Fei-Fei Li氏のWorld Labs、ロボティクス企業Scenixを買収 ― 「空間知能」をロボットの手足に
「空間知能(スペーシャル・インテリジェンス)」分野のフロンティア企業として知られるWorld Labsが、ロボティクス企業Scenixを買収したことをめぐり、共同創業者のFei-Fei Li氏と、Scenix共同創業者でコロンビア大学助教授のYunzhu Li(Yunu)氏がa16zのポッドキャストに出演し、その背景や技術的な狙いを語った。
1. World Labsとは何か ― 「空間知能」への挑戦
Fei-Fei Li氏は、World Labsを創業2年のスタートアップと位置づけつつ、実質的には、「フロンティアモデルラボ」だと説明した。同社が掲げる「空間知能」とは、AIが物理的・仮想的な空間を生成・理解・推論し、それらと相互作用する能力を指すという。同氏は、この空間知能を実現する手段として、大規模な「世界モデル(ワールドモデル)」の構築に注力してきたと説明している。
同氏は、これまで、空間内での知覚・推論・行動という3つの要素を一貫して掲げてきたが、「行動」の部分は当面先の話だと考えられがちだったと振り返った。しかし、VFXやゲーム、デザインといった創造的分野は既に仮想空間内での行動・創作の実例であり、物理空間内での行動、すなわち、ロボティクスは、その中でも特に重要な応用分野だと位置づけていたという。今回のScenixとの統合は、こうした長期的なビジョンの一環だと説明されている。
2. Scenixの成り立ちと「real-to-sim-to-real」
Scenix共同創業者のYunzhu Li氏は、MITでの博士課程を経て、Fei-Fei Li氏のもとでスタンフォード大学のポスドクとして研究した経歴を持つ。同氏は、自身のキャリアを通じた目標は、一貫して「ロボットが物理世界をよりよく知覚し、相互作用できるようにすること」だったとし、自らを「非常に実践的な人間だ」と表現した。
Scenixが着目したのは、汎用ロボット開発における訓練・評価データの不足というボトルネックだ。同社が構築するのは、現実の環境を、実環境と高い整合性を持つデジタル世界にマッピングする「real-to-sim-to-real(現実→シミュレーション→現実)」パイプラインだという。ここでいう「整合性」とは、デジタル世界内で起きることが現実世界でも同様に起こるという意味であり、これが実現できれば、現実世界で必要となる訓練・評価データの多くを、デジタル世界でスケーラブルに生成したデータで代替できるとしている。
3. 顧客として出会った2社 ― 偶然から始まった統合
興味深いことに、両社の関係は、Fei-Fei Li氏がYunzhu Li氏のポスドク指導教官だったという縁から始まったわけではなかったという。World Labsが、昨年11〜12月頃に最初の生成モデル「Marble」を公開した際、Scenixは、ただの一顧客としてサインアップしていたのだという。Fei-Fei Li氏は、当時それに気づいておらず、後になって「これはあなたの会社だったのか」と驚いたエピソードを紹介し、そこから両社の間に大きなシナジーがあることに気づいたと振り返った。
4. Marbleとは何か ― データ不足という「言語モデルとの違い」
Fei-Fei Li氏は、World Labsが開発する基盤モデル「Marble」について、画像・複数枚の画像・テキストといったプロンプトを入力として受け取り、それをガウシアンスプラットやメッシュとして表現可能な、幾何学的に一貫した3D世界に変換する能力を持つと説明した。Scenixが取り組んでいるのは、ロボティクス分野に特有の「データ不足」という難題だという。インターネット上にデータが豊富に存在する言語モデルとは異なり、ロボティクスの訓練・評価に必要なデータは根本的に不足しており、これがスケーリング則の恩恵を十分に活かせない大きな要因になっていると説明されている。
5. 技術チームの相互補完性
Scenixの技術共同創業者は、3人おり、Yunzhu Li氏に加え、シミュレーション分野の世界的な技術者でコロンビア大学教授のChanghyun Choi(Changi)氏(VFXスタジオWetaやTencentでの勤務経験を持つ)、そして、Amazonに買収されたスタートアップ出身のエンジニアリングリーダーであるSuneel(Sunonni)氏が名を連ねる。
Fei-Fei Li氏は、Scenixが持つロボティクス分野でのハードウェアからソフトウェアまでの一貫した専門性と、World Labsが得意とする生成モデル・コンピュータービジョンによる3D再構成技術が、互いに補完し合う関係にあると説明した。同氏は、World Labs単独では、まだ持ち得ていなかった人材プールがScenixにはあったとし、両社が組むことで技術がより完成度の高いものになるとの見方を示している。
6. ロボティクス向け基盤モデルの構想
