ジェンスン・ファンが語るコンピューティングの再発明——スタンフォードCSで明かした戦略と哲学
NVIDIAのCEOジェンスン・ファンが、スタンフォード大学のコンピュータサイエンス講義「CS153 Frontier Systems」に登壇した。学生たちを前に、コンピューティングの歴史的転換点、NVIDIAの技術戦略、そして自身の失敗と学びを約1時間以上にわたって語った。
技術的な内容が中心ではあるが、そこには投資家やビジネスマンにとっても示唆に富む「意思決定の論理」と「長期戦略の哲学」が随所に込められている。
1. コンピューティングの60年ぶりの転換
1-1. IBMシステム360からAIまで
ファンはまず、現代のコンピューティングがいかに根本的な変化を迎えているかを説明した。
「コンピュータのアーキテクチャ、ソフトウェアの書き方、使い方——これらは約64年間、IBMシステム360以来、本質的に変わっていなかった。しかし、今、初めて根本から変わりつつある」
PCからインターネット、モバイル、クラウドへの移行は確かにあった。しかし、その根底にある「コンピューティングのモデル」は変わらなかった。今変わっているのは、そこだという。
1-2. 「事前記録」から「リアルタイム生成」へ
従来のコンピューティングを「事前に記録されたコンテンツ」として捉えるファンは、AIによる変化をこう表現する。
「以前のコンピューティングは、画像も動画もソフトウェアも、基本的に事前に記録されたものだった。今や、すべてがリアルタイムに生成される。生成されるから、状況に応じた文脈を持てる。指示に従うだけでなく、意図に応答できる」
これはソフトウェア開発の手法から、会社の組織構造、そして、何に使えるかまで、あらゆる層を変えるという認識だ。
2. コーデザインという戦略——なぜNVIDIAは100万倍を実現できたのか
2-1. 「別々に最適化」の限界
ファンが、「コーデザイン(co-design)」と呼ぶNVIDIAの根本的なアプローチは、チップ設計からコンパイラ、フレームワーク、アルゴリズムまでを一体として最適化するというものだ。
これはスタンフォードの先人であるジョン・ヘネシーのRISCアーキテクチャの発想——「シンプルなマシンとコンパイラをコーデザインすれば、それぞれを個別に最適化するより高い性能が出る」——を現代のAI時代に応用したものだ。
2-2. ムーアの法則との比較
この戦略の結果として、ファンは驚くべき数字を示した。
「ムーアの法則では、10年で100倍の改善だった。しかし、NVIDIAのコーデザインアプローチで、私たちは10年で100万倍を実現した」
ムーアの法則が鈍化した中でも、ソフトウェアとハードウェアの一体最適化によってこれだけの差が生まれたという事実は、NVIDIAの競争優位の核心を示している。この規模の改善があったからこそ、「インターネット上のすべてのデータをそのままモデルに与える」という発想が現実になったとファンは語った。
3. 次世代アーキテクチャの設計思想
3-1. Hopper——プレトレーニングのために
ファンは、各世代のチップが「解くべき問題」を先読みして設計されてきたと説明した。Hopper(H100シリーズ)は、プレトレーニングという当時まだ新興だった用途のために設計された。
当時、世界最大のスーパーコンピュータは、約3億5,000万ドル規模だった。それを上回る数十億ドル規模のシステムを設計しようとしたNVIDIAの判断は、「顧客がゼロでも先に作る」という逆算的な発想から来ていた。
3-2. Grace Blackwell——推論のために
「AIの目的はトレーニングではなく推論だ」というファンの認識から生まれたのがGrace BlackwellとNVLink72だ。
トークンを生成する「デコード」処理には膨大なメモリ帯域幅が必要で、1チップでは賄えない。72チップを接続し、ラックスケールの「世界初のラック規模コンピュータ」を作り上げた。前世代比50倍の性能向上を2年で達成した。
3-3. Vera Rubin——エージェントのために
次世代「Vera Rubin」は、「考える」段階から「実際に作業する」段階への移行を見据えて設計されている。
「エージェントは、長期記憶を持ち、ツールを使い、継続的に動く。そのコンピューティングパターンは、クラウドコンピューティングとは根本的に異なる」
エージェントがGPUに命令を送り、そのCPU待ち時間がボトルネックになるという問題を解決するため、低レイテンシのCPU「Vera」を専用設計した。
