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かくして、僕は今日も昭和映画館に足を向ける。

今より、ずっと混沌としていた時と街で、
僕は映画の森の中を彷徨い、何かを探し続けていた。
何を、って?
それが分かっていたら、あんなに映画に夢中になれるわけない。
けれど、求めているものが、そこにあって、いつか見つかる気がした。
だから僕は今日も、ポケットの中の期待と不安が溶け合った感情を握りしめて、昭和映画館に足を運ぶ。


第1回 「青幻記〜遠い日の母は美しく〜」
第2回「さらば友よ」


Column #1 かくも主観的なハードボイルド考察

ハードボイルド。
昭和の後期、ずいぶんと流行ったワードだ。
流行ったきっかけは例によってTVCM。レイモンド・チャンドラーの後期の作品「プレイバック」で、かの名探偵、フィリップ・マーロウの呟いた言葉がそのまま映画の惹句に使われたことから。
「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」というやつ。
原文では、
f I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
と、タフとはどこにも書かれていないが、いつの間にか「強くなければ〜」が「タフでなければ〜」に変わってマーロウの名言集に収められてしまった。翻訳家だった清水俊二さんも、さぞ嘆いていることだろう。
チャンドラーの作品の中で「プレイバック」はとくに名作というわけではなく…。いやいや、本ではなく映画の話。
ともかく、物語の前後の関連性を除いておいしいところだけを抜き取るのは今も昔も変わっていない。
ハードボイルドも、愛だの絆だの友情だの、と同じように声高に叫ばれると小っ恥ずかしくなるワードだ。レイバンかけてタバコ咥えながら拳銃バンバンぶっ放してニヒルに笑えばハードボイルドの完成、という風潮が流れ、また便乗して次々にそんな作品が出てきた。
愛とか友情とか、そんな普遍的なワードになってない、つまり好んで使う誰もが分かってないから、すぐに死語になった。
誰が悪い、とは言わないが、本来のハードボイルド作家やファンはこの風潮にずいぶんと眉を顰めたものだ。

じゃあ、ハードボイルドってなんなのよ?
と聞かれると、ここまで散々、偉そうなことを言ってきたものの、定義するのはとても難しい。ワードとしては古くからあるけれど、文体として確立されたのはアーネスト・ヘミングウェイとダシール・ハメットの登場からだ。
その後の系譜を書くと長くなるので割愛するが、ご存じのようにヘミングウェイは純文学、ハイカルチャーだがハメットはサム・スペードが主人公の探偵小説、ポピュラーカルチャー。
つまりハードボイルドはジャンルに関わらず当てはまり、主語ではなく述語にすると分かりやすい。
ハードボイルドとは〇〇である、ではなく、〇〇はハードボイルドである、というように。
ひとつだけ、条件をつけるとしたら、それは「乾いている」こと。
ハードボイルドとは元来、固茹で玉子のこと。黄身が固まって粉っぽくなり、食べにくくなることが転じて「食えないやつ」とか「アクの強いやつ」と使われるようになった。
どれほど内面に情緒を持っていようと、それを表面に出さず、つねに乾いていれば、それはひとつのハードボイルドといえる。さらに言うならば、その落差が大きく、それでいて「情緒」と「乾き」のバランスが保たれていれば、それは優れたハードボイルドなのだ。

ハードボイルドはどこにでもあるし、誰もがなれる。
明日の海の天気を肌で感じられる漁師でも、今晩の夕食の献立を考えてスーパーに向かう主婦でも、満員電車で毎日通勤するサラリーマンでも、そして私のような無名の売文家でも。
ハードボイルドは、けっして、死語ではない。

Column #1 END


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