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(No.6)RHS 3週間目のあなたへ | 米国で顔面麻痺になったら:   暗闇に身を置いて、ただ気づいていて




プロローグ|光るメッセージ・ボード


この記事は、RHS発症後3週間目の私が、
医療手続きをせっせと進める裏側で、
密かに抱えていた不安定な心について綴った記録です。

前回のNo.5の記事では、TRICAREで専門医につながるための手続き、
Referral / Authorizationの確認、請求書やEOBの見方など、
アメリカ医療制度の中で私が実際に行ったことを中心にまとめました。

こういった手続きを少しずつ進めていく最中、
実は、さまざまな感情や不安は、
心の奥底にじっと頑固に居座っていたのです。

そんな底知れぬ心配は、
単に「この顔麻痺と痛みは治るのだろうか」
という範疇をすんなりと超え、
「これからの人生いったいどうなるのか」という
漠然とした心配を筆頭に、根拠のない恐れや、
先の見えない不合理な心労へと、静かに広がっていきました。

「RHSの発症は、来るべき未来の、
何か大きな困難の前触れなのではないか」

13年前と同じ様に……。

根の深い雑草は、地表の成長だけを取り除いても、
奥深い地下層で、その頑強な生命活動を、
密やかに広げ続けます。

私の感情も同じように、
トンネルの中の暗闇の中で、
過去の記憶が、息を潜めて隠れていたのです。

暗いトンネルの中で、じっとしていた私が目を凝らすと
やがて見えてきたのは、

「その不安は、単なる過去の記憶なのよ。だからただ気づいていて。」
と鮮明に書かれた、光るメッセージ・ボードでした。

RHS3週間目の私が、
やがて、そのメッセージにたどり着くまでの記録を、
ここに残したいと思います。


発症から19日目の顔動画アップ


2026年1月15日、ラムゼイ・ハント症候群を発症、
そして、3週間が経った頃。

あの頃、私は何を感じ、何を考え、何をしていたのか。

たった数ヶ月前なのに、
ずいぶん昔のことのように感じます。

発症19日目の顔の様子を公開します。

一般公開にあたっては、
正直、とても怖かったですが、
少しでも、どなたかの参考になれば嬉しいです。


▶ 画像をクリックすると、20秒の回復記録ビデオをご覧いただけます。
3週間目の私は、回復へ向けての日常を整える一方で、
「未来への不安に姿を似せた、過去の記憶」
に反応していた自分と向き合っていました。


その「何か」と、しっかり目を合わせる


眠りにつく瞬間、あるいは、そのほんのコンマ数秒前、
体が暗黒のベールで折りたたまれていくような、
そしてそのままグイッと引きずり下ろされるような
何とも得体の知れない恐怖感に襲われることがあります。

RHS3週間目の頃の私は、
体と心をゆっくり休めることを最優先にするかたわら、
医療や保健の手続き、専門医の予約、
目の保護や痛みへの対応、処方箋やサプリメントの管理など、
けっこう忙しく動き続けていました。

動き続けることで、
そこから何らかの自家発電的エネルギーを生じさせ、
少しでも正気という安心の裏付けを、
確保したかったのかもしれません。

そう、動いている間は、頭と心が、
まだなんとか噛み合っていたのです。

「今の自分はこう言う状態で、
これと、それがいつどこで発生して、その直線上には
おそらくあのようになるのだろう」、と
日常のエピソードを比較的容易に言語化していきます。

例えば、「3週間前に発症した病で、顔の右半分が動かない。
回復には半年はかかる」——そんなふうに、
自分の状態を、客観的に説明できます。

やらなければならないことは、ありがたいことに(笑?)
目の前に山積みで存在していました。
To-Do-Listは、こちらの体調などお構いなしに増えていきます。
疾病の局面が変わるとさらに盛り込まれます。

この状態が、私を、自分が自分でいられる現実世界に
落ち着かせてくれていました。
そして、時折顔をのぞかせる
その「何か」を意識下から微妙に、
角度をずらしていたようにも思います。

でも、心のずれは、その度合いが一定であるはずがありません。
右にずれたり、左にずれたりする内に、
どうしても、ぴったりと視線を合わせて
対峙しなければならない瞬間はやってきます。
その「何か」と向き合うタイミングです。

押し込めば押し込むほど、表面に上ってこようとする
その「何か」。
目を逸らせば逸らすほど、恐ろしい幻影として反射され、
振り払おうとすればするほど、心の中に吸着していく、
その「何か」。

