北海道の廃線跡探訪 第119回 深名線(7/7)北母子里~名寄間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪 第119回深名線その7 北母子里~名寄間です。
名雨トンネルを抜けても接近難航区間は変わりませんが、天塩弥生方には、一部路盤が作業道のようになっているところがあります。
天塩弥生からは平地となりますが、反面、痕跡は少なくなってしまいます。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.北母子里~天塩弥生 その2

トンネルが連続するこの区間は、林道や市道?が複雑に走りまわっているが、地図にはない道やすでになくなった道もあり、加えてチェーンやゲートもあり、深名線跡へ近づくのは容易ではない。
初茶志内トンネル接近を断念しての帰り道、一部が舗装されていた道路には、1車線の路面が半分見えなくなるほど、クマのフンが大量にあるところがあった。
クルマならまだしも、バイクで遭遇したら、どうしようもない。クラクションを鳴らして刺激するわけにもいかないし、さりとて狭い道ですばやくターンする技術もないし、追いかけてこられたら、林道並の未舗装道をクマより早く走る自信もないし、急カーブで谷へ落ちる怖れもある。
フンは新しいものはなかったからまだしも、早々に下山。見通しの悪いカーブ地点ではクラクションを鳴らしつつ慎重に前方を確認、平地に出たときはホッとした。
2023年5月、道道の冬季閉鎖解除を待ち、太釜トンネルの北母子里方ポータルへ行く準備をしていたら、まさにその前日、朱鞠内湖で釣り人がクマに襲われて亡くなるという事態が起こった。
春のタケノコ採りや秋の山菜採りで山に入った人が、ヤブのなかでいきなりクマに遭遇するということはしばしば耳にするが、見通しのきく湖畔で襲われるというのは、恐ろしい。やはり、夜明け直後や夕暮れ時は危ない。
深名線跡へ行くにしても、クマの領分に侵入しているわけだし、自分自身はまず、あきらめるとしても、まわりに多大な迷惑を及ぼすし、いくら件のクマは駆除された(ハンターが鉄砲を向けても逃げなかったらしい)といっても、断念せざるをえなかった。
天塩弥生の北母子里方にあった道路とのオーバークロスも撤去されているが、ここから北母子里方の路盤は整備されており、歩くことができた。


ひょっとしたら初茶志内トンネルまで続いているのではと期待して行ってみたが、途中でヤブになっており、トンネルまでたどりつくことはかなわなかった。

3.天塩弥生~名寄

天塩弥生は1951(昭和26)年7月、開業時からの初茶志内から改称されている。
駅跡は整地され、まったく面影がなくなっていたが、2016年北海道の国鉄駅舎を模した、宿泊施設兼食堂「天塩弥生駅」ができている。まわりには鉄道電信柱(ハエタタキ)も復元されている。


天塩弥生からは平地となり、路盤は耕地整理でほとんど消えている。

附近にライスセンターなど大きな工場が建つ西名寄は、民家裏手の空き地となり何も残っていないが、上幌加内と同じ運転用の駅名表示標が立っていた。


ここからも路盤はなく、やがて名寄バイパスが行く手をさえぎり、天塩川橋梁もどこにあったのかさえわからないほどになっている。

深名線沿線から名寄市街に来ると、まるで大都会に来たような感じがする。
天塩川を渡ると豊栄川まで築堤が残っているが、その先は拡幅改修された豊栄川となっている。


深名線を跨いでいた国道40号の跨線橋も撤去されているが、路盤はそこから緑地帯などになり、北へ曲がるあたりから工場専用線とともに路盤が残る。


前方に名寄公園(名寄市北国博物館)に保存されているキマロキ編成が見えてくると、すぐに宗谷本線との並行区間となる。
キマロキ編成に並んで、天塩弥生と西名寄の駅名標が保存されていた。





(タイトル写真は同地点から名寄方を望む) 2009年5月撮影
名寄は今時珍しい風格のある1927(昭和2)年建築の木造駅舎で、木造客車庫やヤード照明灯もあり、さらにはトラック輸送だがJR貨物のコンテナも見られる。

深名線が発着していた本屋寄りの0番線に線路はなく、埋められて地面とほぼ同一面になっている。

名寄本線と深名線の廃止後は分岐駅でなくなり、往時の賑わいは失われたが、0番線廃止後に深名線も発着していた3番線は、宗谷本線の列車が使っている。
2016(平成28)年には旅行センターやキヨスクもなくなってしまったが、全体的に国鉄時代の雰囲気がよく残っている。

今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回からは、江差線廃止区間(木古内~江差間)です。
