SaaSは死んだ——Klarna CEOが語る「記録システム崩壊」の論理とエージェント時代の企業像
これはKlarna CEO Sebastian Siemiatkowski(以下セブ)が、7,000人から3,000人以下へと従業員数を半減させながら発した言葉だ。2026年現在、彼は「SaaSは死ぬ」という過激に聞こえる命題を、自社の経営実践から導き出している。それは単なる予言ではなく、既にKlarnaという生きた実験場で検証されつつある仮説だ。
1. SaaSを殺すのは「データの移転コスト」である
1-1. 本当の脅威はソフトウェアのコモディティ化ではない
AIによってソフトウェア開発コストが劇的に低下したことは、多くの人が理解している。しかし、セブが指摘する「次の一撃」はその先にある。
「次に皆を苦しめるのは、データのスイッチングコストだ。現在、独自データがCRMや各種SaaSベンダーのサイロに閉じ込められている。AIを使って既存ベンダーから新ベンダーへデータを一クリックで移行できるようになったとき、SaaSへの本当の脅威が来る」
つまり、SalesforceやServiceNowが守ってきた「堀」は、実はソフトウェアの機能性よりもデータの囲い込みにあった。その堀がAIエージェントによって埋められると、ゲームのルールが変わる。
1-2. 株式市場はすでに「答え」を出しつつある
セブは、業界の変化をバリュエーションの変化と照らし合わせて説明する。
「SaaSは、売上高比20〜30倍で取引されていたが、今は5〜10倍まで下落している。ユーティリティ企業は1〜2倍だ。SaaSがユーティリティ化すれば、まだ下落余地がある」
参考として挙げたのが、Cheggだ。ChatGPTに事業を破壊された学習プラットフォームで、現在は売上高比0.2倍という極端な水準まで下落し、実際の収益も30〜40%減少した。「Cheggほど極端にはならないだろう。ただ1〜2倍まで下がる可能性は十分ある」と彼は述べる。
2. 「大企業はvibe codeできない」論への反論
2-1. 「ミッションクリティカルな記録システムは残る」という反論
投資家の間では、「大企業の現場は複雑すぎて、AIで基幹システムを置き換えるのは無理だ」という意見がある。権限管理、組織の階層構造、ガバナンス要件——これらがある限り、ERPやSalesforceのような「記録システム」は残るという主張だ。
セブはこれを「理解できるが同意しない」と切り返す。
2-2. ソフトウェアはLEGOになる
彼の反論の核心は、「ソフトウェアの再構成」という概念だ。
「今はAIが毎回ゼロからコードを生成して同じことを繰り返している。でも人々はすぐに気づく——なぜキャッシュしないのか?なぜオープンソースコンポーネントを再利用しないのか?ソフトウェアが、LEGOのブロックになっていけば、必要なものを組み合わせるだけになる。それは結果的にコンピューティングパワーの削減にもなる」
つまり、将来的にAIは自分でコードを書くというよりも、既存のコンポーネントを組み合わせて最適解を構築する役割に移行していく。この視点では、既存のモノリシックなERPシステムは「過去の遺物」になる。
2-3. 「会社in a box」実験——週末で検証した未来
セブは、実際に週末を使って自分でテストした。
「OpenClaw(AIエージェントフレームワーク)が話題になったのと同じ週末に、私は『会社in a box』というプロジェクトで遊んでいた。オープンソースの会計ソフト、オープンソースのCRM、そして、その上にClaudeエージェントを乗せた。そして、Claudeに『この請求書を記帳して』『この顧客アカウントを設定して』と頼んだら、本当にうまく機能した」
小規模企業にとっては、既存の税理士事務所に連絡するのと同じ感覚で、Claudeという「AIの経理担当者」に話しかけるだけでいい時代が来る。
3. Klarnaが「SaaSを捨てた」本当の理由
3-1. AIに良いコンテキストを与えるためにサイロを壊す
Klarnaが、2年前からSaaSを順次閉鎖してきた理由を、セブは明確に語る。
「AIが仕事をうまくこなすには、できるだけ良いコンテキストを提供しなければならない。データが、このSaaSに少し、あのSaaSに少し、プロジェクト管理ツールに少し、会計ツールに少しと分散していたら、適切なコンテキストを与えるのは難しい。だから、私たちはAIファーストでテックスタックを再構築する必要があった」
これは、エンタープライズAI導入に際して多くの企業が直面する根本的な問題だ。最高のAIモデルを導入しても、データが散在するサイロ構造ではその能力を十分に引き出せない。
3-2. カスタマーサービスの「600人分の仕事」が教えたもの
セブは、KlarnaのAIカスタマーサービスの事例を慎重に説明した。当初の発表「600人相当の仕事を置き換えた」というヘッドラインについて、メディアは単純化しすぎたと振り返る。
