見出し画像

きみだけが知らない歌(7)|小説

前回のお話し
6.よしんば、揃ったとして


7.千秋あおい


 央里さんと挨拶を済ませると 俺と大元は席を空け、カウンター寄りのテーブルに移った。
 扉のカギを掛けたマスターが、何かお飲みになりますか?と尋ねると、お水をいただけるかしらと央里さんは答えた。

「央里さん、大変ご無沙汰しております」

 親父さんは立ち上がって深々と頭をさげた。

「私こそ、何もかも吉田さんに任せっきりで、申し訳ございませんでした」

 そう言って央里さんも頭を下げ、俺達が空けた席に座った。

 水を運んできたマスターを見て央里さんは何か思い出したようだ。

「あなたは、親衛隊の…」

「杉田です。覚えていてくださって光栄です」

「いつも最前列で一番大きな声援をくださっていたでしょ」

「それはもう大大大ファンでしたから」

「ここは彼女と縁のあるお店なのですね」

「はい。親父から店を継いだ時に、毎日好きな時によしんば千秋の歌を聴ける店に改装しました」

 央里さんがちらりとこちらを見た。マスターがよしんば千秋と言ったからか。俺は立ち上がって言った。

 「央里さん、私、治りました。もう平気です」

 横に座っていた大元が驚いた顔で俺を見た。しまった。まだ言ってなかった。声に出さないよう口の動きで『あ・と・で』と言った。

「それと、志波田先生は急な来客があって来れないそうです。申し訳ないが私のことは気にせず進めてくれとおっしゃってました」

「そう、それは残念だわ。でも先生らしい」

 カウンターの奥に下がろうとしたマスターを央里さんが呼び止めた。

「杉田さん。どうせ奥で聞き耳立ててるのでしょ。それならば一緒に聞いていてくださらない。いいえ、是非聞いていて欲しいわ」そう言って微笑みかけた。

 見透かされバツの悪そうなマスターは俺たちのテーブルまでくると、会釈をし俺たちの向かいに座った。あちらのテーブルとは毛色の違う緊張感が漂う。

「光輝君、あっ、失礼しました。光輝さんと呼ぶべきでした」

「気にしてませんのでお好きなように……。母の話だそうですが、私には母の記憶はまったくありませんし、母がいない生活が当たり前でした。生んでくれたことには感謝していますが、写真を見ても、墓に手を合わせても特別な気持ちは湧いてきません。歌手だった話は父から聞きましたが……。今更というか……」

 怒っているのか?警戒しているのか?以前ここに来たときのようにはならないと思うぞ。だから央里さんの話を聞いてあげてくれ。

「そうよね…。それは私がそうさせてしまったの……」

 奥里さんは視線を落とすと大きく息を吸いながら顔を上げた。

「光輝さん。お願いします。私は、よしんば千秋ではなく親友だった『千秋あおい』の話をしようと思うの。お母さんをよく知ってるおばさんの昔話に、十分だけつきあっていただけないかしら?」

 央里さんの控えめな口ぶりに、吉田君も強く言い過ぎたと思ったのだろう。戸惑いながらも頷いた。

「あぁ、はい……」

「あおいが引退を決めたのは、あなたを身ごもった時よ。メジャーデビューも決まっていたので、今引退すれば沢山の方に迷惑を掛けることを承知でね。リスクを負ってでも、あおいは歌手を辞めてお母さんになることを選んだの」

 自分が関わっているとわかると、吉田君の目の色が変わった。

「今日はお越しいただけなかったけれど、お医者様の志波田先生のお力を借りて、三人でよしんば千秋の幕引きに駆け回ったわ。でも、引退のリスクはあおいが思っていた以上に自分を追い詰めた。妊娠中の不安定な精神状態もあって、関係者に頭を下げる毎日に、あおいは少しずつ思い詰めるようになったわ。この子は、よしんば千秋の息子として生きなければならない、この子に負担を負わせることになる、ってそればかりに囚われはじめた。大丈夫、私がなんとかする!と言っても私の声も届かなかったわ」

