断捨離シリーズ─【#7】自宅の断捨離と、実家の断捨離はまったく別物だった
こんにちは、サチです。
前回の断捨離シリーズ【#6】では、断捨離が進むと「考えなくていいこと」が異常に増えて、頭の中が静かになっていく…という話を書きました。
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やらなくていい判断、
迷わなくていい選択、
自分に説明しなくていい言い訳。
それらが減るだけで、日常はこんなにもラクになるんだ、と。
ただ、その一方で、ひとつ気づいたこともありました。
この“ラクさ”は、自分の感覚で、自分のモノを、自分で選び直しているからこそ成り立っているものなんだ、ということ。
そんなことを考えていたタイミングで、1月の三連休に、実家の片付けを手伝いに行くことになりました。
2階の洋服タンスだけやるつもりで
事前に母には、「2階の洋服タンスの整理だけしよう」と伝えていました。

「もし捨てられるものがあれば、先に捨てておいてね〜」とも言っていましたが、当日見てみると、一着も整理されていませんでした(笑)。
まぁ、想定内です。
今回は、母に私のやり方(「快・不快」を言語化したり)で片付けを進めるつもりは全くありませんでした。
とにかく最初は、“こんなに持っている”という事実を、目で見て認識してもらうこと。
そして、「さすがにもう使わない」「これは要らない」と、誰でも判断できるものだけを減らす。
それだけでも、相当量が減るのは分かっていました。
最初の扉から、大量のハンカチ
まずは、タンスの小さい扉から。出てきたのは大量のハンカチ。

一枚一枚に強い思い入れがあるわけでもない。
でも、なんとなく取ってある。
結果的に、ハンカチだけでも半分に減りました。
この時点で、母の表情が少し変わったのを覚えています。
「新品なら、売ればいいじゃん」
次に引き出しを開けると、すでに実家を出ている兄の服が大量に出てきました。

「この家にいない人の服、さすがにこんなに取っておく必要なくない…??」と聞くと、「でも、これ新品なのよね……」と言いながら、戻そうとする母。(コラコラコラ〜〜〜)
そこで、「新品なら、売ればいいじゃん」と言ってみました。
すると、「…じゃあ、売っといて」。
ここから、一気に流れが変わりました。
「これももう売って」「これも」と、兄の服だけでなく、他のタンスから自分の服まで持ってくるようになったのです。
母には、「捨てる」より「お金に換える」という選択肢の方が、しっくりきたみたいです。
この片付けを通して、私は「母が変わった」というより、自分の関わり方が変わったんだと、あとから気づきました。
服から、株主優待品へ
途中で、母の「売る興味」が、服から株主優待品に移りました。
1階の、元・私の部屋。
そこには、株主優待品の段ボールが山積み。
これは、母が欲しいと思って買ったものではなく、勝手に送られてくるもの。だから、手放しは簡単でした。
どんどん段ボールに詰めていくと、今度はクローゼットの中からも「これも要らないから」と出てくる。
気づけば、不用品を詰める段ボールが足りなくなり、一旦中断。
スーパーで段ボールをもらいながら思ったこと
近所のスーパーに段ボールをもらいに行く時、子どもたちも一緒に来てくれました。
三世代で、段ボールを抱えて歩く。
「イベント」というほど大げさなものではないけれど、なんだか静かで、いい光景だなと思いました。
片付けって、本来はもっと日常的で、もっと生活の延長にあるものなのかもしれません。
そもそも、この片付けを私は、義務感や「やらなきゃ」でやっているわけではありませんでした。
母のことを、もう少しちゃんと知りたいな、と思ったのも理由のひとつです。
何が大切で、
何が好きで、
何をしていると心が満たされるのか。
今まで、あまり意識して考えたことがなかった。
断捨離という手段を使って、家を整えながら、そういうことを少しずつ知れたらいいな、と最近思うようになって。
もちろん、もし将来、両親が亡くなったら片付けが大変だ、という現実的な理由もあります。
でも、そんなことをそのまま言ったら、「縁起でもない!!💢」と怒られるのは目に見えています。
だから母には、こんな聞き方をしました。
「もし理想の家に引っ越すことになったら、この家のモノ、お金かけて全部持っていく?」
母は、今の家にずっと不満を持っている人です。
だからこそ、この問いは、少しだけ前向きに届いた気がしました。
モノが溜まっていく、よくある理由
要らない、使わない。
でも、捨てるのはもったいない。
人にあげるのは面倒。
今流行りのメルカリに出品する仕方なんか分からない。
だから、「このままでいいや」となって、モノが溜まっていく。
2人暮らし(+小型犬)なのに、2階の部屋はモノでいっぱいでした。
特別な話じゃないと思います。

