北海道の廃線跡探訪 第102回 士幌線(1/7)帯広~音更間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪 第102回 士幌線その1 帯広~音更間です。
士幌線は、平坦区間の清水谷まではあまり見所はありませんが、音更駅跡には保存車輌があり、士幌駅舎も残っています。
清水谷から先の山間部は、逆に駅舎や車輌の保存はありませんが、アーチ橋群で有名になっています。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.士幌線小史
士幌線は1925(大正14)年12月10日帯広~士幌間が開業、翌年7月10日には上士幌に達するが、しばらく延長されなかった。
1935(昭和10)年11月26日清水谷、1937年9月26日糠平まで開業、1939年11月28日には十勝三股まで全通した。
1955年8月には糠平ダム建設により清水谷~幌加間が切り替えられ、トンネル10、橋梁13を新たに設置、湖底に水没する糠平駅は移転した。それまでトンネルは糠平~幌加間の音更トンネルだけだったから、工事の大規模なことがわかる。この線路変更で営業キロは2.3㎞延びている。
十勝三股から三国峠を越えて上川まで延長する計画もあったが、着工されずに終わっている。また、上士幌では1931年から1949年まで北海道拓殖鉄道が接続していた。
士幌線沿線は農産物・林産物の豊富なところで、十勝三股からは森林鉄道も出ていた。
夏には帯広~糠平間に臨時準急「しほろ」、広尾~帯広~糠平間に臨時急行「大平原」が運転されたこともあったが、林業の衰退や過疎化・モータリゼーションの進展により、まず1978年12月25日、糠平~十勝三股間がバス代行となる。
ついには国鉄再建法による第二次特定地方交通線に指定、国鉄分割民営化直前の1987年3月22日「しほろ号」が運行され、翌23日廃止、60年に及ぶ幕を閉じている。
3.帯広

根室本線帯広駅は1996(平成8)年高架となり、士幌線や広尾線があったころと大きく変わっている。

北口の駅前広場には、1905(明治38)年根室本線開業時の位置に復元したという線路が埋め込まれ、わずかだが駅の歴史を感じさせる。
上士幌・糠平方面のバスも北口のバスターミナルから出ている。

4.帯広~木野
士幌線は帯広を出ると滝川方を根室本線と並行、やがて北に向きを変える。ちょうど根室本線と離れるあたりにあった、ウツベツ川を渡る分監川橋梁の跡はなく、その先から遊歩道となり、信号関係の施設が保存されていた。


帯広川の橋梁も架け替えられ、国道38号の跨線橋も平面化されている。
以前は国道から伏古別川の先まで築堤が残っていたが、伏古別川橋梁の跡はなかった。

現在は伏古別川まで遊歩道となり、伏古別川橋梁の先の築堤も宅地化されている。
十勝川を渡る第2十勝川橋梁も跡形はない。
士幌線では十勝川最初の橋梁なのに「第2」となっているのは、根室本線幕別~利別間にすでに十勝川橋梁があったからだろうか。

2009年8月撮影

十勝川を渡った士幌線は音更町に入り、木野市街に向けて下りていく。
堤防近くの築堤は崩されているが、鈴蘭公園に沿った道道337号から先の築堤はきれいに残っている。しかし、平面になると道路や宅地になり、マンションまで建っている。


士幌線は、ここから音更の先まで、国道241号とほぼ並行するようになる。
5.木野~音更

木野駅跡には音更町役場の支所などが建ち、駅を感じさせるものは周囲の倉庫・農業関係の工場などだけだが、2014年、駅跡を示す標柱と解説板が立てられている。



駅構内の北端にあたる鈴蘭川にも橋の跡はなく、そこから路盤は水路となり緑陽通り手前まで続いている。

緑陽通から1㎞ほどは道路化され、その先は道東自動車道の下にあるハイウェイ記念公園までは路盤が残っている。



公園の先で路盤はいったん農地化されているが、すぐまた現れ、国道241号とぴったり並行するようになる。やがて音更市街南端で宅地となる。


今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は、音更から中士幌へ向かいます。