RHSは、そのきっかけでしかありませんでした。
「何か」との対峙の巡り合わせは、
疾病がもたらす顔面麻痺や痛みや苦しみだけが
根本的な要因ではなかったのです。

それは、もっと深いところ、手が届かないところ、
そんな遥か遠くにぼんやり浮かんでいました。
そして、そのように感じれば感じるほど離れていき、
でも、気を緩めた瞬間、目の前に現れるファントム。

「これはまた、何か大きな人生の嵐の前触れなのではないか」
という心の癖が連れてくる幻影。
それが幻であることを確かめるために、
私は、逃げるのをやめて、その「何か」の正体を、
恐る恐る、でもまっすぐに、
見つめてみることにしたのです。




過去に降りていく|重力に心身をあずけて



13年前。

私は、ラムゼイ・ハント症候群を患いました。
今回と同じ病でした。

高校の同窓会に参加するため
日本に一時帰国をして、帰ってきたばかりの頃でした。

その頃の私は、世の中的にも私的にも、
これから何か大きなことが起こるぞ、という
漠然とした予感を抱いていました。

興味の方向が変わり、
それまで信じてきたものが、地軸から静かに組み替わっていく。
周りとの関係も、見える景色も、確実に変わっていった、
私にとって、コペルニクス的転回の時期でした。

忙しかった2012年の年末、
そして2013年、かなり軽症ではありましたが、聞き慣れない、
ラムゼイ・ハント症候群という病気になりました。

そして、そのすぐ後から、
私の人生は、堰を切ったように、崩れていったのです。

人には、御霊が全てこぼれ落ちてしまう空間があります。
私はその時、そこにいました。

朝が来ることが、救いではなく、
ただの苦しい継続でしかなかった。
息を吸うことは、ガラスの破片を飲み込むような痛みを伴い、
強制的に動かない自己を動かして、
意識の背中を押さないと何もできないような無力感に、
取り囲まれていました。
自分の心と身体が、バラバラになったようで、
自分のものでないように、遠かった。

今でもその感覚は、はっきりと覚えています。



ヨガスタジオへの予期せぬ導き


(当時住んでいた)シアトルの冷たい小雨の降る、
ある日のこと。

もう、何がどうなっているのか、
自分でも分からなくなって、
私は家を飛び出し、ただ、ただ、走りました。

どこへ行きたいわけでもなく、
何から逃げたいのかも、どうしたいかも、
もう、何もかも分からなくなっていました。

ただ、走らなければ、
自分が、どうにかなってしまいそうだったので、
じっとしていると、
悲しみの渦に巻き込まれ、窒息しそうだったので、
ただ、ただ、ひたすら、走りました。

息が切れて、もう一歩も走れなくなったとき、
なぜか私の足は、
近所の一軒のヨガスタジオの前で、止まっていました。

ヨガなど、興味もなかった私ですが、
気がつくと、ドアを開け、受付まで足を運び、会話をし、
そして、その日から、ヨガスタジオの会員になっていました。

何かを振り切るために走って、走って、
走った先にたどり着いたのは、家から数メートルのヨガスタジオ。
今思えば、あの一連の流れは、自分の選択であったというよりも、
最後に掴んだ、光る細い糸という
違う次元からの、「贈り物」だったように感じます。