「あの時点では非常にシンプルな質問しか処理できていなかった。『Klarnaに支払いはしましたか?』『はい、しました』——そういうレベルのものだ。ただ、どんな製品改善をしてもあれほど即座に600人相当の仕事を取り除いた経験はなかった。あれは私たちへの目覚ましだった」
さらに深掘りすると、カスタマーサービスエージェント(人間でもAIでも)が質問に正確に答えるにはソースコードにアクセスする必要があることに気づいたという。「Klarnaは、どうやってXを計算しているか?」——その答えは、文書ではなく、ソースコードの奥深くにある。これが、Klarnaが、「カスタマーサービスをoff-the-shelfで買えない」と判断した理由だ。
3-3. 「VIPサービスは人間の関係」という逆説的な未来
AIがコモディティカスタマーサービスを担う世界では、「人間との対話」こそがプレミアムになる。
「職人のコーヒーショップ、職人の家具——工場制生産が安価な製品を量産するようになったとき、人々はアルチザンに価値を見出した。同じことがカスタマーサービスにも起きる。AIではなく、人間と話せることが、VIPサービスの定義になる」
Klarnaは、実際にこの方向へ動いており、熱心な顧客をUberドライバーモデルで採用して「パートタイムカスタマーサービス担当者」にする試みを展開中だ。NPS(顧客満足度)はこの取り組みで大幅に向上したという。
4. 7,000人→3,000人以下——AI時代の「会社とは何か」
4-1. 追加投資ゼロで事業拡大する逆説
Klarnaは、現在3,000人以下の従業員で、かつて6,000〜7,000人が担っていた業務を処理している。セブが、ボードに対して「P2P送金、トレーディング、国際送金など新しいバンキングサービスを複数ローンチする計画を承認してほしい」と提案したとき、承認はあっさり下りた。
「なぜ簡単に承認されたか、後からわかった。普通のCEOが、これだけの新サービスを発表するとき、何百万ドルもの追加投資を求める。でも、私は追加予算を一切要求しなかった。AIの加速を見ていたから、今の組織規模でこれら全部を実現できると確信していたからだ」
4-2. 2030年の従業員数予測と「関係」の価値
セブに「2030年の従業員数は?」と聞くと、「2,000人どころか、さらに少ないかもしれない」と答えた。ただし即座に補足する。
「私たちは、ポートランドでNikeと、中国でSheinと、アムステルダムでAdyenと関係を持っている。50以上の拠点に人がいる。AIがこれらの関係を置き換えることはない。大事なのは関係性だ」
毎年約20%の自然減(平均在籍期間5年)のまま採用を抑制することで、従業員一人当たりの報酬は約50%増加した。「利益の恩恵を従業員と分かち合う」というモデルが、AI変革期の従業員関係を安定させている。
5. AIは「圧縮技術」である——エンタープライズデータの未来
5-1. 知識の圧縮という視点
セブは、AIの本質を「圧縮技術」と捉えている。ヨセミテのカンファレンスでSam AltmanやEric Schmidtと同じステージに立ったときに浮かんだ考えだ。
「全人類の知識とインターネット全体を、なぜ数百GBに圧縮できるのか?答えは、人間社会のほとんどの情報は実は重複と変奏だからだ。ロミオとジュリエットは、100通りのバリエーションがあるが、AIにとってはすべて『愛の物語』の変形に過ぎない」
Wikipediaが、「新規ボタンを持たない」設計——まず検索して既存記事がなければ新規作成できる——を例に、企業データの管理の在り方を問い直す。企業は、Salesforceに、Slackに、Google Docsにと、同じ情報を何度も重複して作成し続けてきた。
5-2. データ圧縮は半導体需要を変えるのか
マイケル・バーリとの対話から導かれた問いがある——エンタープライズのデータ圧縮は、データセンターへの需要を減らすのか。
「エンタープライズは、最高品質を最低コストで求める。なぜ同じSephora情報(Klarnaの加盟店)を何度も計算し直すのか?圧縮された単一の情報源があれば十分だ。その観点では、エンタープライズにおいてはコンピューティング需要が劇的に圧縮される可能性がある」
一方で、エンタープライジャ向けのコンプレッションと、消費者向けのコンテンツ生成(「Star Warsを私たちの顔で」という個別生成需要)のどちらが大きな力を持つかは未知数だと慎重に留保する。
おわりに——「SaaS is Dead」が示す次のゲームの名前
セブのメッセージを要約すれば、これは「SaaSが消える」という話ではない。より正確には、「データの囲い込みで守られていたSaaSのビジネスモデルが終わる」という話だ。
スイッチングコストという堀が消えるとき、SaaSは、機能そのものの価値で競わざるを得なくなる。その世界では、Klarnaのように「AIファーストでテックスタックを統合した企業」が圧倒的な競争優位を持つ。
7,000人が3,000人以下になり、追加投資ゼロで事業を拡大し、一人当たり報酬は50%増加する——この数字が示すのは単なる人員削減ではなく、「知識の圧縮によって価値が再配分される」ポスト・SaaS時代の企業モデルの輪郭だ。
