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きみだけが知らない歌(8)|小説

前回のお話
7.千秋あおい


8.あおいと文乃


ー  央里文乃の回想  ー

 千秋あおいの病室は、当時まだ社会的に知る人が少ない緩和ケア病棟にあった。それは彼女に残された時間が少ない事を意味していた。

 部屋はさほど広くなかったが、大きな窓からレース越しに柔らかな光が入る一人部屋で、ベッド横に置かれたラジカセからは、リクエスト番組なのだろう、当時流行っていたヤングマンが流れていた。

「あの子ね、よしんば千秋の歌を聴くと泣き出すんだー、嫌われてるのかなー」

 あおいは下を向き、指を組んだり広げたり、指で地団太を踏んでいるようだった。

「そんなわけないじゃない。騒がしいのが嫌なだけでしょ。あなたもライブハウスに出初めの頃、大きな音に慣れないって言ってたじゃない。似てるのよ、きっと」

「そっかー、似てるのかー」あおいは顔をあげてはにかんだ。
「あーもー、よしんば千秋の私を消せたらなー」

「何言ってるの。それだとあれ、なんとかデトックスとか言うのが起きて、吉田さんとも出会わず、公輝君も生まれないことになるわよ!」

「それもそうね」そう言ってまた笑った。

 いつもと変わらないあおいの明るさは、病人ということを忘れさせた。
私はこのまま病気は消えてなくなるのだとどこかで思っていた。

「えっと、文乃にお願いがあるんだけど」

「何、あらたまって」

「歌を録って欲しいんだ」

「録るって誰の?」

「私のなんだけど。あの子、寝付きが悪くて良く夜泣きするから子守唄を歌っていたの。即興だから歌詞も適当で歌う度に変わるんだけど。歌うと泣き止んで良く眠ってくれるの」

「へぇー、そうなの!」

「それでね。私こんなだし、残った時間で出来ることを考えてみたんだけど、お母さんらしい事ってこのくらいしか無くって。ね、一生のお願い!」

 そう言って顔の前で両手を合わせるあおい。この仕草を何度見てきたことか。いつも『えーまたー。あおいの一生のお願いは軽いのよ』と軽口をたたいていた。普段は大人しく自分から意見することがない彼女だったが、絶対譲れない時にだけこの『一生のお願い』を使う。小動物を思わせる可愛らしい仕草とは裏腹に、揺るがない強い意志を示していた。このギャップが、あおいをカリスマ歌姫へとたらしめた要因のひとつだった。

 いつものように軽口で応えるつもりが、この時出た言葉は自分でも以外だった。

「やるに決まってるじゃない!」

 鞄を漁ってみたがプロモーション用に持ち歩いていたカセットテープしか無い。

「これしかない。テープ買ってくる!」

「ううん、それでいい。よしんば千秋はお気に召さないみたいだし、公輝が大きくなって『これがお母さんの若い頃の歌です』なんて言われても困るだろうし、私も恥ずかしいから聴かせたくない。テープ上書きしてもいい?」

「あおいが構わないなら」

 セロテープが見当たらないので、カセットテープの底の穴にティッシュを詰めてラジカセにセットした。

「スタンバイOK!いつでもいいわよ」

 あおいはラジカセの横に置いてあった写真立てを手にとって愛おしそうに見つめた。公輝君を抱いたあおいに、旦那さんの輝海さんが寄り添っている家族写真。これも一生のお願いと言われて私が撮ったものだ。

