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NULL ― 何も定義されてない世界|第1話|違和感

※この記事は連載小説『NULL ― 何も定義されてない世界』の第1話です。
この世界には、まだ説明されていないことが多くあります。
初めての方は「連載前のご案内」から読むと、世界観や登場人物を把握しやすくなっています。


──────


ノアが最初に見たのは、空だった。

窓の外に広がる青は、どこまでも均一で、雲の形さえ整いすぎている。

飛行機の窓越しじゃない。街の中にいるのに、空が「展示物」みたいに見えた。

(気のせい。初日だし)

自分に言い聞かせながら、ノアは校舎の入口をくぐった。


―――


白とネイビーを基調にした服装は、機能的で、目立たない。

胸元のバッジには、所属と役割が短く表示されている。

管理者(新人)
NOA

「新人」という文字だけが、軽い。


―――


受付は無人だった。代わりに壁面ディスプレイが静かに点灯し、ノアの顔を認識する。

次の瞬間、薄い光の文字が順番に流れた。

管理端末:初期ログイン完了
配属:学園都市ブロックA
職務:学級管理補助
派遣理由:人員補充(通常枠)

(まあ、そんなもんだよね)

ノアは笑いもしないまま、息をついた。


―――


端末は続けて、規約を表示する。

読んでいるうちに、ある一文だけが、目に引っかかった。

※外部情報の都市内共有は禁止されています。

(当然、か。管理職なら)

そう思ったのに、喉の奥が固くなる。

「外部」という単語が、ここではやけに遠い。


―――


廊下は広い。床の継ぎ目が見えないくらい滑らかで、足音が吸い込まれていく。

掲示物は整っていて、過不足がない。

色も、形も、配置も、"ちょうどいい"。
――ちょうどよすぎる。

ノアは、教室前のプレートを確認した。

2年A組
管理対象:36

学生の数を指すだけの言葉なのに、心臓のあたりが揺れた。

(学生なのに…管理対象。)

ノアは自分に言い聞かせるように、扉を開けた。


―――


教室の空気は静かだった。

ざわめきがないわけではない。小声も、視線の動きもある。

でもそれらは、いわゆる「思春期の教室」にある湿度とは違っていた。

整っている。

机の位置、姿勢、距離感。

誰かが指示したわけでもないのに、最初からそうなっているみたいな――整い方。


―――


ノアが教卓に向かうと、視線が一斉に集まった。

その瞬間、ノアは気づく。

(見られてる、じゃない)

(確認されてる)


―――


教卓の前に立つ。

手のひらが乾いているのが分かった。緊張じゃない。冷たい感覚。


―――


「えっと……」

声が遅れて出た。

「私は今日から、このクラスの管理担当になります」

"管理"。

その言葉が、喉の奥で固くなる。

教師でもなく、担任でもなく、管理。

教室の誰も、驚かなかった。
普通に、うなずく。

「そうなんだ」と言う代わりに、処理する。

ノアは、笑顔を作るのをやめた。


―――


「今日から、記録と確認の流れが変わります。難しいことはありません」

言いながら、ノアは教室を見渡す。

全員が美しい、という言い方は正しくない。

でも"整っている"。

肌の質感も、髪の艶も、服のシルエットも、ばらつきが少ない。

(……制服じゃないのに)

服装は自由に見える。

それでも、自由の振れ幅が小さい。

どこかで"最適化"された自由。


―――


ノアの視線が、窓際で止まった。

後方の席。
窓の向こうの街並みを見ている生徒がいる。

景色を眺めているというより、
何かを確かめているような視線。

ノアは言った。

「……街を見るのが好きなの?」


―――


生徒はゆっくり振り返った。

白に近いライトグレーの髪。目は落ち着いている。

感情の濃淡が薄いのに、視線だけが鋭い。

「うん」

短い返事。

ノアは、その生徒の名札を見た。

KANATA
(カナタ……)

読み取れない。性別も、肩書きも、何も。


―――


ノアは、言葉を選びながら続けた。

「この街……どう思う?」

質問してから、ノアは自分の言葉を後悔した。

(変だ。住んでいるなら、どう思うも何も)


―――


カナタは目を細めた。

考えるというより、部品を確認するみたいに、間を置く。

「……いいと思う」

「いい?」

「うん。危ないことがない。困ることがない」

ノアは頷いた。
その答えは正しい。正しすぎる。

「……それは、安心だね」

カナタは首をかしげた。

「安心?」

「不安がないってこと」

カナタは短く答えた。

「そう」

その「そう」が、どこにも寄りかからない。

感情じゃなく、定義を確認しただけの声。

ノアは、そこから先が続かなかった。

"楽しい?"と聞きかけて、言葉が出ない。

(……楽しいって、なんだっけ)

ノアの胸に、薄い穴が空いた。


―――


教室の前方で、別の生徒が手を挙げた。

「管理担当は、なにをするんですか」

声は丁寧で、澄んでいる。

まるで文章を読むみたいに、滑らかな話し方。

ノアが視線を向けると、その生徒は微笑んでいた。

微笑んでいるのに、表情の奥が動いていない。

「記録の確認。規定のチェック。必要なら、修正の提案」

「なるほど。最適化ですね」

生徒はそう言って、自然に頷いた。

"最適化"。

ノアは笑いそうになって、やめた。

この街では、その言葉が普通の会話に混ざる。

(……ここ、学校だよね)


―――


ノアが手元の端末を起動すると、小さな通知が一件だけ出る。

都市状態:安定 
逸脱率:0.002%
管理AI:NULL

「NULL。」

ただの管理AIの名前。

それだけのはずなのに、"空白"のように感じる。

ノアは画面を閉じた。

「じゃあ、始めましょう」

そう言いながら、ノアはもう一度だけ窓の外を見た。

空は変わらない。

街は整っている。

安心で、安全で、安定している。

――それなのに。

(何かが、足りない)

その名前を、ノアはまだ知らない。

──────


※本作はフィクションです。

社会環境やAI活用の中で感じた
正しさが判断の居場所を無くす瞬間」をモチーフにしています。

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予告
誰も「問い」を持たない街。
会話は成立する。

だが、どこか噛み合わない。
完璧な日常の中で、
ノアは“質問の消失”に気づく。


次回
NULL ― 何も定義されてない世界|第2話|質問の消失


前回
「NULL ― 何も定義されてない世界」について|連載前のご案内

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▼思考の分岐点シリーズ一覧

この順番で読むと理解しやすくなっています。(思考の進行順)

思考の分岐点(ステップ1|選択


現場責任者の問い(ステップ2|責任


分岐点の問い(ステップ3|体験
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