人は真に奈落のそこに落ちたとき、
人智を超えた、何かに導かれることがある。
私にとって、それが、「ヨガ」でした。



その「何か」との再会


あれから13年。

私は少しずつ、自分を立て直してきました。
崩れたものを、一つずつ拾い集めるように。

慈悲深い時間と言うマジックは、「痛み」を「学び」にゆっくりと変容し、
壊れた関係は、以前よりも深いところで、しっかりと結び直されました。

静かで、穏やかで、地に足がついた毎日を過ごす中、
あの頃のことは、
すでに遠い過去になったのだと、思い始めていました。

——そう、思っていたのです。

今回、再び同じ病に罹ったときまでは。



顔の右半分が動かなくなり、痛みと闇の中にいたとき、
意識の底のほうで、
「何か」が、ゆっくりと、頭をもたげてきました。

最初は、それが何なのか、
自分でも、まったく分かりませんでした。
言葉にすらならない、ただの、漠然とした重さ。

でも、それは、確かにそこにいて、
夜、眠りに落ちる瞬間に、私を暗闇へと引きずり込もうとする。


私は、その「何か」の正体を、
まだ掴めてはいませんでした。

けれど、それが、
かつて一度、
どこかで味わったことのある感触だということだけは、
うっすらと思い出し始めていました。



「何か」の正体


すぐに、姿形を露呈するわけではない、
その「何か」。

それは、霧のように輪郭がなく、
掴もうとすると指の間をするりと抜け、
でも、ただそこに確かにある。
そういう、重い気配だけを残していきます。

影絵のモンスターが巨大で恐ろしいのは、
それが光と影に操られた幻想であることを知らないから。

恐怖も不安も漠然としたまま抱えていると、
それは無限に大きく感じられるのです。

そこで、それらをいったん言葉にして、
目の前に並べてみれば、
それらが、いかに取るに足らない、実体を伴なわない
錯覚の残留物であるかが見て取れます。

そこで試みた、一つの実験。
そう、いつでも遊び心を忘れないのが、
リタ姐の取り柄です(笑)。

「何か」に向き合うため、視線を逸らさず、率直に、
疑問をできるだけ正直に、
明瞭化、言語化してみるという実験です。

「13年前と同じように、また、大きな苦難の嵐が始まるのではないか」

「この病は、これから襲来する何か恐ろしいことの、
オーメンなのではないか」

「私の成長を望む何かが、
私に、新たなる人生の試練を授けようとしているのではないか」


書き出してみて、私は、静かに驚きました。

言葉になったその「何か」たちは、
こぞって「未来の顔」をもっていたのです。

心は、今の出来事を過去のパターンに重ね、
無数にありえる未来の中から、
それに似た一つの物語だけを引っ張り出してくる。
そして、それを「運命」と名づけようとするのです。


ただの物語にすぎないものを、
動かせない事実だと思い込む——
この錯覚こそが、
私を不安にする「何か」の正体でした。

私が恐れていたのは、不吉な予感や未来像ではなく、
錯覚の創作物である、
13年前の記憶の物語に過ぎなかったのです。




ヴィパッサナー瞑想と轍(わだち)の気づき


長年のヴィパッサナー瞑想を通して
体で習得してきた気づきの一つに、
人間の心の中の「考え方の癖」
「誰もがしがみつきたい思い込み」、があります。

ひとつの刺激を受け取ると、必ず決まった反応が、
自動で立ち上がる。

自分で考えたわけでも、選んだわけでもないのに、
心は、ひとりでに、いつもの轍(わだち)を、
勝手に走り出す。

そして同じ反応を繰り返すたびに、その轍は、
どんどん深くなっていく。

今回の見たくなかった不安と恐怖の真の姿は、
その心の自動運転が深めていった、
一本の轍に他なりませんでした。

13年前、「病の後に災いが来た」という一本の轍ができた。
だから今回も、病が来た瞬間、
心は、何も考えずに、
その古い轍へと、ハンドルを切っていたのです。

何と誠実で緻密な心の自動運転——
でも、これは、私の自由意志ではありません。




ヴィパッサナー瞑想が教えてくれたことは、
この自動運転を、止める方法ではありません。
刺激が来れば、古い反応は、
当然これからも立ち上がるでしょう。

ヴィパッサナー瞑想の教えはあくまで、
反応が立ち上がった瞬間に、
「あ、今、いつもの轍に入ろうとしているな」と、
ただ、気づくことなのです。

気づいて、立ち止まり、見つめること。
反応に、反応しないこと。



0.2秒の隙間|取りやめる自由


ベンジャミン・リベットの有名な実験* が示唆したのは、
こういうことでした——

人は、行動を「始める」ことを自由に選んでいるわけではない。
けれど、立ち上がった衝動に気づいてから実行までの、約0.2秒、
その隙間でなら、人は反応を「取りやめる」ことができる。

*ベンジャミン・リベット(1983年):
脳が動作の準備を始めるのは、
本人が「動こう」と意識するより前であることを示した実験。
ただし意識が衝動に気づいてから動作までには約0.2秒あり、
その間に反応を取りやめられるとリベットは考えました
(通称 "free won't")。解釈には現在も科学的議論があります。

https://en.wikipedia.org/wiki/Benjamin_Libet

自由とは、始める力ではなく、止まれる力なのかもしれません。
その、ほんのわずかな0.2秒の隙間に、
自動反応の仕組みに気づくことが重要です。

自由はそこでしか手に入らないからです。




私の理解の深まりは、シンプルにまとめると以下の通りになります。

①もやもやの「何か」を言語化すること
②無意識(自動反応)が、意識に上ってくる0.2秒の間に、仕組みに気づく
③気づいて、そのままそっとしておくと、自動反応が止まる

古い記憶が蘇ってくることや、恐れが立ち上がること自体は、
ごく自然なこと。
止められはしません。

でも、その恐れを、
ただの組み込まれたシステムの一部と気づくか、
いつもの自動運転で、能動的にパターンを繰り返すか、
それは、私たちに、選ぶ自由が与えられています。


つまり、轍を深めながら、
時に暴走する心の仕組みに振り回されるか、
その轍から降りて自由になるか、
選択はいつも私たちのなかにあったのです。



今も、眠りに落ちる瞬間、
あの暗く重たい感覚が訪れることは、あります。

でも、もうそれが、いつものパターン、
過去からの、ただのエコーだとわかってしまえば、

そのこだまに、「おかえり」と言って、
また見送ってあげる自由さえ、あるのです。

そう考えると、なんだか楽しくないですか?