「じゃあ、お願い」

 録音ボタンを押し下げるとテープが回りだした。

 あおいは一度大きく深呼をすると、再びゆっくり息を吸い、吐く息に言葉を乗せるように歌い始めた。

 それは、ただただ子供を想う母の声だった。

 片面5分。録音が止まると一旦カセットテープを取り出し、表裏を入れ替えてセットし直し、再び録音ボタンを押した。

 同じ歌詞とメロディーの短い歌を、何度も繰り返し歌うあおい。

見ていられなくなった私は、トイレに行くふりをして、音を立てないよう気をつけて病室を出た。

 どうして・・・。
 漏れそうになる嗚咽を両手で押さえ、私は冷たいトイレの床にへたり込んでしまった。

 彼女の声に惚れ込んで歌の世界に引き込んだのは私だ。初対面の人と話せないほど人見知りで気弱で。ステージ袖で震える彼女の背中を何度も押してきた。そんな彼女が、非情な運命を突きつけられているというのに、あの穏やかな表情はなんだ。いや、わかっていた。彼女は始めからずっと強い意志で私と向き合ってくれていた。いつも背中を押してもらっていたのは私だ。あなたのお陰で強くいられた。支えてくれていたのはあなたの方だった。

 あおい……。

 あおいは覚悟を決めている。ならば私も最後まで応えるんだ。

 蛇口をひねり、勢いよく流れ出る水をすくって涙の跡を流した。外に出て病院の外周を歩き、風にあたって目の腫れが引くのを待った。
 病室の前まで戻ると、大きく深呼吸をして、ゆっくりと扉を開けた。

「どう、録れた?」

「うん、大丈夫」

「ごめんね途中で放りだしちゃって。事務所から電話が入っちゃって」

「ごめんね……文乃」

「何よ」

「ごめん……いや、謝りたかったわけじゃないの。今だからちゃんと言っておきたいと思って。笑わずに聞いてくれる?」

 あおいは微笑んで、側にくるよう手招きすると、私の両手を包み込むように握り、真っ直ぐ私の目を見つめて言った。

「文乃。ずっと友達でいてくれて、ありがとうございました」

「んもー、最後のお別れみたいじゃない」

「だって、病気が進んだら、ちゃんとお別れを言えないかもしれないから。ありがとうは、言える時に言っておかないと、って思ったの」

 あおいは涙をいっぱい溢れさせながらも精一杯微笑んでいた。

「そうね。私もそう思うわ……。あおい、私のも聞いてくれる」

「うん」

「あおい。あなたは無二の親友です。沢山夢を見せてもらいました……。私が迷わず進めたのはあなたのお陰です。ありがとうございました」

 そう言い終えると、私はあおいの手に顔を伏せて泣いた。涙は彼女の温かな手を濡らした。

 顔を上げることが出来なかった私は伏せたまま言った。

「あおい……」

「何?」

「ひとつ聞いていい?」

「うん」

「今お別れしたけど…… 明日も来ていい?」

 伏せている私に覆いかぶさるように、あおいは頭を重ねた。すすり泣いている声が直接頭に響いてきた。

「うん。また明日。ね」

* * *

 面会の終了時間になったので帰り支度を始めた。

「吉田さん、今日は来るの?」

「今日は外せない仕事があって来れないって言ってた」

「じゃあ、私がテープ届けようか」

「うん、公輝が泣いちゃうと、輝海さんもお母さんも大変だから、お願いできる?」

「しおらしく言ったけど、これもさっきの一生のお願いのうちなんでしょ」

「そうよ」と言って笑うあおいを見て、ほっとした私はカセットテープを鞄にしまった。

「じゃあ、また明日」

「また明日」


ー 央里文乃の回想・終 ー


「このカセットテープは、あの晩、央里さんが届けてくださったものでしたか。公輝が夜泣きしなくなり、子守唄も必要なくなって、このテープの存在をすっかり忘れていました。また、あおいの声を聴くことが出来るとは……」

「これが、母さんの声......」

「お前の名前の読み方で母さんと喧嘩したことがあったんだ。俺は『こうき』、母さんは『きみてる』が良いって。結局『こうき』に落ち着いたけど。母さんはお前に話しかける時だけ『きみ』って呼んでた。二人だけの秘密のニックネームだから良いの!と言って。お前を抱きかかえると、おでこを合わせて『きみは私のこと、なんて呼んでくれるのかな』って話しかけていた」

