化的に結びついた「青銅器時代のグローバル化」といえる状況も成立しています。
このようなグローバル化は、現代世界はもちろんですが、西暦1000年頃(あるいはその200〜300年前)から近代の開始(1500年頃)までの数百年間においてもみられます。イスラム勢力、インドや中国の人びと、騎馬遊牧民の活動などによって、ユーラシア大陸という規模での「中世のグローバル化」があったのです。
ここでいう「グローバル化(グローバリゼーション)」とは、「その時代のおもな文明の分布範囲全体をカバーする国際的なつながりの深化」ということです。
たとえば、ユーラシア規模の「中世のグローバル化」では、ヨーロッパやアラブ地域のような西側での重要な出来事(発明、新商品、書物、伝染病、国家の興亡など)が、中国や東南アジアなどの東側にも、数百年ではなく一世代のうちに(早ければ数年以内に)影響をあたえるようになっていました。
人類は、そのような「グローバル化」を、この数千年のあいだにスケールアップしながらくり返してきました。まず、西アジアという地域規模、つぎにユーラシア規模、そして近現代では大陸を超えた文字どおりの地球規模で。なお、このような近代以前の「グローバル化」は、私だけの突飛な見方ではなく、学者も述べていることです。
*「青銅器時代のグローバル化」については、考古学者のエリック・H・クラインの著書『B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊』(筑摩書房)があり、「中世のグローバル化」については、歴史学者ヴァレリー・ハンセン『西暦一〇〇〇年 グローバリゼーションの誕生』(文藝春秋)があります。
「加速と減速」から成るサイクル
そして、「最初の3000年」とその後の時代で共通するさらに大きな事項として、この一連の記事のテーマである「加速と減速」ということがあります。それは、これまでに私が主張してきた世界史におけるつぎのような大きな構造です。
世界史においては、
急速な進歩や発展が数世紀以上続く「加速」局面と、
その後の発展が減速して緩やかになり、変化の少ない定常状態が続く「減速」局面とがある。
そして、この2つの局面がこの6000年間で複数回(少なくとも2回)くり返されてきた。
つまり、最初の3000年において「加速と減速」ということがあり、それと似たことが、その後の世界でもみられるということです。
そして、「加速と減速」は近現代にもあてはまるのではないでしょうか。
私は「近代におけるこの数百年の加速局面は、現代においては終わりをむかえ、世界は減速局面に入りつつある」と考えています。そして、以前のnote記事で「現代世界の減速」、つまり「現代において社会の変化はゆっくりになっている」ということを、相当なボリューム論じています。
この記事は、「現代世界の減速」という大きくてみえにくい現象について、大小さまざまな捉えやすい事象を取り上げて浮かび上がらせようとしたものです。技術革新のほか、政治・経済、サブカルを含む文化など、多様な領域を扱っています。
以下のリンクは、「社会の変化はゆっくりになっている」と題した全12回の一連の記事の最終回で、全体のまとめ・要約です。
ここでいう「サイクル」とはどういうことか
そして、加速と減速の局面から成る「最初の3000年」は、ひとつの大きな「サイクル」だったといえるでしょう。紀元前4000年頃から始まって、紀元前1000年頃から数百年のうちに終わりをむかえたサイクルです。
「サイクル」というのは、大まかにみて同様の構造をもつプロセスがくりかえされるとき、そのプロセスをいうのです。
まず、画期的な新しい文明・社会が世界の比較的狭い範囲のどこかでおこる。それがここでいう「サイクル」のはじまりです。
世界史における重大な革新は、世界のなかの特定の一点からはじまることが多いです。それは現代社会において、画期的なイノベーションがベンチャー企業や研究機関のような特定の組織、あるいは創造的な個人の取り組みからはじまるのと似ています。
近代における蒸気機関などによる産業革命も、イギリス(イングランド)の特定の地域からはじまりました。そして、世界のある一点での革新が大きな成功をおさめた場合、それが広範囲に伝わっていくわけです。
「最初の3000年」では、西アジアの一画のメソポタミア(とくに南部)で、紀元前4000年頃~紀元前3000年頃に、かつてない規模の都市文明が成立しました。
