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予測市場という新しい投資インフラ——Kalshiの創業ストーリーから学ぶ、規制・市場・スタートアップの読み方

スタートアップの世界では、週次・月次の成長指標が重視される。資金調達後は、素早くプロダクトをリリースし、ユーザーを獲得し、数字を伸ばす——それが「正しい」セオリーとされてきた。

しかし、予測市場プラットフォーム「Kalshi(カルシ)」の創業者たちは、あえてその逆を選んだ。4年間にわたり製品を世に出さず、規制当局との法廷闘争に全力を注いだ。そして、2024年の米大統領選挙を機に一気に存在感を高め、2026年には評価額220億ドル(約3.3兆円)、わずか5か月で前回ラウンドから2倍の評価を獲得するに至った。

本稿では、Kalshiの創業ストーリーをたどりながら、「規制ファースト」という戦略の意味と、予測市場という新しい金融インフラの可能性を整理する。


1. 創業の原点——「なぜ予測市場が存在しないのか」


1-1. ゴールドマンのインターンで気づいた市場の空白

共同創業者のタリク・アマラ氏は、2016年、ゴールドマン・サックスのインターンとして金融市場を初めて深く学んだ。そこで気づいたのは、機関投資家が最も気にしているのは「株価」ではなく、「Brexitが起きるか」「トランプが勝つか」といった二択のイベントだという事実だった。

当時、トランプ当選に備えた「トランプトレード」として多くのウォール街関係者がS&P500をショートした。しかし、予測は当たっても、ヘッジ手段として不完全だったため損失を出した。「もしそのイベント自体を直接取引できるマーケットがあれば、はるかに精密な手段になるはずだ」——それがKalshiの出発点となった。

1-2. 「クーチ行動(Couch Behavior)」という市場の歪み

アマラ氏ともう一人の共同創業者は、Five Rings(プロップトレーディング会社)のインターンを共にこなす中で、様々な機関投資家が非公式に重要イベントの確率を議論しながら、それを直接取引できていない現実を「クーチ行動(Koshi behavior)」と呼んだ。ゴールドマン、ブリッジウォーター、シタデルでの経験を積み重ねる中で確信は深まった。「米国に規制された流動性の高い予測市場が存在しないのはおかしい」

2. 「規制ファースト」という4年間


2-1. 60人の弁護士に「不可能」と言われた朝

会社設立を考え始めた二人が最初に行ったのは、弁護士への電話だった。一日で60〜65人に電話をかけ、全員にノーと言われた。「リストを電話し終えたとき、誰一人として可能だと言わなかった」

しかし、その後、規制当局が定める23の核心原則をもとに、二人は一週末でフル分析を完成させ、どうすれば準拠できるかを示した。これが後に顧問となる法律家の信頼を得るきっかけとなった。

2-2. YCで「成長指標ゼロ」の異色な体験

Y Combinator(YC)に採択されたKalshiだが、バッチ内の他スタートアップが毎週「ユーザー数20%増」「収益成長」を報告する中、Kalshiが報告できたのは「この弁護士と話した」「この法律文書を提出した」ばかりだった。

「我々は製品を出さず、マーケティングもせず、ただ規制問題の解決だけに集中した」とアマラ氏は振り返る。競合他社が規制なしに海外でサービスを始める中、Kalshiはそれをしなかった。この姿勢こそが後の差別化の源泉となる。

2-3. 規制当局を訴えるという決断

2年以上にわたる交渉の末、規制当局(CFTC)が選挙市場の上場を拒否したとき、Kalshiは一つの結論に達した——自分たちの規制当局を訴えるという選択だ。

「小さなスタートアップが、自分たちを監督する政府機関を訴えることは非常に難しい決断だ。しかし法律的に我々は正しいと確信していた」。地裁・控訴裁のすべての裁判官がKalshiの主張を支持し、勝訴した。

3. 勝訴から2週間で100倍のスケールへ


3-1. 「勝った——でもすぐ仕事に戻れ」

2024年の大統領選挙まで約4週間というタイミングでの勝訴だった。しかし、喜んでいる暇はなかった。「数時間祝って、また仕事に戻った」——チームは4週間、文字通り24時間体制でプロダクトのスケールに取り組んだ。