暴走する心の自動運転に乗せられ、
嵐の中を、ただ、翻弄されていた13年前。

今の私は、
同じ嵐を記憶のシステムの中で、少し離れたところから、
静かに、眺めています。

0.2秒で、見て、気づいて、そっとする。

この0.2秒の隙間に宿る自由は、
AIには立ち入ることのできない、
人類だけに許された聖域なのではないでしょうか。

その静かな内なる自由こそが、
13年という時間が、私に贈ってくれた、
大きな宝物でした。

そして、今回のRHSは、
それを再び呼び起こしてくれる
大変貴重な体験となったのです。



トンネルの中|闇に身を置いて


「何か」の正体は、次第に明らかになってきました。
でも、外界から私の心身を遮断する、トンネルそのものが、
消えたわけではありません。

さらなる回復までに、これからどれくらい掛かるのか。
いったい、どこまで回復するのか。
後遺症は残るのか。
いつ目が閉じるのか。いつ痛みが消えるのか。
いつか笑顔が戻るのか。

出口は、まだまだ見えません。
それどころか、進んでいるのか、止まっているのかさえよくわからない。
進む方向すら見失う瞬間もある。

自分の感覚だけが頼りの、真っ暗なトンネルの中で、
私は鉛の重りをつけた足をひきずり、
何かを探し、何かを考え続けていました。
鏡の中の「自己」に目を凝らし、
そして、つながり、そして見失い。

確認しては不安になり、確認しては笑顔のない顔で微笑む。
——その無意義な反復に、心は音もなく消耗していくのでした。

私たちの目は、瞳孔をいっぱいに開いて、
ほんの僅かな光をも取り込んでくれます。
いずれ、暗闇のトンネルでも目は慣れてくるでしょう。

でもね、そうやって、いくら目を凝らし続けても、
やっぱり、闇の中で見えるものには限界があるんです。

こうした時間のよどみは、一体何?
これは、RHSが私に与えてくれた人生の幕間のひとときなの?

そんな、3週間目の私に、現在の私から贈りたい
もうひとつの言葉。

真っ暗なトンネルの中で、
必死に周りを見ようとしても、ただ疲れるだけ。
抜けるまでは、
闇にどっぷりと身を置いて、じっとしてればいいのよ。


見えないものは見えないまま、
動かないものは動かないまま、
泣きたい気持ちは泣きたいまま、
笑顔が無理でもいい、明るい顔をしなくてもいい、
前向きな言葉も、回復の証拠も、
今はまだ、無理に見つけようとしなくてもいいんだよ。

そして、その頃の私の声が続く。

そっか、光の見えないこの暗闇は、心安らぐ別荘地。
心と身体が休まるまで、充分ゆっくり過ごせばいいのね。

未来の自分から、贈り物をしっかり受け取った私は、
やっと心からそう思え始めました。
次第に焦りは姿を潜め、気持ちは少しだけ穏やかになりました。


0.2秒の気づきは「動」の智慧。
闇にどっぷりと身を置くことは「静」の智慧。

心の轍には、目を覚まして気づき、
見えない闇には、目を閉じて委ねる。

このふたつを行き来しながら、
私はトンネルを、少しずつ進んでいきました。



大切な存在とコミュニケーション


そして、その暗いトンネルの中で、
私は、決して一人ぼっちではありませんでした。

この不安定な時期、いつでも、そばにいてくれる存在がいました。
夫です。

病気になると、いろいろなものが削ぎ落とされていきます。

見栄。強がり。固定観念、付けている仮面と役割、
いつも元気に笑って、場を明るくする役目の自分。

そういうものが一枚ずつ剥がれていったとき、最後に残るもの。
説明しなくても、何も要求しなくても
当たり前のように、そこにいてくれる人。
こちらが崩れかけても、嘆いても、
同じ距離でいつも一緒にいてくれる人。