この動きは「文明のはじまり」といえる画期的なもので、シュメル人といわれる人びとが、その中心的な担い手でした。シュメル人は、世界史における都市文明の「創業者」(少なくともその中心)といえます。
この都市文明の成立は、きわめて大きな、普遍性を持つ革新であり、世界史上では「近代文明」の成立にも匹敵します。
ここでは立ち入りませんが、おそらく歴史には大小さまざまなくりかえしの現象、つまり「サイクル」があるはずです。たとえば「国家興亡のサイクル」は、これまでにも主張されてきました。しかし、「国家興亡のサイクル」が一般には数十年~数百年で完結するのに対し、ここではそれよりも一ケタ長期のサイクルを想定しているということです。
ここで述べている世界史上のサイクル――「文明の加速と減速のサイクル」は、全体としては1000年を超えるきわめて大きなサイクルです。
そして、ここで対象とするのは、個々の国家の興亡を超えて展開する「文明」の動きです。
たとえば、近代文明というのは、もともとは西欧を中心に生まれましたが、今では個々の国家や西欧という地域を超えて、欧米のほか日本や中国等々世界中で展開しています。「最初の3000年」で展開した最初の「都市文明」も、当初の担い手であるシュメル人を超えて、さまざまな民族・国家に引き継がれ展開していきました。
つまり、ここでいう「文明」は、「超・国家」レベルの普遍性をもつ大きな枠組みであり、だからこそ1000年を超えるきわめて長期にわたって展開していくのです。
「ずいぶん大風呂敷な話だな」と思われるかもしれません。しかし、そのような大きな視点で見取り図を描くことも、やはりときには必要ではないでしょうか。大きな見取り図なしで、自分の現在地について確かな認識を持つことはできないはずです。
そして、これまでに述べたように、ここでいう「文明」は、急発展する加速局面を経たのち、やがて発展・変化が緩やかな減速局面に達するということです。その後、ついにはサイクルの終わりをむかえる。
また、このサイクルが展開する過程で、その時代なりの「高度の文明」の分布範囲は拡大していきます。最初は限定された特定の地域だけだったものがその周辺へ、さらに広範囲へと伝わっていく。その到達点として、その時代の「限界」といえるところまで文明が広がり、その圏内の多様な民族・国家のあいだの交流が深まる「グローバル化」が成立するのです。
メソポタミアではじまった「最初の3000年」も、まさに以上のような経過を辿りました。
サイクルの終わり・新しい文明が従来の文明を乗り越える
そして、ここでいう「サイクルの終わり」とは、「それまでとは異質な新しい文明が台頭し、従来の文明を乗り越えた」状況を意味します。
「最初の3000年」の終わりは、つぎのような経緯でした……
紀元前500年頃以降、従来からの先進地帯である西アジアからみて「辺境」であったギリシアで、西アジアを凌駕する新しいタイプの文明が繁栄するようになりました。
ギリシアの人びとは、世界全体をみれば比較的近い「となり」にある西アジアの文明に学びながら、1000年を超える時間をかけて、独自の文明に達したのでした。その文明の遺産(哲学や科学、民主主義など)は、現代の世界にも影響をあたえています。それだけ画期的なものを古代ギリシアは生み出したのです。
なお、後でも述べますが、それまでの長い伝統とは異質の新しい技術や文化は、紀元前1000年頃からの数百年のあいだに西アジアでも生まれていました。「鉄器の普及(本格的な金属器の時代)」は、その中核となる事柄です。この動きは、「最初の3000年」のサイクルの「終わりのはじまり」です。
紀元前500年頃以降のギリシアの文明は、紀元前1000年頃以降の新しい動きを集大成して、さらに展開したものでした。
ギリシアで、従来の文明を超える文明がはっきりと姿をあらわしたこと。まずこれを「最初の3000年」のサイクルの決定的な終わりと考えてもいいかもしれません。
ただし、西暦500年頃の時点では、まだギリシアの新しい文明が西アジアを圧倒するとはいえません。当時のギリシア人は、古くからの先進地帯である西アジアの文化や繁栄する大国(アケメネス朝ペルシアなど)に、敬意や畏れを抱いていました。
しかし、紀元前300年代末には、アレクサンドロス大王(ギリシア人国家マケドニアの王)の軍勢が西アジアの主要地域の全体を征服してしまいます。アレクサンドロスの帝国は、彼の死後分裂しますが、ギリシア人の支配や優位は残り、西アジアはギリシアの文明に強く影響を受けて変化していきました。つまり、ギリシアに吞み込まれたのです。