もし昔の私だったら
ここで、ひとつ思ったことがあります。
もしこれが昔の私だったら、「こんなの要らないじゃん!捨てなよ!!」と強要していたと思います。
母が「もったいない」と言って捨てなければイライラして、ケンカになって、「もういい!ゴミ屋敷にずっと住んでれば?!」と言って、投げ出していたと思います。(←経験談です笑)
変わったのは、母じゃなくて私の方
でも今回は一度もイライラせず、一日中、母と一緒に片付けることができました。
それは、母が変わったからではなくて、私の関わり方が変わったからだと思います。
自分自身のことを知って、「これは私の課題」「これは母の課題」と分けて考えられるようになった。
だから、相手を変えようとする代わりに、観察したり、考えたりできるようになった。
その結果として、一緒に進められる時間が生まれたんだと思います。
私の制服と、母の愛
ちょっと余談ですが、タンスの奥から、私の高校時代の制服も出てきました。
クリーニングされて、丁寧に取ってあったもの。
さっき処分した兄の服も、防虫剤や除湿剤で「きれいに保とう」としていていて、母の愛情を感じました。
私は制服の写真を撮って、「綺麗に取っておいてくれてありがとうね。
写真に撮ったから、もうさよならするね」と言って、ゴミ袋に入れました。
そして正直、私も将来同じことをするかもしれないな、と思いました。
我が子が学校を卒業した時、本人が「制服もう捨てていいよ」と言ったとしても、自分の手では処分できないかも…。
クリーニングに出して、いつでも青春時代を思い出せるように、きれいにとっておくかも…。
そんなことを想像したら、なんだかうるっとしてしまいました。(涙腺弱)
母はいつだって、子どものことを想っている。
7〜8時間で、段ボール14箱
そんなこんなで、その日だけで、7〜8時間は片付けに費やしました。
段ボール14箱、ゴミ袋6袋。

体感では、100あるうちの2〜3が減ったくらい。
まだまだ、道のりは遠い。。。
でも、翌日、段ボールを引き取ってもらったとき、母が「スッキリしたね〜!😊✨」と嬉しそうに言ってくれました。
この感覚が、少しでも「捨てる=気持ちいい」につながってくれたら、今回は十分大成功だと思っています。
自宅の断捨離と、実家の断捨離は別物だった
今回の片付けで、はっきり分かりました。
自宅の断捨離と、実家の断捨離は、まったく別物。
同じやり方は使えないし、同じスピードも求められない。
まずは、過剰にある不用品を減らすところから。
母の「大切なもの」や「心地よさ」に辿り着くには、まだもう少し時間がかかりそうです。
でも、少しだけロードマップが見えたことは、大きな前進。
次は3月になるかな〜
リバウンドしていないことを、祈るのみ。
断捨離って、モノを減らす話だけじゃなくて、人との距離感を見直す話でもあるんだなと、今回あらためて感じました。
次は、そんな母の「もったいない」という感覚を以前ほど否定しなくなった自分について、もう少し書いてみようと思います。
また続きます。
次に読むのにおすすめ🌿
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回👇
断捨離シリーズ─【#8】親の「もったいない」を、否定しなくなった日
(※公開後にリンク貼ります。1/21公開予定)
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