この人がいる——
その安心感だけで、身体の中の警報器は、
少し静かになります。
それは、どんな言葉よりも、
穏やかさをもたらしてくれました。


そして、もう一つ学んだことがあります。
伝えたいことは、はっきりと伝える。
要望があれば、自分の気持ちを、できるだけ冷静に、
客観的に伝える。——その大切さです。

例えば、症状で敏感になっている耳には、
彼のほんの少しの大きめの声も、かなりの痛みを感じました。

それを、「どうしてわかってくれないの!?」と
感情的で訴えるのではなく、
この病気の特徴や、特別に協力をお願いしたい部分を
多少の医学的知識を含めながら、
説明するように、丁寧に伝えるのです。

また、彼の言葉の選択や、なにげない態度にも、
闘病中の繊細な心には、グサグサとくることがありました。

できるだけ感情的にならず、
私はこう感じるから、こうしてもらえるとありがたい、
というスタンスで、
誠実に真剣に話をすることが大切です。

弱っている時だからこそ、
大切な人とのコミュニケーションは、
一段と磨きをかける必要があるのかもしれません。



必要なのは「苦しみ」ではなく「気づき」


トンネルの中で、静けさと、
隣にいる人のぬくもりに支えられながら、
私の中で、もうひとつの力強い気づきが、
ゆっくりと形になっていきました。

それは、こういうことです。

私はもう、自分の成長のために、新たなる苦しみを抱え込む必要はない。



正直なところ、私は長いあいだ、心のどこかで、
「人は、苦みという関所を通らないと、
深くもなれない、成長もできない。」
と心のどこかで信じていたような気がします。

それは単なる思い込みでしかありませんでした。

13年前、絶体絶命の境地に立たされた中で、
人生の学びとして与えられたもの。
傷つきながらも、深まった関係。
後悔の中から、少しずつ拾い上げた知恵の数々。

苦しかった時間が、私の人生を変容させたことは、
紛れも無い事実です。

前章でも触れた、「何か」を見つけるために
言語化した三つ目の問い——
「私の成長を望む何かが、私に、
新たなる人生の試練を授けようとしているのではないか」——

あの問いの根っこにも、この思い込みが、静かに横たわっていたのです。

でも、今回のRHSの体験は、
私に、「苦しみと成長」との関係においての、
新たな視点を設けてくれたのです。

人は、苦しみそのものによって成長するのではない。
苦しみのあとに、そこから何を受け取り、
どう意味づけるかが鍵となる

経験も、知恵も、祈りも、感謝も、そして、
自分を立て直す勇気と力も
——今の私は、もう十分に携えています。
今の私の成長に必要なのは、もはや新しい苦しみではなく、
日々の微細な「気づき」そのものなのです。



プロローグで書いた、あのメッセージ・ボードを、覚えていますか。

真っ暗なトンネルの中で、じっと目を凝らした先に、
やがて浮かび上がってきた、一枚の言葉。

「その不安は、単なる過去の記憶なのよ。だからただ気づいていて。」

3週間目の私が、恐れと向き合い、言葉にし、
心の轍に気づき、闇に身を委ね、大切な人のぬくもりに支えられて——
やがてたどり着いたのが、この一枚でした。

そして、もし今、RHS3週間目のあなたが、
真っ暗で長いトンネルの中で、自分を見失っていたら。
そんなあなたに、そっと伝えてあげたい。

大丈夫。トンネルはいずれ抜けるよ。
そして、実は、トンネルの中も、決して悪くはないよ。
不安が湧いてきたら、
それは単なる過去の記憶の残骸だということに、
ずっと気づいていてください。




振り返り漫画: (No.6)RHS 3週間目のあなたへ

ここで少し、No.6の内容を漫画で振り返ります。

下の「ビューアを開く」ボタンを押すと、
振り返り漫画をご覧いただけます。
日本語漫画形式のため、ビューアを開いた後は、
左向きの矢印で次のページへ進んでください。



次回予告


次回、RHS 4週間目のあなたへ

回復に向けて、自宅でできることは限りなくあります。

この頃の私は、
目を守ること、
神経を休ませること、
日常の小さな危険を減らすこと、
そして、自分なりの回復ルーティンを整えることに
集中していました。

そうした日々の工夫が、
回復への大きな土台になっていったように思います。

そこで次回は、
私が実際に役立ったと感じたもの、
サプリや目の保護、
片方目をテープで塞いでいる際の生活で気をつけたこと、
そして、回復を守るために整えた工夫をお届けします。

👉
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リタ姐コード|Studio JMC  

 🌍 英語版はこちら

note
👉 リンクhttps://note.com/studio_jmc/n/n0061ce6b5ea8










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