「SaaS全滅論」は過剰反応——元Google・Facebook・DoorDash幹部が語る、本当に強い企業の条件
AIコードの台頭でソフトウェア企業の株価が軒並み下落している。市場は「コードが無料になれば、すべてのSaaS企業はゼロになる」という論理で動いているかのようだ。
しかし、Gokul Rajaramはそう見ない。Googleで働いた後、Facebook、Square、DoorDashで要職を歴任し、現在は、Marathon Venturesのパートナーとして投資活動を行う彼は、長時間のポッドキャストでこう述べた。
「市場は同じ筆で全企業を塗り潰している。これは100%過剰反応だ。すべてのソフトウェア企業が同じわけではない」
本稿では、Rajaramが語った「8つのモートフレームワーク」と、AI時代の投資哲学を整理する。
1. 4社の経験が作った投資哲学
1-1. Google——「10倍良いプロダクト」という原則
Rajaramは、2003年にGoogleに入社した。当時進行していた「Caribouプロジェクト」は後のGmailだ。Yahooメールが10MBのストレージを提供していた時代に、Gmailは、1GBを無料で提供した——100倍の差だ。4月1日にリリースされ、エイプリルフールのジョークだと思われるほどの衝撃だった。
「投資の核心は『リマーカブルなプロダクト』が存在するかどうかだ。マーケティングやディストリビューションはその後についてくる」
1-2. Facebook——マルチプレイヤーと流通の力
Facebookは、Markの「流通の天才」ぶりを見せつけた。Rajaramは、Figmaに投資した際も、この視点が決め手だったという。「Figmaの強みは一人でも使えることではなく、会社内の他のメンバーと共有しやすいことだった。PLGの最強パターンは、複数人が使えてこそ防御力が生まれる」
1-3. Square——マルチプロダクトの経営学
Squareは、Rajaramが参加した時点で決済の単一プロダクト企業だった。退社時には売上5,000万ドル以上の製品が11本に達していた。
「北極星指標を『加盟店が使う製品の中央値数』に変えた。製品を使えば使うほどリテンションが上がることが分かった。重要なのはプロダクト2番手が自然に生まれることで、例えばSquare Capitalは決済データから信用力を評価できたから成立した」
製品には、「利益創出型」と「リテンション型」の2種類があり、それを混同すると組織が迷走する——これがRajaramが持ち帰ったSquareの教訓だ。
1-4. DoorDash——物理世界でのオペレーション
DoorDashは、Rajaramにとって「真のオペレーションとは何か」を教えた会社だ。COVID初期、多くのレストランが閉店する中、DoorDashは、レストランから1ヶ月間の収益分配を取らないという判断をした。「プライベート企業で痛みを伴う決断だったが、長期的には正しかった。短期的には極めて苦しかった」
2. 8つのモートフレームワーク——AI時代の企業評価軸
SaaS株が全面安の中、Rajaramは、ハミルトン・ヘルマーの「7つの力」を応用した「8つのモート」評価システムを提示した。各モートに1点を配点し、合計4点以上であれば「かなり安全」と見なす。
2-1. データモート——「誰も持っていないデータ」が条件
単なるデータの蓄積ではなく、他社が入手できない独自データが条件だ。「Spotifyのディスカバリー機能は、数十億人の視聴行動データの積み重ねから作られている。同じものは簡単には作れない」
2-2. ワークフローモート——深さが重要
ワークフローへの組み込みは単体では弱いモートだが、深さが勝負だ。「NetSuiteはERPとしてビジネス全体を動かしている。Zendeskはそれより軽い。Netsuiteが1点なら、Zendeskは0.5点」
2-3. 規制モート——ライセンスと長期契約
許認可・資本要件・複数年の調達契約が参入障壁になる。Coinbaseは州ごとの送金ライセンス(MTL)やFINRAの登録を持ち、これが強固な規制モートになっていると評価している。
2-4. 流通モート——独占的チャネルを持つこと
Intuitの例が典型だ。「会計ソフトを選ぼうとした時、会計士に『Xeroは使わない、QuickBooksを使え』と言われた。CPAのネットワークをQuickBooksに慣れさせた流通チャネルは、非常に排除しにくい」
2-5. エコシステムモート——サードパーティの積み上げ
