海外のピザには素材の豪快さがある
以前のエッセイで、私は海外旅行へ行くと必ず日本食を食べに行く、という話を書いた。
https://note.com/summer_princess/n/n34b781599264
でも、それ以外にも、海外旅行へ行くとだいたい必ず食べるものがある。
ピザである。
日本食の次にピザ。
しかもイタリアンスタイルでも、アメリカンスタイルでも構わない。
ナポリっぽくてもいいし、ニューヨークっぽくてもいい。
薄くても、厚くても、でかくても、少し焦げていてもいい。
とにかく私は、海外へ行くとピザを食べたくなる。
別に、日本で食べるピザがまずいわけではない。
そこは違う。
日本のピザはちゃんと美味しい。
生地もきれいだし、チーズも安定しているし、仕事はかなり丁寧だ。
宅配ピザだって、あれはあれでちゃんと一ジャンルとして強い。
だから日本のピザを下げたいわけではまったくない。
ただ、それでも、どこか物足りなさを感じているのもまた事実なのだ。
あの物足りなさは何なのだろうと考えるのだけれど、たぶん私はピザに対して、ときどき「豪快さ」を求めているのだと思う。
海外のピザには、それがある。
まず、素材の置き方が違う。
遠慮がない。
チーズも、肉も、野菜も、
「このへんでいいかな」
ではなく、
「うまいんやから、ちゃんと乗せとくわ」
という感じで来る。
ここが好きだ。
タイでも、韓国でも、台湾でも、私はそれを感じる。
別に本場のイタリアやアメリカでなくてもいい。
あの「海外のピザ」には共通して、素材を信じている感じがある。
もっと言えば、ピザという食べ物そのものを信じている感じがある。
チーズはたっぷりでいい。
肉もちゃんと主張していい。
ソースも隠れなくていい。
バジルもオリーブも遠慮しなくていい。
そういう、ピザに対する解放感がある。
そこがたまらない。
日本のピザは、どこかきれいだ。
きれいで、整っていて、優等生っぽい。
それはそれで美徳だと思う。
でも海外のピザには、もう少し“食べ物としての欲望”がむき出しで出ている時がある。
焼けた生地。
強めの塩気。
惜しみなく伸びるチーズ。
でかめの具材。
噛んだ時のオイル。
あの感じが好きだ。
ひと口食べた瞬間に、
「あ、これちょっと本気やな」
と思う時がある。
おしゃれというより、まず満足させにきている。
でも、その満足のさせ方が雑ではなく、ちゃんと魅力的なのだ。
私はああいうピザに弱い。
しかも、海外のピザって、妙にその街に合っている時がある。
暑い国で食べる、少し重たくて塩気のあるピザ。
汗をかきながら食べるのに、なぜかちゃんと美味しい。
夜に食べてもいいし、昼にビールと食べてもいい。
少しラフな店で、紙ナプキンを多めに使いながら食べると、余計にうまい。
あれはたぶん、料理そのものだけじゃなく、食べる空気まで込みで好きなのだと思う。
私は旅先でピザを食べる時、その国の「食の解放感」を食べている気がする。
どれだけ大胆にチーズを使うのか。
どれだけ堂々と脂を出すのか。
どれだけ塩気を効かせるのか。
どれだけ「うまいものは、ちゃんとうまくていい」と思っているのか。
そのへんが、ピザにはかなり出る。
おもしろいのは、ピザは本場じゃなくても、その国の性格がちゃんと乗ることだ。
タイならタイっぽいテンションで。
韓国なら韓国っぽい勢いで。
台湾なら台湾っぽい親しみやすさで。
その国なりの「うまさの盛り方」が出る。
だから私は、海外へ行くとピザを食べたくなるのだと思う。
本場を確認したいというより、その国がピザという食べ物をどう欲望で解釈しているか見たくなる。
日本のピザも好きだ。
でも海外のピザを食べると、ああやっぱりこの感じなんだよな〜と思う。
もう少し雑で、もう少し大胆で、でもそのぶんちゃんと満たされる。
あの感じが、私はかなり好きだ。
たぶん私は、ピザに美しさだけを求めていない。
ちょっとした下品さまで含めて求めている。
チーズが多い。
ソースが強い。
具材がちゃんとしている。
一枚食べ終わる頃には、ちょっと口の周りまで満足している。
そういうピザが好きだ。
だから海外旅行へ行くと、日本食を食べに行く。
そして、そのあとだいたいピザも食べる。
この二つは、私の中でわりと同じくらい必須である。
片方は帰る場所の確認。
もう片方は、その国の欲望の温度を確かめる作業なのかもしれない。
旅先で食べるピザは、ただのピザではない。
その国の食の大胆さとか、素材への信頼とか、ちょっとした雑さまで全部乗ってくる。
私はたぶん、それを毎回確かめに行っているのだと思う。
そしてだいたい、ひと口目でちゃんと嬉しくなる。
ああ、これこれ、海外のピザってこうだよな〜