それは西アジアの文明が「それまでの立ち位置であった世界史の先端や主役の座から降りた」ということです。そして、世界の文明の中心は、ギリシアとその周辺の地中海地域にシフトしていきました。アレクサンドロスの時代から300年ほど後には、地中海を囲むローマ帝国が空前の繁栄に達しました。
このように「従来のような“中心”ではなくなった」ということは、西アジアの文明が辿った大きなサイクルの終わりを意味すると、私は考えます。
そして、古いサイクルの「終わり」は、新しいサイクルの「はじまり」でもあります。ギリシアの文明の台頭は、人類にとって「最初の3000年」以後の、新しいサイクル(近代直前までのつぎの2500年)のはじまりだったのです。
「最初の3000年」における減速の局面に注目する
そして、この「最初の3000年」のサイクルにおいて「何が起こったか」を、「加速と減速」という視点で点検しなおすと、「減速する現代世界」についていろいろなことがみえてくるのではないかと、私は考えます。
現代や未来の世界について考えるうえで、西アジアにおける「最初の3000年」は、考えるための多くの材料をあたえてくれるのです。
つまり、「最初の3000年」は、現代の人類にとって、示唆に富む巨大な「先行事例」あるいは「社会実験」でした。
そして、とくに注目すべきは、「最初の3000年」における減速の局面です。
それは、これまでにこの一連の記事で述べてきたように、私が「現代世界は、この数百年の加速局面から減速局面に移行しつつある」と考えるからです。これからの未来が減速→定常状態というプロセスを辿るとすれば、「最初の3000年」の減速局面で起こったのと似たさまざまなことが、未来の世界でも起こる可能性が十分にあるのではないでしょうか。
もちろん、古代オリエント文明の世界と、現代やその先の未来世界では、その舞台設定や道具立て、登場人物がまるでちがいます。しかし、その要素や構造を抽象化して捉えた場合、おおいに共通性がみられるのではないか。
このように、「最初の3000年」の経験から、未来を考える手がかりが得られると、私は考えます。
私たちが何千年も前の社会や文明について知る意味は、単なる好奇心やロマンだけでなく、たしかにあるのです。
***
「最初の3000年」における加速と減速
これから、古代オリエント文明の全史の、より具体的な中身に入っていきます。まずは、大まかな「見取り図」から。これまでに述べたことの再確認も含みます。
相当な規模を伴なう本格的な文明は、「都市文明」というかたちで紀元前4000年~紀元前3000年頃に西アジアで最初に成立しました。

地図は拙著『一気に流れがわかる世界史』より

濃い網かけ:前3000~前2000頃から文明が繁栄
薄い網掛け:前2000~前800頃文明が広がった地域
紀元前4000年頃から紀元前1000年頃までに西アジアで展開した文明社会、つまり古代オリエント文明の3000年間は、世界史の「最初の3000年」です。ここでは、その「3000年」プラスアルファの期間を対象とします。
そして、「最初の3000年」は、紀元前2500年頃を境に2つの局面に分かれます。「加速局面」と、それに続く「減速局面」です。
・加速局面とは、根本的・原理的な革新が盛んで、進歩・変化の激しい時期
・減速局面とは、そのような革新が減速する停滞的な時期
なお、加速局面には、加速から減速へと移り変わる過渡的な段階(狭い意味での「減速」)と、その先のさらに変化の少ない「定常状態」があります。
これまでの「2回半」のサイクル
このようなプロセスは、この6000年間の世界史において複数回くり返されている、と私は考えます。そして、くり返しがあるので、このプロセスを「サイクル」と呼ぶことにします。
【世界史における、加速→減速サイクル】
加速 → 減速(減速前期)→ 定常状態(減速後期)
そして、この「加速」→「減速」→「定常状態」という大きなサイクル(「加速→減速サイクル」)が、この6000年の世界史において、「2回半」くり返されてきたと、私は考えています。
【1回目のサイクル 最初の3000年】
加速局面 紀元前4000年頃~紀元前2500年頃(文明のはじまりの革新)
減速局面(減速→定常状態)紀元前2500年頃~紀元前1000年頃
【2回目のサイクル つぎの2500年】
加速局面 紀元前1000年頃~西暦100年頃(鉄器時代の革新)
減速局面 100年頃~1500年頃
【3回目のサイクル 最近の500年】(近代の革新)
加速局面 1500年~現在、ただし減速局面に移行中?