 央里さんは水が入ったグラスを両手で包みこんだ。

「それからは、あおいを謝罪に立ち会わせないようにした。お父様にも相談して、家にあるよしんば千秋に関わるものを全て私が引き取り、あおいからよしんば千秋を遠ざけたの」

「私はあおいの側にいることしか出来なくて、央里さんと志波田先生がいなければどうなっていたかわかりません。お二人のおかげであおいは平静を取り戻し、歌手に幕を引くことも、公輝を授かることもできました」

 そう言う親父さんの横顔を見ていた 吉田君は央里さんに向き直った。

「母の力になってくださって、ありがとうございました」

「お礼を言われると心苦しいわ。だってあおいは親友ですもの。私が光輝さんに謝らなければならないのはここからなの」

 央里さんは少し表情を強張らせ、椅子に深く座り直し続けた。

「あおいの病気がわかってすぐだった。彼女に相談されたの。よしんば千秋はこの子の負担になりはしないかって。でもね。妊娠中のように不安から来るものではなかったわ。『自分は光輝さんと言葉を交わすことはない。もし、よしんば千秋の子供だといじめられても、話を聞くことも謝ることも慰めることもできない。今できることはないか』と言ったわ。あなたの将来を考えての相談だった」

 吉田君は、唇を一文字に結び、次の言葉を待っていた。

「『そんないじめっ子は私が叱り倒してやるから!心配いらないって!私がなんとかするって言ったでしょ!』そう言ってしまったの。そして、私はよしんば千秋の記録を回収するため関係者に頭を下げて回ったわ。お父様と志波田先生には、あなたが分別つく歳になるまで、よしんば千秋のことは内緒にしてとお願いしたの」

 親父さんは、この場の誰より強張った表情をしていた。
 それを見た吉田君は鼻で息を吸うと央里さんに向き直った。

「幼い頃、父に母のことを訊ねても話しにくそうだったので、聞いてはいけないものだと思ってました」

 そう言ってまた親父さんの方を向いた。

「そういうことなら親父も話してくれたら良かったのに。いくらでもタイミングはあっただろ」

「すまん……」

「お父様のお気持ちも考えてあげて。お父様とあおいの思い出の半分はよしんば千秋だったし、最後の一年は辛い思い出よ。三人で穏やかに過ごせたのはほんの一年くらいなの」

「ごめん。親父」

 吉田君の素直な謝罪を聞いた央里さんは、お母さんだけでなく、親父さんとの関係まで遠ざけてしまっていたことに気づいたようだ。
ここまで終始冷静に話をしてきた央里さんだったが、その声は上ずっていた。

「お父様は何も悪くないの。本当に悪いのは私よ。あの時『光輝君はあなたの子よ。信じてあげなさい!』と言ってあげるべきだったと反省してしている。そうすれば二十年以上、お父様に負担をかけることも、よしんば千秋だけでなく、お母さんまで遠ざけてしまうことはなかったわ」

そう言うと央里さんは立ち上がった。

「光輝さん、お母さんの思い出を封印したのは私の間違いでした。本当にすみません」

 深々と頭を下げる央里さんを吉田君はしばらく見つめていた。

「顔を上げてください。央里さん」そう言ってゆっくり立ち上がると、吉田君は央里さんの肩にそっと触れ、座るよう促した。

「確かに、幼い時にこの話をされても理解できなかったと思います。この歳まで根気よく待ってくださったことを感謝します。何より、母が心配性だったと知ることができて、少しですが母をイメージすることができました。ありがとうございました」