さらに重大な問題が発生した。旧クリアリングハウス(決済機関)が選挙市場の上場を拒否したため、通常6か月かける基幹システムの移行を1週間末で完了させなければならなかった。

3-2. 2週間で顧客200万人・取引高20億ドル

結果として、Kalshiは、2週間で200万人の新規顧客を獲得し、取引高20億ドルを達成した。「システムはあちこちで壊れていった。これほどの入金と登録は経験したことがなかった」とアマラ氏は振り返る。

2024年の大統領選当日、Kalshiのプラットフォームはメディアが報道する前にトランプ勝利を示していた——これが予測市場の精度を世界に知らしめる瞬間となった。

4. 予測市場とは何か——ギャンブルとの違い


4-1. カジノとの構造的な違い

予測市場をギャンブルと混同する声は今もある。アマラ氏はこの点を明確に区別する。

「カジノの収益は顧客の損失と等しい。つまりカジノはあなたが負けるほど儲かる。しかし、予測市場は、ニューヨーク証券取引所と同じ構造だ——売り手と買い手が取引し合う中立的な場所であり、プラットフォームはどちらが勝っても同じ手数料を得るだけだ」

規制された取引所として、内部者取引の禁止、全取引の公開義務、差別的なアクセスの禁止など、株式市場と同等の規則が適用される。

4-2. 「お金が正直さを引き出す」

予測精度についてアマラ氏はこう述べる。「選挙で誰が勝つと思うか聞けば、人は党派的な答えを返す。しかしお金を賭けるとなると、インフレが相手を有利にするかもしれないと冷静に考え始める。お金が正直さを引き出す」

これは単なる価格データにとどまらない。「ツイッターの情報が本物かボットかわからない時代に、数百万人がお金を賭けた予測価格は、最もノイズの少ない未来の指標だ」という主張は、メディアや機関投資家にも受け入れられつつある。

5. 市場の現在地と成長の余地


5-1. スポーツ以外が急成長

Kalshiに対する最大の誤解は、「スポーツベッティング」という認識だとアマラ氏は言う。実際には非スポーツ市場が週間取引高3〜4億ドル、年換算で150〜200億ドル規模に成長しており、前年比5倍のペースで拡大している。

カバーする領域は幅広い——金利の行方、次期Fed議長、オスカー受賞者、来週のニューヨークの積雪量まで。「ニュースを読む人なら誰でも参加できる市場」というコンセプトが、幅広い層への訴求力を生んでいる。

5-2. ユニークなトレーダーたちの事例

実際のユーザー層も多彩だ。元教師のブランドン氏は音楽チャートの知識を活かし累計15万ドルを稼ぎ、フルタイムトレーダーのジョエル氏は5か月で17万ドルを得た。気象学出身のシャノン氏はハリケーンの予測専門家として活躍し、「ハリケーンが自宅に直撃した場合の保険代わり」として活用している。

これらの事例は予測市場が単なる投機の場ではなく、専門知識が直接収益に変わる新しい知識市場でもあることを示している。

5-3. 機関投資家マーケットへの展開

「5年後に予測市場が株式市場規模になることが理想だ」とアマラ氏は述べる。ゴールドマン・サックス、ブリッジウォーター、シタデルといった機関投資家が散発的に活用してきたイベントリスクを、誰もが透明に取引できる公開市場として整備することが最終的な目標だ。評価額は直近5か月で220億ドルへ倍増し、機関投資家向け市場の整備が次のフェーズに入っている。

まとめ:「規制ファースト」が最強の参入障壁になった


Kalshiの物語は、スタートアップの常識を逆手に取った戦略の成功例だ。製品より先に規制の正当性を確立したことで、競合他社が模倣しにくい構造的な優位性を築いた。

投資家・ビジネスマンの視点から見れば、Kalshiは単なる一企業の話にとどまらない。予測市場というインフラが普及すれば、政治・経済・気候など多様な不確実性を定量的にヘッジする手段が一般化する可能性がある。株式市場が「企業の未来」を価格化するように、予測市場は「世界の出来事の未来」を価格化する——その市場がどのくらいの規模になりうるかは、まだ誰にもわからない。

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