「2回半」というのは、私たちは「これまでの2回の完結したサイクル(「最初の3000年」「つぎの2500年」)を経て、3回目の近代のサイクルにおける減速の局面をむかえつつある」と考えるからです。
ここでは上記のうちの「1回目のサイクル」について述べていきます。この「1回目」が、「加速→減速サイクル」の原点であり、その後のサイクルを理解するうえでの基本となります。
加速と減速の根底にある技術革新
文明における「加速と減速」の根底には、技術革新があります。技術革新について「さまざまな領域に影響をあたえる基礎であり、社会の変化を代表する」という見方は(異論はあるかもしれませんが)一般的なものでしょう。
「最初の3000年」の西アジアでは、紀元前2500年頃の前後数百年のあいだに「加速局面」から「減速局面」へと移り変わる転換期がありました。その時期に、最初の本格的な都市文明を成立させた技術革新の大きな波が終息していったのです。
そして、既存の枠組みを打ち破る大きな革新は下火になり、きめ細かい改良や応用、あるいは量的拡大が技術的な進歩のおもな内容になっていきました。
最大級の都市の規模が、急速な拡大のあと2000年余り停滞
また、そのような「加速→減速」という局面の変化は、各時代を代表する最大級の都市の規模に数量的にあらわれていると、私は考えます。「どのくらいのスケールの都市が成立するか、その時代の技術や生産力の水準によって規定される」という前提に立つからです。
今の巨大都市が、現代の建設、輸送・交通、保健・衛生などに関するさまざまな技術、そして食料の生産力に支えられていることは明らかです。そして、過去の時代においても「その時代の生産や技術の水準が都市の規模の限界を決める」と考えることができるのではないでしょうか。
そこで、最大級の都市の規模は、技術を核とする各時代の「文明の水準」をはかる指標となり得るのではないか。
この一連の記事では、以上の考え方に基づき「最大級の都市の変遷」と題したグラフを提示しています。この数千年間の各時代における最大級の都市の規模を片対数グラフに落とし込んだものです。

©Soichiro Akita 2025
片対数グラフでは、成長率が同じなら線の傾きは一定になります。上記のグラフには、急な右肩上がりの時期と傾きが緩やかあるいは平坦な時期があります。
ここでは、このような都市の規模の拡大ペースの変化を、技術革新などのペースの変化のあらわれとみています。肩上がりの、都市の規模が大きくなった時期は技術革新が盛んな加速局面で、平坦な時期は革新・変化が限られる減速局面であるということです。
そして、上記のグラフからは先ほど述べた2回の「加速→減速」のサイクルと、その後の近代の加速局面の存在が伺えるはずです。

このグラフでは、「最初の3000年」のサイクルは、最初の右肩上がりから、それが平坦になり、つぎの右肩上がりが立ち上がる直前までがそれにあたります。
都市文明を成立させた「文明のはじまりの革新」では、集落の規模が急速に拡大して人口数万人規模の都市が生まれました。
紀元前4000年頃以降の1000年余りで、最大級の集落・都市の規模は、10~20倍になりました。紀元前5000年頃との比較では数十倍です。当時としては急発展といえます。紀元前3000年頃には、大規模な建造物を備えた人口数万~10万規模の都市が、当時の最先端地域であるメソポタミア南部に出現しました。
そのような都市が生まれた基礎には、大きな技術革新の波がありました。この時期に、大規模な灌漑農業、金属器(青銅器など)、文字、車輪などの、さまざまな「文明の基礎」といえる技術やノウハウが成立したのです。
国王のような権力者や行政機構などを備えた本格的な国家も、この「文明のはじまり」の時期に成立しています。ただし、当初それは都市を中心とする限られた範囲を支配する「都市国家」であり、広い領域を支配する「領域国家」が成立するのは、つぎの段階のことです。