4. オープンソースと輸出規制——ファンの本音
4-1. AIの安全にはオープンソースが必要
オープンソースへの取り組みについて、ファンは単なるビジネス判断を超えた理由を語った。
「AIを安全にしたいなら、オープンでなければならない。ブラックボックスを守ることはできないし、ブラックボックスを自分のシステムに組み込むことも安全とは言えない」
NVIDIAは、Neutron(言語)、BioNemo(生物学)、Alpamo(自律走行)、Groot(ロボティクス)など複数のオープンな基盤モデルを開発している。理由のひとつは、スウェーデン語のように「市場規模が十分でないため他社が優先しない言語」でも、誰かがカバーするべきだという考えからだ。
4-2. 輸出規制への反論
NVIDIAのチップを敵対国に売ることへの懸念について、ファンは直接的に反論した。
「NVIDIAのGPUを原子爆弾と比較するのはナンセンスだ。私はGPUを家族にも勧める。しかし、原爆は誰にも勧めない。この比較から始めると、正しい議論ができなくなる」
また、「どうせ競争に負ける」という論理にも反論。「もし競争に負けるからと言うなら、朝なぜ起きるのか」という言葉で、諦めない姿勢を示した。米国がかつて通信分野で政策的に後退し、今や基盤技術が残っていないという歴史的事例を引き合いに出し、AI分野での同じ過ちを繰り返すべきではないと訴えた。
5. 失敗と戦略——CEOとしての教訓
5-1. 最初の製品は「すべてが間違いだった」
ファンは、自社の初期製品が技術的に根本的な誤りを犯していたと振り返った。曲面の使用、Zバッファなし、順方向テクスチャマッピングなど、「すべてが間違っていた」。
しかし、そこから学んだのは技術よりも戦略の重要性だった。「技術の失敗は戦略的な天才の動きにつながった。競合が全滅する中で生き残れたのは、技術よりも戦略的判断があったからだ」
5-2. モバイル参入——正直な失敗の告白
ファンが「本当のミス」と認めるのは、モバイルデバイス市場への参入だ。重要なパートナーからのアプローチを受け、多くのリソースを投入した。一時は10億ドル規模のビジネスになったが、3Gから4Gへの移行でQualcommに完全にブロックされ、ゼロに戻った。
「当時もう少し深く考えれば、数年後にブロックされることが見えたはずだ。リソースを別の場所に温存すべきだった」
ただし、その過程で培った低消費電力設計の知見は後にロボティクス部門に転用された。失敗そのものというより、その判断が「戦略的ミス」だったと自己評価している。
5-3. 「好きなことをやれ」よりも大切なこと
学生への助言として、ファンは「情熱を持てることをやれ」という一般的なアドバイスに疑問を呈した。
「CEOとして言えば、仕事の90%はつらい。好きなのは10%だ。残り90%をどれだけ真剣にやり切れるか——それが本当の力になる。苦しさは回避するものではなく、通過することで筋肉がつくものだ」
6. エネルギーと未来のコンピューティング
6-1. 必要なエネルギーは「現在の1,000倍以上」
ファンは、今後のAIコンピューティングに必要なエネルギーについて、現状の少なくとも1,000倍が必要だと述べ、「数桁ずれているかもしれない」とも付け加えた。
その理由は、AIコンピューティングが、「オンデマンドで起動するもの」から「常時稼働・継続的に生成するもの」へと変わるからだ。
6-2. 持続可能エネルギーへの市場メカニズム
「今は政府補助金がなくても、市場の力だけで持続可能エネルギーへの投資が成り立つ。これは人類史上初めてのことだ。電力網をアップグレードする最大のチャンスがここにある」
ファンは、トークン当たりのワット数(tokens per watt)を最も重要な指標のひとつとして挙げ、Grace Blackwellで50倍の改善を達成したと語った。
まとめ
ジェンスン・ファンのスタンフォード講義は、NVIDIAという企業の技術戦略を理解する上で稀有な一次資料だ。60年ぶりのコンピューティング再発明、コーデザインによる100万倍の改善、そして「トレーニング→推論→エージェント」という明確な世代観——いずれも一貫した第一原理思考から導かれている。
投資家にとっての示唆は、NVIDIAが単なる「チップメーカー」ではなく「コンピューティングのアーキテクチャを丸ごと再設計する企業」であるという認識を持つことだ。そしてビジネスパーソンにとっては、「苦しみを通じてしか筋肉はつかない」というファン自身の言葉が、長期的なキャリア構築の哲学として響くだろう。
