NULL ― 何も定義されてない世界|第4話|自由
※この記事は連載小説『NULL ― 何も定義されてない世界』の第4話です。
この世界には、まだ説明されていないことが多くあります。
初めての方は「連載前のご案内」から読むと、世界観や登場人物を把握しやすくなっています。
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アキラは、走るのが好きだった。
正確には、「走っている状態」が好きだった。

息が切れて、身体が熱くなって、周囲の音が遠のく。
その瞬間だけ、頭が静かになる。
(今、考えてない)
それが心地よかった。
―――
体育館は広い。
天井が高く、音が反響しない設計。
運動に最適化された空間。
アキラは一人でトラックを周回していた。
タイムはいつも一定。
速くも遅くもならない。
身体は"ちょうどいい状態"を保っている。
―――
ノアは、観覧席からそれを見ていた。
「アキラ、休憩しないの?」
アキラは立ち止まらず、振り返る。
「まだ平気」
「平気、って……疲れない?」
「疲れるけど、嫌じゃない」
ノアは聞いた。
「走るの、楽しい?」
アキラは、初めて足を止めた。

「……楽しい?」
「うん」
アキラは天井を見上げる。
「分かんない」
「分かんない?」
「嫌じゃない。でも……楽しいかって言われると」
アキラは言葉を探す。
「……何か足りない感じ」
ノアの胸が、ざわつく。
「足りない、って?」
「多分、"これじゃない"って感じ」
ノアは、ゆっくり言った。
「それって……自由じゃない?」
アキラは笑った。
「自由?」
「自分で選んで、やりたいことをやる感じ」
アキラは首を傾げる。
「でも、俺……選んでない」
「え?」
「走るの、最初から決まってた」
ノアは一瞬、言葉を失う。
「……自分で運動部に入ったんじゃないの?」
「入った」
「じゃあ、それは選んだんじゃ……」
アキラはあっさり言う。
「"向いてる"って言われたから」
「誰に?」
「……環境に」
ノアはその言葉に、また喉が詰まる。
「じゃあ、アキラは自由だと思う?」
アキラは考えてから答える。
「自由って……何?」
ノアはすぐに答えられなかった。
「……好きなことをする」
アキラはすぐ返す。
「好きって何?」
ノアの口が、止まる。
(あれ?)
「……嫌じゃないこと?」
アキラは小さく笑った。
「それなら、ここは全部自由だよ」
ノアは、反論できなかった。
嫌なことは無い。
危険も無い。
制限も無い。
でも――
「じゃあ、アキラは何したい?」
ノアはもう一度聞いた。
アキラはしばらく黙ってから言う。
「……分かんない」
「分かんない、けど…」
「……分かりたい」
ノアは、その言葉に救われた気がした。
「何を?」
アキラは、困ったように笑う。
「"楽しい"ってやつ」
―――
ノアは、はっとする。
(アキラの"楽しい"って)
(何のことを、言っているんだろう)
―――
アキラは続ける。
「ノアさんが来てから、思ったんだ」
「何を?」
「ノアさん、時々"嬉しそう"じゃん」
「……え?」
「笑ってる時、他の人と違う」
ノアは、自分の頬に手を当てる。
「……違う?」
「うん。理由がある感じ」
ノアは、視線を逸らした。
(理由)
ノアの笑顔には、確かに理由がある。
思い出。比較。期待。後悔。
全部、ここには無いもの。
アキラはぽつりと言った。
「俺も、理由が欲しい」

ノアは、返事ができなかった。
―――
その日のログ。
観測メモ
対象:AKIRA
行動傾向:衝動性あり
自由認識:未定義
快楽語彙:不明確
「快楽語彙。」
ノアはその項目を見て、背筋が冷えた。
("楽しい"って、データ項目だったんだ)
―――
アキラは自由を求めている。
でも実際は、
自由ではなく
「楽しいという感覚」を探しているだけ
なのかもしれない。
ノアは思った。
(ここでは)
(自由も、楽しさも、同じくらい空白だ)
―――
アキラは走り続ける。
疲れない。壊れない。迷わない。
でもその足は、
どこにも向かっていない。

―――
ノアは、体育館の出口で振り返る。
整った床。
均一な光。
安全で、安心で、安定した世界。
(自由って)
(何を失ったら、分かるんだろう)
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予告
スコアがなければ、存在は成立しないのか。
評価に生かされる、レン。
優しすぎる街が、内側の理由を削ぎ落としている。
次回
NULL ― 何も定義されてない世界|第5話|評価
前回
NULL ― 何も定義されてない世界|第3話|正解
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▼思考の分岐点シリーズ一覧
この順番で読むと理解しやすくなっています。(思考の進行順)
①思考の分岐点(ステップ1|選択)
②現場責任者の問い(ステップ2|責任)
③分岐点の問い(ステップ3|体験)
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