以上が、グラフでいえば最初の右肩上がりの加速局面です。
しかし、それまでの急速な発展にもかかわらず、紀元前2500年頃の前後から、2000年余りのあいだ、最大級の都市の人口は数万~10数万ほどで頭打ちでした。それ以前の1000数百年間とは、大きく異なる減速局面に入ったのです。
「文明のはじまり」の初期における最大級の都市として、メソポタミア南部のウルクがありますが、その紀元前2900年~紀元前2700年頃の人口(面積に基づく大まかな推定、以下同じ)は6~12万人でした。そして、紀元前600年頃における最大の都市バビロン(メソポタミア中部)の人口は、10~20万人です。2000年余り経っても、都市の規模は、それほどは大きくなっていないのです。

ウルク以降、メソポタミアやエジプトなどでさまざまな大規模な都市の繁栄はありましたが、それらの都市がウルクを大幅に超える、つまり何倍もの規模に達することはありませんでした。
技術革新が減速した定常状態
そして、都市の規模拡大がほぼ止まったことの基本には、技術革新の減速・停滞がありました。
また、技術革新が減速すれば、経済や文化など、社会のさまざまな領域でも減速が起こるはずです。さらにその減速が続いた結果、より変化の少ない社会・文明の「定常状態」といえる局面が訪れる……
ただし、定常状態といっても、何も起こらない静止状態ではありません。根本的な革新は限られていても、より細かなレベルでの革新や改良、あるいは量的な拡大といったことはいろいろとありました。戦争などの動乱や、さまざまな民族・国家の興亡もさかんに起こっています。
たしかに、紀元前2900年頃のウルクと紀元前600年頃のバビロンを比較すれば、多くの建造物は立派になりました。また、都市における商業などの民間の活動は活発になり、作成される国家や民間による文書(情報の生産量)は大きく増えています。
また、民族の興亡ということでいえば、ウルクはシュメル人が中心となって築いた都市ですが、紀元前600年頃のバビロンは、当時のメソポタミアで有力だったカルデア人が創設した王朝の首都でした。メソポタミアでは、初期の都市文明を主導したシュメル人が衰退して以降、アッカド人、アモリ人、カッシート人などさまざまな民族が台頭しました。
なお、シュメル人の衰退は、「最初の3000年」の加速局面の終盤から減速局面の初期のことであり、メソポタミアにおける有力な民族の移り変わりは、おもに減速局面でのことでした。
そして、時代をけん引する主役は移り変わっても、減速局面では、その時代の文明・社会を支える技術レベルや、政治・文化の根本的な枠組みにおいて、大きな革新・変化はありませんでした。つまり、文明の大きな枠組みは変化がなかったのです。そのような状況を、ここでは「定常状態」といっています。
次の文明による乗り越えと、サイクルの終わり
そして、定常状態の先に来るのは、「次の段階の新たな文明による乗り越え」です。
つまり、前に述べたように、紀元前500年頃以降の動きのなかで、西アジアの従来の文明は、ギリシアの新しい文明に乗り越えられていきました。それによって、紀元前4000年頃以降の「最初の3000年」の大きなサイクルは完全に終わったのでした。
そして、「最初の3000年」のサイクルの終わりは、つぎのサイクル、つまり近代文明の勃興(1500年頃~)までの「つぎの2500年」の開始期とも重なっています。
(第7回へ続く)
今回は「大枠」の確認。次回は「最初の3000年」についてのさらに具体的な歴史的事実をみていきます。
記事の著者そういち(秋田総一郎)による世界史の入門書
「最大級の都市の変遷」に関する、前回、前々回の記事