 吉田君は微笑んでいた。

「そう言ってくださると嬉しいわ」

 先程まで強張っていた央里さんの表情に安堵の色がうかがえる。
 吉田君も何かふっきれたような表情をしていた。それは俺が知ってる彼の一番いい顔だった。

「それにしても、カセットテープ出てこなければ、まだ続いていたかもしれない、わけですね!」

 悪戯っぽく言う吉田君は、子供のように声に出して笑った。
 央里さんと親父さんは、口元を緩め微笑んでいた。
 俺と大元とマスターの三人は、溜め込んでいた言葉を一気に吐き出すかのように大きく息をはいた。

「それがこのカセットテープ?」

 ラジカセの横に置いていたカセットテープに気づいた央里さんは、それを手に取り懐かしそうに見つめた。

「レコード会社の方に聴いてもらうため、プロモーション用に作ったものね。これは私の手元にも無いわ。一体どこで?」

「母の遺品を整理していて見つけました」

「そう……」

 少し間があった。央里さんは何かに気づいた様子で吉田君に訊ねた。

「聴いてみた?」

「いいえ」

「聴いてみると良いわ」そう言って、吉田君にカセットテープを渡した。

 マスターは慌ててカウンターの奥に引っ込むと、すぐに飛び出してきて、手にしていた延長コードとラジカセとを繋ぎ、コードのもう一端を壁のコンセントに差し込んだ。

「お二人ともこちらに来て」

 奥里さんに促され、通路を挟んで向かいのテーブルに俺と大元とマスターが座り、六人がラジカセを囲む形になった。

  そういえばこのカセットテープ、結局聴いてなかった。

 吉田君はケースから取り出したカセットテープをラジカセにセットし、再生ボタンを押し込んだ。

 ガチャっという機械音と共にテープが回りだすと、サーというノイズに乗って、カサカサと布が擦れるような音が聴こえた。そして女性の歌が流れてきた。伴奏のない声だけの唄。

 子守唄だった。

「懐かしい……」そう言ったのは、吉田君の親父さんだった。

 央里さんは、空のケースを手に取ると、愛おしいものを見るような眼差しで話し始めた。

「あおいが入院して三日後くらいだったわ。お見舞いに行った時に彼女に頼まれたの」

(つづく)

エンディング

- Spacial Thanks -

ゆきおM 夜明けだけが知っている


この物語はフィクションです。
実在する人物・団体とは一切関係ありません。


0.君はよしんば千秋を知っているか?
1.僕だけが聴けない歌
2.音楽と記憶
3.過剰防衛
4.事情を知る人物
5.央里文乃
6.よしんば、揃ったとして
7.千秋あおい
8.あおいと文乃
9.兄弟喧嘩(最終話)


主な登場人物

悠大 達人(ゆうだい たつと:男性):
この物語の主人公。フリーの音楽ライター。

大元 彩子(おおもと さいこ:女性):
音楽雑誌の出版社に務める編集者。悠大とは先輩後輩の関係。彼がフリーになってからも先輩と呼び慕っている。

志波田 一尉(しばた いちい:男性):
志波田医院のオーナーにして、自称ボイストレーナー。業界の重鎮。

央里 文乃(おうさと ふみの:女性):
大手タレント事務所ビートニクの社長。よしんば千秋の元マネージャー。

吉田 公輝(よしだ こうき:男性):
よしんば千秋の長男。遺品整理をして見つけたカセットテープがきっかけで母が歌手だと知った。悠大が連載している音楽雑誌の読者。

吉田 輝海(よしだ てるうみ:男性):
吉田公輝の父親で、よしんば千秋のパートナー。

よしんば千秋(よしんばちあき:女性):
1970年代後半に活躍したアングラ界の歌姫。
吉田公輝の母親。彼が一歳の時に他界。
本名・吉田あおい。旧姓・千秋あおい。

杉田(すぎた:男性):
ジャズバー『恋猫』のマスター。よしんば千秋の親衛隊1号。
親衛隊2号の吉田輝海とは、よしんば千秋のハートを争った仲。

TALES版

いいなと思ったら応援しよう!

soundws チップを貯めてエレキ・ギターを買います! 期待を込めて応援下さると嬉しいです。