両者は、World Labsが最終的にロボティクス向けの基盤モデルを構築する可能性についても言及した。Fei-Fei Li氏は、World Labsが目指す基盤モデルは、今後、マルチモーダルな入力と出力を持つ「オムニモデル」になっていく可能性が高く、行動(アクション)の出力を伴うことも十分にあり得ると説明した。Yunzhu Li氏は、これを敷衍し、フレーム・行動を入力として扱えば、特定の行動を取った際に環境がどう変化するかを予測する「フォワードシミュレーター」として機能し、逆に行動を出力する場合は、特定の目標に対して、現実世界でどんな行動を取るべきかを予測する「ポリシーモデル」として機能すると説明した。こうしたオムニモデルは、ロボティクス分野向けの特定用途にファインチューニングする際の土台としても大きな価値を持つとしている。
7. 動画生成モデルとの違い ― 「一貫性」の重要性
近年、多くのロボティクス企業が、動画生成モデルをアプローチの中心に据える傾向にある中、Yunzhu Li氏は、このアプローチとScenix・World Labsの手法との違いについて説明した。ロボットが学習すべき「世界」を構築する上で不可欠な要件が、「一貫性(コンシステンシー)」であり、これは空間・時間・視点・相互作用のタイプを問わず保たれる必要があるという。同氏は、ロボットが物体を前方に押した際にその物体が忽然と消えてしまうといった問題が、既存の多くの動画予測モデルに見られる課題だと指摘し、こうした一貫性のなさはロボットにとって有効な学習信号にはならないと説明した。
同氏は、また、両社の技術を組み合わせることで、シミュレーション主導のモデルから、実際に現実環境で動作するロボットのポリシーモデルへと至る「データフライホイール」を回すための初期の勢いを生み出せるとの見通しを示した。この過程で得られる新たなデータは、純粋な物理法則のみ、あるいは学習のみに依存するのではなく、その中間に位置する、問題の本質的な構造を捉えつつスケールできるモデルの構築に活かされるという。
8. シミュレーションが持つ2つの価値 ― 信頼性と効率性
Yunzhu Li氏は、シミュレーションがロボット開発にもたらす価値を「信頼性」と「効率性」の2つに整理した。信頼性については、ロボットが、現実環境で確実に機能するためには、遭遇しうる状態やばらつきを体系的に網羅したデータが必要であり、シミュレーションであれば照明条件、摩擦係数、形状、物体の種類といったパラメータを体系的にランダム化・制御できると説明した。
効率性については、多くの企業が、テレオペレーション(遠隔操作)によるデータ収集を行っているが、その速度は実際には人間が同じ作業を行う速度よりも遅いことが多いと指摘した。しかし、多くの顧客企業が求めているのは人間の速度を上回るスピードでの作業であり、単純にロボットを速く動かすだけでは、重力などの物理法則が変わらない以上うまくいかない。シミュレーションであれば、環境の力学的変化を考慮しつつ、ロボットの挙動を体系的に高速化した形で訓練データを生成できるという。
同氏は、また、Fei-Fei Li氏との共同研究の一環として、一般の人々に「ロボットに何をしてほしいか」を尋ねるアンケート調査を実施したエピソードを紹介した。集まった1000件のタスクのうち、実に3分の1が掃除に関するものだったといい、こうした「人がやりたがらない、汚れ仕事」こそ、ロボットによる解決が強く求められている領域だと説明している。
9. 評価(エバリュエーション)という見過ごされがちな課題
Yunzhu Li氏は、ロボティクス分野で見過ごされがちな課題として「評価」の重要性を挙げた。あるモデルのチェックポイントが実際にどれだけうまく機能するか(例えば、95%の確率で成功するのか、99.9%なのか)を把握できなければ、開発を反復的に改善していくための情報源が得られない。しかし、これを現実環境だけで行おうとすると、90%の性能を持つチェックポイントと92%の性能を持つチェックポイントを区別するだけでも、膨大な時間がかかってしまうという。同氏は、ロボティクス分野における現実環境での評価速度は、言語モデルの反復速度と比べて桁違いに遅く、危険でコストもかさむと指摘した。
Scenixの顧客企業は、現実世界との整合性が実証されたデジタル環境を用いることで、あるチェックポイントがシミュレーション上でより良い性能を示せば、現実環境でも同様に優れた性能を示す可能性が高いという確信を持って、スケーラブルかつ安全で高速な評価を行えるようになるという。訓練面についても同様に、照明・摩擦・物体の形状や種類といったあらゆる変数の組み合わせを体系的に制御できる点が、テレオペレーションによるデータ収集が抱える速度・台数の制約を克服する鍵になるとしている。
10. インフラとしての立ち位置 ― 「ロボットは作らない」