Shopifyはその好例だ。「ECプラットフォーム自体はvibe codingで作れる。しかし、Shopifyの上に何十万もの開発者やサードパーティアプリが構築されたエコシステムはvibe codingできない。Shopifyの加盟店は平均5〜6のサードパーティアプリを使っている」
2-6. ネットワークモート——流動性と密度
DoorDashは、この典型例だ。配達網・加盟店密度・レピュテーション履歴はAIでvibe codingできない。マーケットプレイスの密度はコードで複製できない構造的な資産だ。
2-7. 物理インフラモート——「アトム」がある企業
物理資産を持つ企業は参入障壁が高い。ヒューマノイドロボットが将来代替するかもしれないが、それには数年かかる。
2-8. スケールモート——コストが下がるほど強くなる
規模によってコストが極端に低くなる構造をいう。AmazonやTSMCはその典型だ。
3. AtlassianとMondayの比較——フレームワークで見ると
Rajaramは、このフレームワークをAtlassianとMondayに当てはめて試した。
Atlassianは、独自データ(コードレポジトリ)・ワークフロー・エコシステムを持ち、スコアは3。Mondayは、ワークフローのみでスコアはほぼRajaramの見立てでは1だ。「両社ともに株価は75%下落しているが、Atlassianは大幅な売られすぎで、Mondayはこの環境では適切な水準とも言える」
4. ソフトウェア支出から人件費へ——TAMが変わる
Rajaramが強調するのは、AIによるTAMの拡大だ。
「ソフトウェアに使われる1ドルに対し、サービスには6ドルが使われている。垂直型AIはSaaSではなく、BPO(ビジネスプロセスアウトソーシング)と人件費の予算を狙う」
支出の移行は3段階で起きるという。まずBPO(インドやフィリピンの外部委託)への支出削減、次に退職者の不補充、そして最後に人員削減だ。
「Goldman SachsとBarclays、それぞれインドに3万人以上を抱えている。その支出こそが、AIが最初に食べるターゲットだ」
5. 「ボルトオンAI」の罠と正しいAI活用
5-1. 機能追加ではなく体験の再発明が必要
既存製品にAIを「追加」するだけでは限界がある。Rajaramはこう指摘する。
「AIを使えばUXプリミティブが変わる。AIで検索機能を追加するのか、新しい体験としての検索を設計するのかは全く別物だ。製品の改善ではなく、インタラクションそのものの再発明をしなければならない」
5-2. ロードマップは6ヶ月刻みで
モデルの性能は6ヶ月ごとに更新される。「長すぎるロードマップは無意味だ。次のモデルのアップデートで吹き飛ばされることがある。だから今のモデルの能力を正確に理解して、常に更新し続けなければならない」
6. 投資哲学——価格・リテンション・非消費市場
6-1. 良い会社なら価格はほぼ問題にならない
初期ステージでの投資は、価格よりも会社の質が重要だという。Rajaramが8〜9年前に$20Mバリュエーションで投資したFairは100〜200倍になった。「シードや初期ラウンドで素晴らしい会社に確信があれば、価格を気にせず投資すべきだ。問題になるのはB以降の後期ステージだ」
6-2. 成長よりリテンション
成長率の高さよりも、リテンション(顧客継続率)とNRR(ネット収益継続率)を重視する。
「1年で40倍成長してその後崩れた会社は、実際のビジネス品質を示していない。GRRとNRRが高い企業を、私はトリプル・トリプル・ダブル・ダブルの成長で低リテンション企業より好む」
6-3. 非消費市場という最大のチャンス
Shopifyを見て「ECマーチャントの数がそんなに多いのか?」と過小評価したのが最大のミスだったとRajaramは振り返る。
「Shopifyは既存のEC事業者だけを対象にしていたのではない。『売りたいと思ったことがなかった人』にその可能性を与えた。これが非消費市場だ。Airbnb・Uber・GammaもGranola同様に非消費市場を開拓した」
まとめ——「ゼロにはならない」という逆張りの確信
Rajaramが示した8つのモートフレームワークは、単なる評価ツール以上の意味を持つ。それは、AI時代に何が本当の競争優位を生むかを考え抜いた実践的な思考軸だ。
データ・規制・流通・エコシステム・ネットワーク・物理インフラのうち4つ以上を持つ企業は、モデルの進化にも耐える構造を持っている。一方で「ワークフローだけ」「スケールだけ」の企業は再構築が必要だ。
「Figmaで500〜1,000倍を実現したのは、製品のリマーカブルさとマルチプレイヤーの力だった。その原則はAI時代でも変わらない」——これがGokul Rajaramの逆張りの確信だ。

