但馬in Seoul その4
ソウル中区の安重根義士記念館。実はここも既視感いっぱいで、自分としては見るべきものはあまりなかった。やはり、安重根一人でこの広い記念館をもたせるのには無理があるような気がする。どちらかといえば、天安の独立記念館のほうが面白かったかもしれない。なんたってハルピン駅での安重根の伊藤博文狙撃の瞬間を等身大の人形で再現されているのだ。
そもそも安重根が韓国で英雄になったのは、むしろ戦後(彼らの言うところの光復後)のことで、事件当時の朝鮮の反応は上も下も「バカなことをしてくれたものだ」というのが一般的だった。そりゃそうだろう、“元”がつけど、日本の総理大臣だった人間を暗殺したのだ、宣戦布告されてもおかしくない状況にあったわけで、その重大テロリストを通常の刑事被告人として裁判にかけ法にもとづいて処罰した、これだけでも日本が当時アジア有数の法治国家であることの証明ではないか。金玉均の無残な最期(閔妃の放った刺客によって射殺され、遺体は四肢を切断され晒された)と比べてほしいものだ。
ハーグ事件以後、伊藤に退位を迫られ誰よりも伊藤を煙たがっていた高宗でさえ、伊藤を「わが国にとって慈父のような存在」とその高徳を讃え、安重根を「無頼のならず者」と切り捨てている。
安重根の犯行が、計画から実行まで単独で行われていたとしたのなら、併合に消極的だった伊藤を殺し、日本の世論を一気に併合やむなしに傾けたということで英雄どころか、実にマヌケな男といわざるをえない。
一方で、安重根鉄砲玉説、あるいは安はダミーで狙撃者は他にいるという説も根強い。犯行後、安が「朝鮮万歳」でも「大韓帝国万歳」でもなく、「コリア・ウラー!」とロシア語で叫んだことを考え合わせると興味深い。

記念館を訪れた人は、館内のいたるところで、安重根の断指した手形のマークを見かけることになる。これは安重根が彼を含む抗日組織をロシアの沿海州(ウラジオストク周辺)で結成した際、左手の薬指の第一関節を切断し、その血で太極機旗に「独立」としたため手形を押したことに由来している。この組織を「断指同盟(同義断指会)」と呼び、薬指の欠損した安の手形は、反日教を民族宗教とする韓国人たちにとって、クリスチャンの十字架のような信仰のシンボルとなっている。やはり、われわれとは感性を異にする人たちだ。




植民地民族記念館。ここは2018年オープンというから、数多い抗日記念館の中でも比較的新しいもののようである。特徴としては、韓国の市民団体「民族問題研究所」が中心となり、日韓両国の市民からの募金や資料寄贈によって造れたという。つまり、日本の左翼団体が関わっているらしい。
同資料館のHPにはこんなことが書かれてある(韓国語をAI翻訳)。
《韓日の市民社会は、日本帝国主義による朝鮮侵略、植民地支配の実態、反人道的な犯罪の真相を究明し、被害者の尊厳を回復するために、ともに行動してきました。しかし近年、それらの成果を破壊する歴史修正主義の跋扈が、日韓ともに、ますます深刻になっています。このような状況の中、民族問題研究所と「市民歴史館建設委員会」は、植民地主義の清算と東アジアの平和を実現するための活動の拠点となる植民地歴史博物館を建設する必要があると切実に感じてきました。植民地歴史博物館において、朝鮮近現代史に関する資料の収集・保管、調査・研究、展示・教育、さらに市民交流を実践していくことで、日帝強占期の歴史を総体的に記憶し、市民の力で推進してきた過去清算の歴史もきちんと記録し、青少年や市民のための歴史教育機関としての役割も着実に遂行し、未来へつなげていきたいと考えています。》
過去の歴史は歴史といて、そもそも国交を結んだ時点で、国家間の清算は済んでいるのである。こんな箱モノばかりいくつも建てて、日本にああされた、こうされた、と内外に喧伝(しかも明らかな嘘の展示も含めて)したがるのも、見方を変えれば、己の非力と無力を晒しているようなもので随分と自虐的だ。おそらく、採算の取れている施設はそう多くはあるまい。

1コーナーまるまるかけて戦争時代に関する展示が行われているのも、今いったような事情によるのだろう。寄せ書きをした日の丸やサーベルなど、おそらく、日本の活動家から寄贈されたものと思われる。解説はすべて韓国語だから、読むことはできないが、内容はおよそ察しがつく。「日帝によって朝鮮の若者が、侵略戦争に駆り出された」、そんなところだろう。
これは言っておかなくてはならないが、先の大戦での朝鮮人日本兵はそのほとんどが志願兵だ。昭和12年8月、支那事変が勃発すると、在郷の朝鮮人学生が築地本願寺に集まり、「朝鮮にも徴兵制を」という旨の決起集会を開いているのだ。彼らの士気と情熱は内地人の若者以上だった。歴史的に支那には虐められてきただけに、皇軍兵士として堂々と暴支膺懲の一番槍を取りたかったのだろう。翌13年、朝鮮人陸軍特別志願令が公布されると応募者が殺到。毎年それは増え続け、日米開戦の翌年の昭和17年には競争率約62.4倍の狭き門となった。これが歴史の事実である。

目を引いたのは、第4ゾーンにある反民族委のコーナーである。
1948年、大韓民国が建国されると、初代大統領に就いた李承晩は、「反民族行為処罰法」(反民法)を制定した。これは,[日韓併合に賛同した者、日本の統治に協力的だった財界人、言論人、文化人、日本の爵位を受けた者、総督府の元官吏、帝国議会の元議員、独立運動(実態はテロ)を妨害した者、を「反民族行為者」(民族反逆者)として処罰するもので、最高刑は死刑(一審のみ)。その他にも懲役、財産没収、公職追放などの過酷な刑が下されるものであった。
いわゆる親日派(チムイルパ)狩りである。そのために「反民族行為特別調査機関」を設け、反民族行為者のリスト作りと逮捕をまかせた。このナンセンスきわまりない悪法はすぐに廃止されたが、逮捕者の多くは、日本統治下の高等教育を受けた、政治、教育、文化各方面のエリート、インテリゲンチャだった。反日に狂う李承晩は大韓民国の未來を担うそれら人材をあわや抹殺しようとしたのである。
※反民族委については▼も参照のこと


※金活蘭についてはこちら▼も参照のこと
※朴興植についてはこちらも▼参照のこと
※方應謨、朴春琴についてはこちら▼も参照のこと
※朴春琴についてはこれも
果たして彼らが民族の裏切り者なのだろうか。
(つづく)
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