両氏は、World Labsとscenixが構築しているのはロボット本体ではなく、ロボットが学習・評価を行うための「世界」を構築するインフラであり、ソフトウェアだと強調した。このインフラは、「モデルにも身体(エンボディメント)にも依存しない」設計になっているという。顧客企業が使用するロボットは、単腕型、バイオ型、固定アーム型、移動マニピュレーターなど多岐にわたり、同社のプラットフォームはこうした多様なロボット形態を柔軟に統合できるとしている。同様に、生成したデータを使ってゼロから新しいモデルを訓練することも、既存の視覚言語行動モデルなどの基盤モデルを事後学習(ポストトレーニング)することも可能な、モデルに依存しない設計だという。
11. ヒューマノイド楽観論への慎重な見方
Fei-Fei Li氏は、ヒューマノイド(人型ロボット)に関する予測の多くがやや前のめりであり、実際には倉庫のような、より制約された環境での展開が先行するとの見方を以前から示していたという。Yunzhu Li氏は、これについて、ロボティクス応用の進展は歴史的に、工場のような「完全構造化環境」から、Amazon倉庫やレストラン・ホテルのような「半構造化環境」、そして家庭のような「非構造化環境」へと段階的に進んできたと説明した。
同氏は、人間の身体は樹上生活のような特定の目的に最適化されたものではなく、非構造化環境で生き延びるために進化した、汎用性は高いが特定の作業には最適とは限らない形状だと指摘した。ビジネス・技術的な観点からは、非構造化環境と汎用的な身体という組み合わせは、実は最も難しい問題であり、必ずしもそれを解くのが正しいアプローチとは限らないとし、まずはより特化した身体で、より狭い問題を解くアプローチを取ることの重要性を説明した。Scenixにとっての課題は、こうした様々な身体・半構造化環境に対応できるだけの「身体非依存性」を保つことだという。
12. 「人間並みの効率」はまだ遠い ― 慎重な楽観論
ロボットが将来、人間と同等のエネルギー効率で単純作業をこなせるようになるかという問いに対し、Yunzhu Li氏は、「非常に長い時間がかかるだろう」と答えた。現実環境で機能するロボットは最終的に必ず一つの「システム」であり、ハードウェア・ソフトウェア・「脳」、さらには指先の摩擦係数といった細部に至るまで、あらゆる要素を注意深く組み合わせる必要があるという。同氏は自身が博士課程を始めた当時と比較して、現在取り組んでいる内容が大きく変化している点を挙げ、エコシステム全体の進化速度がいかに速いかを物語っているとしつつも、こうした予測については「較正された」姿勢を保つ必要があると述べた。
Fei-Fei Li氏は、これに対し、「今日のAIにおいて最も難しいのは、適切に測定された楽観主義を持つことだ」と付け加えた。同氏は、大規模言語モデルでさえ人間の脳(わずか30ワットで駆動する)ほどのエネルギー効率には程遠いとし、画像生成やソフトウェアエンジニアリングのような狭いタスクにおける性能対電力比では近づきつつあるかもしれないが、ロボティクス全般ではまだその域には程遠いとの認識を示した。
13. 統合の進め方 ― 「無理に一つにはしない」
両社の技術統合の進め方についてFei-Fei Li氏は、コードベースやチームをすぐに一つに統合することを急いではいないと説明した。Scenixは、既に十分に練られた(完全に独立しているわけではないが、比較的まとまりのある)独自の技術スタックと顧客基盤、プロダクトを持っているためだという。シミュレーション面や、行動条件付き基盤モデルの領域では既に協業が始まっており、Scenix自身が、https://note.com/startup_now0708/n/n59a35456c67bMarbleの社内顧客としても利用しているとしつつ、チームを性急に「一つのサラダボウル」に混ぜ合わせるようなことはしないとの方針を示した。
拠点についても言及があり、World Labsは、本社をサンフランシスコに置きつつ、Scenix側の拠点があるニューヨークにもオフィスを構える「両海岸体制」の企業になるという。両オフィスに実機のロボットを設置し、遠隔でロボットを扱うエンジニアリング体制を成熟させていく計画も語られた。
14. 2年後の成功イメージと呼びかけ
Fei-Fei Li氏は、2年後の成功イメージについて、ScenixチームとWorld Labsチームが、少数だが重要ないくつかの業種特化型ユースケースにおいて、自社のシステム・インフラが顧客企業の自動化ニーズに真に有益であることを実証し、それらの顧客が事業拡大の「灯台」的な事例になっている状態を挙げた。
また、ロボティクス企業が、どの段階でWorld Labsに接触すべきかという問いに対しては、現実世界へのデジタル化・評価のみを求める顧客もいれば、実機での方策(ポリシー)の実行まで含めた全パイプラインを求める顧客もいるとし、同社のプラットフォームは、顧客のニーズに応じて柔軟に対応できる設計になっていると説明した。最後にFei-Fei Li氏は、ロボティクス関連のプロジェクトや企業に関わる人であれば、「早すぎる」ということは決してなく、「ぜひ連絡してほしい」と呼びかけて対談を締めくくった。
