きみだけが知らない歌(3)|小説
前回のお話し
2.音楽と記憶
3.過剰防衛
気づくと目の前は、茜色に染まった天井だった。
頭の下には丸めた毛布、身体にも毛布が掛けてあった。
そうか……、あのまま眠ってしまったのか……。
身体を起こすと、大元と先生がパソコンでゲームをしているようだった。
「あ、先輩、お目覚めですね。気分はどうですか?」
「おお、嘘みたいにスッキリしている」
「もう、心配したんですから」そう言って近づいてきた大元は、ソファ越しに後ろから肩に両手を掛けるとギュッと力を込めた。
「痛ててっ。心配だったんなら、もう少し労ってくれるとありがたい」
さらに力を込める大元。
「調子に乗らないでください!」
「ああ、わかった!心配かけてすまなかった!ありがとうな、大元」
先生もソファに来て、テーブルを挟んで俺の正面に立ち姿勢を正した。
「先程は大変申し訳ありませんでした」
「あ、いや……」
「判断を誤りました」
そう言って頭を下げた先生。咄嗟に立ち上がろうとしたが、急に立ち上がらないようにと、先生に止められた。
「先生のせいではありません。私の頭ですよね、原因は」
「それでも、きっかけを作ったのは私です」と言いまた頭を下げた。
あまりに恐縮している先生に、俺の方が恐縮してしまう。
頭痛は嘘のように治まり、思考はクリアだ。今は何より話の続きが気になる。
「私は大丈夫ですので、頭を上げてください。それより、先程の続きを聞かせてください」
先生はもう一度頭を下げると、ソファに腰を下ろした。
後ろに立っていた大元は、回り込んで先生の隣に座った。
「おい!なんでお前がそっちなんだよ!」
「だって私、原因を聞いちゃいましたから。今からは、先生の助手ということでお願いします」
おい先生、俺にプライベートはないのか。
「あの……。失礼を承知でお尋ねしますが、個人情報は、お気になさらないのでしょうか?」
「えっ、お二人はお付き合いされているのではないのですか? 先ほどもあのままお二人で聞くご様子でしたし、仲も良いので、てっきりそう思い込んでしまいました。重ね重ね申し訳ありません」
大元に目をやると、目をつぶってゆっくり首を横に振っている。
「付き合ってはいませんが、確かにあのまま聞くつもりではいました。私も不躾な質問をしてすみませんでした。続きをお願いします」
「では、お話する前にひとつ……。思い出そうとすると、また先ほどのようになる可能性がありますので、ご自分のことではなく、一般的な話だと思ってお聞きください」
ここからは俺の話じゃない。他人事。一般的な話だぞ。俺!
「人は辛い体験をした時、ストレスを感じます。ただ、それを和らげる手段を、皆さん何かしら持っているものです。誰かに聞いてもらったり、カラオケで大きな声を出したり、美味しいものを食べたり。例えすぐに対処できなくても、時間が辛さを和らげてくれるまで待つこともできるでしょう」
「辛い記憶は消せないが、そこから生まれるストレスは和らげることが出来るということですね」
「そうです。ただし、これはある程度社会経験を重ねてきたからできること。経験の少ない子供の場合は泣くしかありません。心に収まりきらない感情を、泣いて和らげるのです。それでも治まらない場合……」
「それでも治らない場合?」
「次は辛い記憶ごと無かったことにしようと、脳が働くことがあります。ありていに言えば、思い出せないよう記憶に鍵を掛けてしまうのです。これは、自我を守るために無意識に行われる自己防衛反応です」
「自分で記憶喪失になった、みたいなことですか?」
「ええ、選択性健忘と言い、自分に都合の悪い記憶だけを忘れてしまいます」
「で、私の場合がそれだと?」
「はい。閉じ込められた記憶にこの歌が含まれているのでしょう。鍵を開けようとする兆しを感じると脳が危険と判断し、これ以上記憶に近づけないよう、頭痛や目眩といった症状を引き起こしていると考えられます」
過剰な防衛反応、といったところか……。
「先ほど、歌手の名前に強く反応されたので、この歌が流れていて、歌手の話をされている時に、よほど辛い体験をされたのだと思います」
「まったく実感がないので納得はしてませんが、理屈はわかりました……。それで、治す方法はあるのですか?」
「症状を和らげる薬はありますが一時的なものです。ゆっくり時間をかけてカウンセリングを受けていただくのが治療法となります。しばらく通っていただくことになりますが、実生活で困らないのであれば、このまま放置しても構いません」
この歌を聞かなければいいだけのこと。回避する方法はいくらでも考えられる。
「悠大さんの場合、お兄さんとは良いご関係のようですので、当時のお話などをされると解消する可能性があります。その時注意していただきたいのは、思い出そうとしないこと」
「思い出そうとすると、今日みたいになる、というわけですね」
「その通りです。あくまで、ご自分ではなく、誰かの物語として聞いてください。ご心配ならここでお話されると良いでしょう。それならば私もサポートできます」
一呼吸おいて、先生は続けた。
「ただ、楽しい記憶として残っていることを考えると、原因は別かもしれません」
「別というと?」
「これも可能性に過ぎませんが、小学校に上がったばかりというタイミングを考えると、お兄さんとの関係を同級生に馬鹿にされ、いじめられたとかでしょうか。あくまで一つの可能性です」
何も出ないかもしれないが、兄と話してみる価値はありそうだ。
「わかりました。一度、兄と話してみます。その上で今後どうするか考えたいと思います」
当時のことを思い出そうとしない、歌を聴かないというのが、当面の対策だ。これなら対処しようがある。
少しほっとして、前かがみになっていた身体を背もたれに預けた。
先生は窓の方に目をやると、立ち上がってドアの方へ向かった。
照明のスイッチを入れ、こちらに戻りながら話しかけてきた。
「ところで……、この歌はどこで入手されたのですか?」
「兄がレコードを持っていました。ただ、きっかけは、知人から預かったカセットテープです。それを聴こうとラジカセを借りに行ったところ、偶然、兄が知っていました」
先ほどと同じ席に腰を下ろす先生。
「その知人とはどのようなご関係なのですか?」
「私が連載を持っている雑誌の読者です。いただいたメールが興味深かったので取材をさせてもらい、その時この歌を知りました」
「ほう、読者さんですか。お幾つぐらいの?」
なんだこの違和感。この先生、どこに食いついているんだ。そういえば、教えていない歌手の名前を口にしたぞ。
「志波田先生は、この歌を、ご存知だったのですね」
(つづく)
エンディング
ー Spacial Thanks ー
この物語はフィクションです。
実在する人物・団体とは一切関係ありません。
0.君はよしんば千秋を知っているか?
1.僕だけが聴けない歌
2.音楽と記憶
3.過剰防衛
4.事情を知る人物
5.央里文乃
6.よしんば、揃ったとして
7.千秋あおい
8.あおいと文乃
9.兄弟喧嘩(最終話)
主な登場人物
悠大 達人(ゆうだい たつと:男性):
この物語の主人公。フリーの音楽ライター。
大元 彩子(おおもと さいこ:女性):
音楽雑誌の出版社に務める編集者。悠大とは先輩後輩の関係。彼がフリーになってからも先輩と呼び慕っている。
志波田 一尉(しばた いちい:男性):
志波田医院のオーナーにして、自称ボイストレーナー。業界の重鎮。
よしんば千秋(よしんばちあき:女性):
1970年代後半に活躍したアングラ界の歌姫。
吉田公輝の母親。彼が一歳の時に他界。
TALES版
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