断捨離シリーズ─【#2】同じ場所を行ったり来たりしていた10年間で、私が見ていなかったもの
こんにちは、サチです。
前回の記事で、
「断捨離できない私は、ママ失格だと思っていた頃の話」
を書きました。
今回はその続きです。
なぜ私は、10年間も「今度こそ」と思っては止まり、片付けては元に戻り、同じ場所を行ったり来たりしていたのか。
「意思が弱いのかも」「子どもがいるから仕方ない」と言い訳を探しながら、どこかずっとモヤモヤしていたあの頃の私が、実はずっと見ていなかったものについて書こうと思います。
誰かの目と、過去の私を基準に残していたモノたち
断捨離をずっと続けていたのに、モノはなかなか減りませんでした。

部屋を見渡しても、どれも一応理由があって残しているモノばかり。
チェーンが重いブランドバッグ(高かった)
義母にもらったワンピース(全く好みじゃないけど)
スマホの外箱(売る時のため…のやつ)
1~2歳の頃長男がお気に入りだったアンパンマンカー(もう長男11歳、次男6歳🤣)
私が高校時代使った、思い出のアコースティックギター(子どもたちの情操教育に良いかも) などなど。
その頃の私にとっては、意味のある選択でした。
「今の私」は、判断基準に入っていなかった
振り返ると、その時の判断基準はほとんど「今の私」ではありませんでした。
過去にお金をかけたか。
もらった時の関係性や気持ち。
いつかのために役に立つか。
誰かにどう思われるか。
「今の私がどう感じるか」よりも、「誰かの目」や「過去の選択」をずっと優先していたんだと思います。
だから、どれも間違った選択じゃないのに、どれも今の私にはしっくりこない…それなのに、部屋の中にはずっとその名残がある。
そりゃ、なんとなく落ち着かないし、片付けてもスッキリしないはずだよな〜😇と今ならはっきり分かります。
断捨離が進まなかったのは「意思が弱いから」「子どもがいるから」じゃなくて、「今の私」を基準に選んでいなかったからです。
見ていなかったのは、「今の私」だった
・今、どんな暮らしが心地いいのか
・今、何を大切にしたいのか
・今、どこにエネルギーを使いたいのか
こういう問いを、ちゃんと自分に向けたことがなかったんですよね。
(自己啓発本何十冊も読んだのに、頭の中でなんとな〜く考えるだけで、ノートに書き出したりを一度もしたことがなかった)
なので自己理解を始めた当初は、自分の感情や価値観がよく分かりませんでした。
戸惑いつつChatGPTに手伝ってもらいながら、時間をかけてひとつひとつ手探りでワークを埋めていきました。
(ChatGPTとの壁打ちがなければ、途中で諦めていたかもしれません😂)
自分のことが全く分からない
ワークを進めていく中で、最初に感じたのは「分からなさ」でした。
好きなことは?
大切にしたいものは?
心地いい状態って?
質問に対して「え…?🤔」「うーん…🤨」となかなか言葉が出て来ず、誰に見せるわけでもないのに頭ではすぐに「どう答えるべきだろう」「正解は…?」という思考になる。
回答例を見ながら「自分に近いかもしれない」という回答を書き出したところで、それが本音なのかどうかが全然分からない😇
今までの私は、「ちゃんとした答え」「間違ってなさそうな答え」そういうものを優先して選んできたから、自分の感覚をそのまま感じる、ということをほとんどやってこなかったんだと思います。
そもそも「自分の感覚をそのまま感じる」ってどういうこと???😂
振り返ると、「30代 やっておくべきこと」「保護者会 ママ ファッション」とか検索しまくり、誰が提示したのかも分からないのに世にある「正解」ばかりをめちゃくちゃ探してたな…と思います。
だから最初は、「これって本音?それとも思い込み?」「今の気分なだけじゃ…」と、自分の回答にも自信が持てず、迷ってばかりでした。
モノが教えてくれるようになった
それでも、時間をかけて「今、どう感じてるのか」「それを選んだ時、体はどんな反応してるのか」、そんな問いを重ねていくうちに、少しずつ、自分の中に“基準”みたいなものが育ってきました。
育ってきたというか掘り起こされてきたみたいな感覚だったかもしれません。
すると不思議なことに、いつのまにか断捨離が「気合い入れて頑張る作業」じゃなくなっていきました。
捨てよう・減らそう・整えようじゃなくて、「あ、これは今の私には合ってないな」「これはもう役目を終えてるな」というふうに、手にとったモノの方から答えが見えてくる感覚。
例えば、ずっと部屋の一角で鎮座していたアコースティックギター。
私が高校1年で軽音楽部に入った時に、お小遣いで買いました。
猿岩石の「白い雲のように」を、課題曲として一生懸命練習したなぁ…という青春の思い出があります。なっつかしー。↓同世代の人、再生どうぞ笑
楽器に触れることが子どもたちの情操教育に役立つかも、と取っておいたけど、もう弦が切れててまともに弾けないしわざわざ弦を替える気力もない😂
長男が生まれた時に実家からわざわざ持ってきたギター。
次男が生まれて引っ越した時も新居に持っていったギター。
長男も次男も(多少)遊んだギター。

寂しさは少しありましたが、「20年以上もありがとう」「もう十分役目を果たしてくれたな」と感じられて、迷いなく手放せました。

自分の感覚を大切にする気持ちよさ
自己理解を進めるうちに、断捨離が止まっていた10年間の見え方が変わりました。
あの時間は、サボっていたわけでも、意志が弱かったわけでも、子どもがいるから無理だったわけでもなくて、ただ、自分の感覚に戻るための準備期間だったんだ!と思えるようになりました。(10年て…長いけどね😂)
断捨離が進むようになったというより、「選ぶこと」が楽で、楽しくなりました。
何を残すか、
何を手放すか、
何を大切にするか。
それを、他人の目や過去の自分じゃなく、「今の私」で決められるようになった。
なんて、なんて、気持ちいいんだ〜〜!!!!!😂✨✨
この感覚の変化を味わえたことが、私にとっては何より大きかったと思います。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回👇
断捨離シリーズ─【#3】断捨離が、急に楽になった日
(※公開後にリンク貼ります。1/3公開予定)
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