ねんねん ねんころ おやすみよ
きみはどんな夢みるの

ねんねん ねんころ おやすみよ
きみと話がしがしてみたい

ねんねん ねんころ おやすみよ
夢にわたしはいるのかな

ねんねん ねんころ おやすみよ
きみはなんと呼んでくれる

「お母さん……、お母さん…...」

吉田君はうつむいて、彼女の呼びかけに応えるように繰り返した。

二十四年の歳月を経て初めてかわされた母子の会話だった。

* * *

 俺は大元に目線を送り立ち上がった。

「俺たちはそろそろ失礼します」

 央里さんは居ても良いと言ってくださったが、俺たちの出る幕はもうなさそうだし、後は三人で話してもらうのが良い。マスターを一人残して行くのは忍びないが仕方がない。
 簡単に挨拶を済ませ、俺たちはジャズバーを後にした。

「何か食って帰るか?奢るぞ」

「今は無理です。先輩はお腹へってるんですか?」

「いいや。俺も無理だ。じゃあ、そこのコンビニでコーヒーってのはどうだ?」

「良案です!」

 切れた雲の隙間から傾き始めた太陽が顔をのぞかせていた。

 俺たちは何を話すわけでもなく、しばらく店の前でコーヒーを啜った。
 この数時間で抱えたものが大きかった。このまま独りになりたくないと思った。大元も同じなのかもしれない。

「マスターには悪いが、あのコーヒーはまったく味がしなかったな」

「それわかります。緊張して唾ばっかり飲んでました。このコーヒーはちゃんとコーヒーの味がします」

「こういう時のタバコをはうまいんだよなあー」

「止めてまだ二ヶ月くらいなんでしょ?意思、弱すぎません?」

「良いことがあった時は吸っても良いことにしないか。祝杯じゃないが祝服ってことで。語呂も良いし」

「まったく意味わかりません」

 こいつが軽口叩いてくれるお陰で、身体が軽くなった気がした。

 コーヒーを飲み終え、車に乗り込みマイミュージック社を目指した。


 赤信号で助手席に目をやると、大元は微かに寝息をたてて眠っていた。

「お疲れさん。ありがとな」と小声で言った。

 信号が青に変わり、俺はそっとアクセルを踏んだ。

(つづく)

エンディング

- Spacial Thanks -

RyoAhal


この物語はフィクションです。
実在する人物・団体とは一切関係ありません。


0.君はよしんば千秋を知っているか?
1.僕だけが聴けない歌
2.音楽と記憶
3.過剰防衛
4.事情を知る人物
5.央里文乃
6.よしんば、揃ったとして
7.千秋あおい
8.あおいと文乃
9.兄弟喧嘩(最終話)


主な登場人物

悠大 達人(ゆうだい たつと:男性):
この物語の主人公。フリーの音楽ライター。

大元 彩子(おおもと さいこ:女性):
音楽雑誌の出版社に務める編集者。悠大とは先輩後輩の関係。彼がフリーになってからも先輩と呼び慕っている。

志波田 一尉(しばた いちい:男性):
志波田医院のオーナーにして、自称ボイストレーナー。業界の重鎮。

央里 文乃(おうさと ふみの:女性):
大手タレント事務所ビートニクの社長。よしんば千秋の元マネージャー。

吉田 公輝(よしだ こうき:男性):
よしんば千秋の長男。遺品整理をして見つけたカセットテープがきっかけで母が歌手だと知った。悠大が連載している音楽雑誌の読者。

吉田 輝海(よしだ てるうみ:男性):
吉田公輝の父親で、よしんば千秋のパートナー。

よしんば千秋(よしんばちあき:女性):
1970年代後半に活躍したアングラ界の歌姫。
吉田公輝の母親。彼が一歳の時に他界。
本名・吉田あおい。旧姓・千秋あおい。

杉田(すぎた:男性):
ジャズバー『恋猫』のマスター。よしんば千秋の親衛隊1号。
親衛隊2号の吉田輝海とは、千秋のハートを射止めるため争った仲。

TALES版


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