北海道の廃線跡探訪 第103回 士幌線(2/7)音更~中士幌間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
おかげさまで、noteをはじめてから、ちょうど1年になりました。
北海道の廃線跡探訪 第103回 士幌線その2 音更~中士幌間です。
音更駅跡には8620形蒸気機関車などの保存車輌がありますが、路盤はあまり残っていません。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.音更

音更駅跡は交通公園となり、8620形48624号機・ヨ3500形ヨ4730・キ700形キ704が保存されている。
2014年には、木野駅跡などと同様、解説板と標柱も設置された。




このうち、48624号機は国鉄釧路工場で保存されていたもので、そのため教習用として構造がわかるように一部がカットされている。

北海道内での8620形の保存は現在は2輌だけで、すべて十勝管内にある(ただし、鹿追町にある北海道拓殖鉄道の8622号機は自社発注機)。
※北海道拓殖鉄道の8622号機については下記拙稿をご覧ください。
士幌線の蒸気機関車といえば無煙化されるまで使われた9600形がなじみ深いが、9600形は広尾線沿線(愛国駅跡と大樹町)で保存されているからか、帯広機関区が最終配置であり、士幌線でも使われたと思われる48624号機が選ばれている。

C11 176号機の第3動輪を使った碑も設置されている。
この機関車は保存話もありながら、解体されてしまった不運な機関車だった。

保存車輌には頑丈な屋根がかけられてはいるが、状態はあまりよいとはいえない。
特にキ704などは、窓ガラスはすべてなくなり、乗務員扉も失われている(2009年8月には近くに落ちていた)。
48624号機のキャブの窓ガラスや前照灯のガラスもなくなっている。


3.音更~駒場

士幌線は音更から先は、音更川を渡る国道241号と離れ、音更川西岸を行く。
音更市街では道路や宅地になっているが、JAおとふけ農産センターの横から帯広バイパスまでは路盤が残る。

その先は、駒場の手前で作業道として残っている以外、ほとんどが農地化されている。


作業道は駒場市街で舗装道路となり、駅跡へ至る。

4.駒場~中士幌

駒場市街は、国道などの交通量の多い道路からは離れているので、静かな感じがする。新しい家も多く、中学校と小学校もある。
その一角にある駒場駅跡は、バス待合室を兼ねた小公園「ききょうの里」と駒場中央公園となっている。


バス待合室は営業当時の駅舎とよく似ており、駅舎の待合室部分を改造(扉やサッシだけ利用?)したものか、あるいは駅舎を模して新たに建てたものだろうか。


ここにも音更町教育委員会により標柱と解説板が設置されている。
それには、〈駅名は当初「桔梗が丘」で(中略)「駒場」に変更されました〉と記されている。そんな事実は知らなかったので、驚いた。


しかし、駅名は開業時から「駒場」であり、「桔梗が丘」から変更されたという事実はない。
教育委員会設置なので、出典は町史であろうと疑い、2002年9月音更町発行『音更百年史』を参照してみた。
そこには、〈駒場駅は計画当初、付近一帯に桔梗が群生していたために「桔梗ヶ岡驛」と決定していたが、開業直前に変更し、農林省の十勝種馬所の駒にちなんでつけられたもの〉とある。
意外にも(失礼)町史が〝犯人〟ではなかったが、きちんと町史を読んでいれば、まちがえるはずがないのに、どうしてこんなことになっているのか。よけいに不思議。
せっかく解説板を設置しても内容がまちがっていては意味がない。地元の公的機関が設置したからといって、必ずしも正確とは限らないという好例(悪例?)だろうか。
駒場中央公園の先から舗装道路となる。

音更川へ向かう築堤も一部が残っているが、音更川橋梁の痕跡はない。
武儀方の築堤は崩され、農地化されている。

1956(昭和31)年12月設置、「朝礼台」ホームと待合室のみという仮乗降場並みだった武儀駅跡は完全に農地化されている。
近くの送電線と道路から位置が確認できるだけだが、駅への入口があった道路に音更町内の駅と同様、解説板と標柱が建てられている。

武儀からも路盤は、広大なジャガイモ・トウモロコシなどの畑や牧草地が拡がり、一直線に伸びた防風林がある典型的な十勝の風景のなかに消えている。
途中には第2幹線橋梁など用水路や小川を渡る橋があったはずだが、Iビーム橋が1カ所だけ残っていた。
路盤は中士幌の手前まで確認できない。


今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は、中士幌から士幌へ向かいます。
