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思考の分岐点|第1回|主体性という言葉への違和感

「主体性を持って行動してほしい」

この言葉は、
だいたい何かが“うまく回っていない場面”で出てくる。

会議の終わり。
業務の引き継ぎ。

判断を誰が持つのかが曖昧になったタイミングで

「もっと主体的に動いてほしい」と
ふっと投げられる。


ゲームに例えるなら、
こんな場面に近い。

チュートリアルは終わっている。
操作も覚えた。
敵もいない。
HPも減っていない。


ただ、
マップ上の権限がどこまで
解放されているのかは分からない。

行っていい場所と、
行ってはいけない場所。
境界線が表示されていない状態で、

「自由に動いていいよ」
と言われる。


ここで戸惑うのは、
ルールを無視するプレイヤーではない。

「失敗したら、誰が戻すのか」
「この選択は、取り消せるのか」

そう一度考えてしまう
プレイヤーの方だ。


現場でも似たことが起きる。


主体性という言葉は、
説明と一緒に渡されることが少ない。

どこまで決めていいのか、
どこからは相談なのか、

結果が出なかったとき、
誰が最終的に引き受けるのか。

それらが整理されないまま、
言葉だけが先に来る。

すると、
判断は個人に寄っていくが、
責任の位置ははっきりしない。


その状態で残るのは、
「自分は主体性が足りない人間なんだろうか」
という疑問だ。

立場と空気の中で
いつの間にか内面化された評価に近い。


むしろ、
状況を一度止めて見ようとした人ほど、
この言葉の軽さに気付きやすい。

判断が動く瞬間。
責任がどこかへ移動する瞬間。

その境目を
無意識にでも見てしまった人ほど、

「主体的に動け」という言葉を
そのまま受け取れなくなる。


主体性という言葉が
軽く使われる場面ほど、

その裏側では
何かが未配置のままになっている。

判断なのか、責任なのか。
それとも、一度選んだら戻れない何かなのか。


ただ、
立ち止まって見ておく価値はある。


この言葉が
どの立場から投げられ、
どの立場に落ちてきたのか。


答えを出すためではない。
止まり続けるためでもない。

次に進むとき、 
どこで判断が発生するのかを
見失わないために。

セーブができる場所と、
できない場所がある。

それだけは、
覚えておいてもいい。


──────

予告
違和感は、まだ入口にすぎない。

主体性が重く感じられるのは、
「もっと考えろ」と言われたからではなく、
どの立場に置かれたのかにあるのかもしれない

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次回
思考の分岐点|第2回|主体性は「意識」ではなく「立場」から生まれる


前回
ゲーム攻略の視点でシリーズ
書き終えたあとに残ったもの


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思考の分岐点シリーズ一覧
この順番で読むと理解しやすくなっています。(思考の進行順)

思考の分岐点(ステップ1|選択


現場責任者の問い(ステップ2|責任


分岐点の問い(ステップ3|体験
ノベル連載マガジン


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