エヴァン・スピーゲルが語る逆張り経営——30億ドルを断り、12年間ARに賭け続けた思考の全貌
22歳のときに30億ドルのM&Aオファーを断り、35歳になった今も同じビジョンを持ち続けている経営者は多くない。SnapのCEOであるエヴァン・スピーゲルは、ノルウェー政府系ファンドのCEO、ニコライ・タンゲンとのポッドキャスト「In Good Company」に登場し、Snapchat誕生の経緯から拡張現実(AR)眼鏡への大型投資、AIによる組織変革の現在まで、率直に語った。
短期的な市場トレンドを追うのではなく、長期的な人間の行動パターンに賭けるという一貫した姿勢は、投資家・ビジネスマンにとっても示唆に富む内容だ。
1. Snapchatの原点——「消える写真」という逆張りの発想
1-1. なぜ消えるメッセージだったのか
Snapchatが生まれた2011年頃、テクノロジー業界の主流は、「すべてをオープンに、永続的に記録する」という思想だった。Facebookをはじめとするソーシャルメディアは、フォロワー数や「いいね」の数を競う公開競争の場だった。
スピーゲルはその構造に違和感を覚えた。
「完璧でキレイな瞬間しか投稿されなくなる。本来の感情や経験の幅は失われていく。プライバシーこそが自己表現の土台だ——記録され公開されるかもしれないという恐怖があれば、自分を素直に表現することはできない」
消えるメッセージは奇抜なアイデアではなく、人間の自然なコミュニケーションに近づけるための設計思想だったというわけだ。
1-2. 「プライバシーと自己表現の関係」を15年前に提唱
スピーゲルは、「プライバシーは自己表現の前提条件だ」という考えを、今からおよそ15年前に主張していた。当時は奇異に映ったが、今日では広く受け入れられている認識だ。先駆的なポジショニングが、後の成長の布石になった。
2. 30億ドルの買収オファーを断った理由
スピーゲルが22歳のときに受けたマーク・ザッカーバーグからの30億ドルという買収提案。なぜ断ったのか。
「本当に自分たちのやっていることが好きだったから。そして、長期的に大きなチャンスがあると信じていた」
当時のSnapchatはまだ小規模なサービスだったが、「クローズドな友人・家族間のコミュニケーション」という独自のビジョンが、従来のソーシャルメディアとは根本的に異なる価値を持つと確信していたという。欧州的な「お金が入れば売る」という発想とは対照的な選択だった。
今日、Snapchatは世界で10億人近くに届くサービスに成長している。
3. Storiesの誕生——ユーザーの不満から生まれたプロダクト
3-1. 「全員送信ボタン」要望への応答
Storiesの開発は、ユーザーから「すべての友達に一括でスナップを送りたい」という要望が多かったことが出発点だった。しかし、スピーゲルのチームは、単純な全員送信ボタンは、「スパム化する」と懸念した。
そこでユーザーのソーシャルメディア体験の不満を深掘りしたところ、「逆時系列のフィード」「いいねのプレッシャー」「過去の投稿が今の自分を反映していない」といった不満が浮かび上がった。
3-2. 「24時間で消えるコンテンツ」という答え
これらの不満に応えたのが、24時間で消え、時系列順に表示され、公開いいね・コメントのないStoriesだった。
「翌日リセットできる。その日の自分を、逆順ではなく順番に追ってもらえる」
ローンチ初期の成長は緩やかだったが、ユーザーが使い方を理解するにつれ急速に普及。その後、Instagram・TikTok・WhatsAppがこの機能を相次いでコピーしたことは周知の通りだ。
4. コピーされることへの向き合い方——エコシステムで「モート」を作る
主要な機能がコピーされ続けることについて、スピーゲルは落ち着いた姿勢を見せた。
「コピーされないアイデアを出すよりも、ずっとましだ。ただ、それはモートを作るために、エコシステムへの長期投資を続ける理由にもなっている」
アプリの単一機能はコピーしやすいが、開発者ツール・ARプラットフォーム・エコシステム全体は容易には複製できない。この認識が、ARへの長期投資戦略の根拠にもなっている。
5. AR眼鏡への大きな賭け——12年間の一貫した投資
5-1. 第5世代まで到達した理由
Snapは、すでにスマートグラス(Spectacles)を第5世代まで開発している。他社がARハードウェアから撤退したり方針転換を繰り返した中、Snapが継続できた理由についてスピーゲルはこう述べた。
「多くの企業が参入と撤退を繰り返した。コンシューマーとエンタープライズの間で行ったり来たりしていた。こうした行き来は長期的なR&Dに非常に有害だ。私たちは12年以上、一貫してこのビジョンに投資してきた」
5-2. ハードウェアとソフトウェアの時間軸の違い
ハードウェア開発は計画期間が長い。スピーゲルによれば、現在2030年までのロードマップを持っており、発売時点ですでに次世代の開発に数年先行しているという。
「競合他社が見るのは、私たちが数年前に着手したものだ。今発売するものを見て競合が動き始めるころ、私たちはすでにずっと先を走っている」
5-3. 2026年後半に「コンシューマー向け」製品を発売予定
2024年の開発者向け版でも数百のARレンズが作られるなど手応えを得ており、2026年後半にはフル機能を一般向け眼鏡サイズに収めた製品をリリース予定だという。2030年までには大衆市場向けの普及を目指している。
6. AIが変える組織と開発プロセス
6-1. 「来年には人間がコードを書く場面はほぼなくなる」
AIの活用についてスピーゲルは、現在の変化をかなり大きなものとして捉えている。
「ソフトウェアの書き方は根本的に変わった。今やほとんどがエージェントによって書かれている。バグ修正もテストも、多大な人手を要していた工程が急速に自動化されている。来年、人間がコードを書いている場面はほぼなくなると思う」
6-2. 小規模チームの強みを活かすAI
リソースが限られているSnapにとって、AIは特に大きな意味を持つという。以前は人手不足で後回しにしていたクリエイターとブランドをつなぐツールを、わずか数週間で構築・リリースできたと述べた。
6-3. 管理職の役割変化
AIは組織階層にも影響を与えるとスピーゲルは言う。従来は1人のマネージャーが抱える直属の部下は7〜10人程度が標準とされていたが、AI化が進めばその数は2倍以上になる可能性があるという。
「キャリアプランニング、フィードバック、日常的なマネジメント業務のほとんどは、遠くない将来に自動化される。それによってリーダーは本来の"リーダーシップ"に集中できるようになる」
7. Snapchatのユーザー行動データが示すもの——本物のつながりへの需要
大量のユーザー行動データを持つSnapにとって、最も印象的な発見は何か——その問いへのスピーゲルの答えは率直だった。
「驚きというよりも、確信になっている。人々がSnapchatを使う理由は、親しい友人・家族と話したいからだ。公開パフォーマンスや完璧な見せ方が主流になっている今、Snapchatは全く異なるものを提供している」
若者の間でも、「本物の関係性への欲求」は変わらないというデータが繰り返し示されているという。
