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カフカ・発表できなくても野心作を書き続ける【手のひらの偉人伝22】

フランツ・カフカ(1883~1924、チェコ)は、「変身」などの前衛的な作品でのちの文学に多大な影響を与えた作家です。でも彼は、生前はほとんど無名でした。

大学時代に小説を書きはじめ、卒業後は大手の保険会社に就職。しかし、多忙で小説を書く時間がない。そこで、翌年には半官半民の保険会社へ転職。就業時間が朝8時から午後2時までという緩い勤務の会社です。

カフカは、勤務後に昼食をとってから夕食まで眠り、夜更けや明け方まで作品を書く――そんな生活を続けます。

しかし彼は、作品の多くを発表できないまま、結核のため40歳で亡くなりました。ただし、生前に数冊の著書は出版され、地元プラハの文壇ではそれなりに知られた存在でした。

遺稿の小説(全作品約70編のうち本数では半数以上、分量的には大部分)は、のちに親友の作家の手で編集・出版されました。

そして、死後20年余り経って、哲学者サルトルなどの著名人が高く評価したことで、世界的に知られるようになったのです。

発表できなくても、野心作をとにかく書く――それは、カフカが無欲で謙虚だったからでしょうか? 

いや、むしろ「新しい文学をつくる」という大きな野心が、彼を支えたのではないでしょうか? そうでなければ、挑戦的な質の高い作品を、何十編も書き続けることなどできないはずです。

そして、小説を書くだけだったのかというと、そうではありません。愛した女性が3人はいます。

その1人とカフカは2回婚約しています。恋愛から婚約に至ったが破局し、その後交際が復活してまた婚約したものの、カフカの病気で破談に。その後も結核療養地で知り合った女性と恋に落ち、結婚を望みますが彼の親の反対で断念。亡くなったときも、若い女性と同棲中でした。

40歳の若さで、成功とは無縁のまま死んだカフカ。でも彼には、野心作を書いているときや、愛する女性との時間など、多くの胸が熱くなる瞬間があったのです。彼の作品を高く評価する親友もいた。

彼をみると、そういうことが人生では大事だという気がします。

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*古今東西の偉人を数百文字で切り取って紹介した記事を、その都度思いつきでアップしています。

(参考文献)
・『ダ・ヴィンチ解体新書vol.2人気作家の人生と作品』リクルート、1997年所収の池内紀氏の解説

・池内紀『カフカの生涯』白水社、2010年

「手のひらの偉人伝」のつぎの記事。マガジンにもまとめています。

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