聖獣バロンと魔女ランダの棲む神々の島バリで、魑魅魍魎の跋扈するゲゲゲの世を空想する夏休み(後篇)〜極楽だかは知らんけど、未来のあの世を100倍楽しみに待つ方法。
神々の島バリの顔・聖獣バロンは、獅子舞の獅子に似て”森の王”の異名を取り、善の象徴である。
対する魔女ランダは”未亡人”を意味し、シヴァ神の妻の化身とも云われ、日本の鬼子母神とも同一視される。長く垂れ下がった舌や乳房がエグい老婆で、悪の象徴である。
この両者が永遠の戦いを繰り広げる。
バロンのパッと見は、獅子や神社の狛犬(高麗犬)、ゲゲゲの鬼太郎にも登場する琉球のシーサー、あるいはキリンビールの聖獣・麒麟なども想起させる。

ランダのパッと見は、そのまんま妖怪鬼ババアであろう。マニア的には、ゲゲゲの妖怪砂掛けババアを連想させるが、ランダは、あんなキュートなババアではない。

一方で、世の中のあらゆる言語に”龍”を現す単語が存在する普遍性からも、水木しげるら先人達が第六感を研ぎ澄ませて描いた想像上の妖怪や妖精、魑魅魍魎が、軒並み死後の世界に実在すると考えて、今から身構えておく方が、余生は断然面白いはずだ。

18年前に父が亡くなった折、僕は呑気にプカプカとキューバの海に浮かびながらも、やたら身体が気怠く、やたら嫌な予感に苛まれた心身の記憶が残る。帰宅した僕宛の遺書には冗談ばかり並べられていたが、夢で見たあの世の絶景や「この身体は借り物のぬいぐるみで、本来の姿ではない」とも記されていた。後日「お父さんが妖怪になって夢に出た!」と喚く母に苦笑しつつ、ゲゲゲの父の実像を妄想した。あの世とこの世の姿は、違う方が当然、必然、自然であろう。

いつかあの世で、イケメンだった父と再会出来た暁には、ゲゲゲの妖怪か、バリヒンズーの獣か、その他魑魅魍魎の姿か、いづれにせよ、何か怪しい姿で明るく笑って出迎えてくれる父を予想しておいた方が無難であろう。

あるいは再会するや否や、狛犬みたいな姿でガブリと噛みつかれ、あの時、カリブに遊んで死に際会えなかった報復の一撃を浴びるかもしれんし、それが甘噛みならば嬉しいが、自分自身も既に何者か、本来の怪しい姿に変わった後なのかもしれない。

選べるならば、麒麟に変身叶えば恐悦至極の極楽浄土デスが、ゲゲゲのシーサーでも満悦デス。

酒豪でもなかったくせに、父の遺書には「あの世では酒も呑める」とも走り書きされていた。だとすれば、麒麟ラガービールで父と再会を祝したいが、果たしてそんなんありますか?
オートバイに股がってバリの海道を駆け抜けながら、ゲゲゲの世の空想・妄想も、また駆け巡る。(完)


