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北海道の廃線跡探訪 第116回 深名線(4/7)政和~朱鞠内間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪 第116回深名しんめいその4 政和せいわ朱鞠内しゅまりないです。

政和駅舎は改修が甚だしいですが、一応残存、添牛内そえうしない駅舎は近年修復され、きれいになっています

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.政和~添牛内

1/5万地形図「幌加内」昭和59年修正に加筆

深名線廃止後に食堂に転用されていた政和駅舎は、閉店後も残っていたが、今は農機具車庫となり、正面側とホーム側は全面開口の扉にされている。

ホーム側の差しかけ屋根は、屋根や勾配も違い、柱も鉄骨だから、新たに設置したらしい。

そのため駅舎の面影を残すのは屋根と妻板だけだが、一端の柱に縦型駅名標「せいわ」(複製品?)がつけられ、所有者の思いも感じられる。

①「08年5月再オープン」とあるが、結局再開されなかった 2009年5月撮影
①農機具車庫となった政和駅舎 右隅の柱上部に縦型駅名標がついている 2022年10月撮影
①同 添牛内方 2022年10月撮影

政和を出ると次第に国道と離れていき、五線川橋梁を渡るが、ここには近づけなかった(航空写真を見る限り、橋自体は撤去済み)。

八線川橋梁の前後の路盤は農地となり消え、橋の跡もないが、十線川橋梁の添牛内方の橋台だけ残っていた

②八線川橋梁のあったあたりから政和方を望む 2024年6月撮影
③十線川橋梁の添牛内方の橋台 2024年6月撮影
1/5万地形図「添牛内」昭和59年修正に加筆

仮乗降場出身で、1990(平成2)年9月に廃止された新富には、取付道路と集荷所だったブロック造の建物があるだけで、路盤も牧草地のなかに消えている。その手前の十三線川に架かるポプウナイ川橋梁の跡もない

④駅跡から国道を望む 2024年6月撮影

深名線は新富の先で国道とクロス、西側に移る。踏切で直交するため曲がっていた国道はゆるいカーブとなり、路盤も消えている。

再び国道と接近するあたりに、深沢川に小さいアーチの紅葉川橋梁があり、ほかにも小コンクリート橋があった。

⑤紅葉川橋梁 2024年6月撮影
⑥十八線川に残る橋台跡? 2024年6月撮影

早雲内川を渡るソウウンナイ橋梁は、両側に築堤が残るだけで、橋の跡はなかった。

苫前町古丹別に抜ける国道239号の跨線橋をくぐると、添牛内となる。

⑦国道239号の跨線橋から元の添牛内駅構内を望む 2009年5月撮影

3.添牛内

1/5万地形図「添牛内」昭和59年修正に加筆

ここには駅舎と一部崩れてはいるがホームが残り、線路があれば営業当時と変わらないほどの雰囲気が残っていた。

⑧添牛内駅舎 2009年5月撮影
⑧同 ホーム側

かつては駅前の農家が、駅舎を買い取り、倉庫に使っていたが、所有者のかたは、毎年雪下ろしがたいへんと話していた。
しかし、使われなったため、ホーム側の差しかけ屋根がなくなり、正面車寄せや共栄方の屋根も痛みが進んでいった。

⑧同 右端の屋根や車寄せが痛んできている 2016年6月撮影
⑧同ホーム側 差しかけ屋根がなくなり、閉塞器室が剥き出し 2016年6月撮影

しかし、2017年有志により、正面の駅名板がつけられ、まわりの整備もなされた。

⑧復元された駅名板 2017年8月撮影

さらに地元で保存会が設立され、クラウドファンディングで資金を調達、2022年秋には美しい姿になっている

⑧修復後の添牛内駅舎 2023年6月撮影(タイトル写真も同じ)
⑧同 ホーム側 2024年6月撮影

高齢化や過疎化が進み、深名線を知る人が少なくなる一方、地域の歴史を残そうとする取り組みが行なわれていることは頼もしい。

⑧営業当時の添牛内駅舎 1995年8月撮影
⑧同ホーム側 1995年8月撮影

国道沿いの添牛内市街地は、駅と少し離れた朱鞠内方にあり、立派なバス待合室もそこにある。

4.添牛内~朱鞠内

添牛内のすぐ先の増田の沢川には橋台が残っているが、大曲附近の路盤は放牧地となり消えているところもある。

⑨増田の沢川に残る橋台 2018年6月撮影
⑩大曲の踏切跡から共栄方を望む 添牛内方は牧草地で消失 2018年6月撮影

国道は2回雨竜川うりゅうがわを渡るが、一度対岸になった深名線が再び接近すると、両側から山も近づいてくる。

国道の共栄跨線橋から見ると、路盤は初春には確認できるが、季節が進むとたちまちヤブに覆われる。

⑪共栄跨線橋から共栄方を望む 2009年5月撮影

共栄手前の第4雨竜川橋梁にも橋の跡はなく、JR昇格組の共栄駅も路盤だけで痕跡はない

⑫共栄駅跡を望む 2009年5月撮影
1/5万地形図「添牛内」昭和59年修正に加筆

第1雨竜トンネルへは共栄の踏切跡から路盤を歩いていく。
トンネルポータルには金網がかぶせられ、下半分は土砂でふさがれていた。朱鞠内方も国道トンネルの東下方にある

⑬第1雨竜トンネルの共栄方ポータル 2009年5月撮影
⑭同 朱鞠内方ポータル 2009年5月撮影

続いて渡る第5雨竜川橋梁のあたりには、国道の橋から橋脚が1本立っているのが見える

⑮国道の橋から見える橋脚 2009年5月撮影

雑誌連載時には深名線のものと勘ちがいしたが、営業当時の写真から、第5雨竜川橋梁の橋脚は円柱であり、さらによく見ると、その奥に四角い土台のある橋脚があるのがわかる。これが現存する橋脚らしい。
国土地理院の旧版地図や空中写真を見ても、深名線の旧線なのか、あるいは旧道のものかはっきりしない。

⑮同地点から撮影した、第5雨竜川橋梁を渡る5722D 1995年8月撮影

いすれにしろ、苦労して国道からササが密生したヤブをこいだのはなんだったのか。この逆U字型の橋脚は、国道から見える以外に、朱鞠内方の川岸にも1本立っていた。

⑯謎の橋脚 2018年6月撮影

雨竜川を渡ると、国道から樹林のなかに並行する路盤が見えるが、赤松川には橋の痕跡はなく、朱鞠内の手前で道路化され、そのまま駅構内へと入っていく

⑰朱鞠内駅構内跡から共栄方を望む 2009年5月撮影

5.朱鞠内

朱鞠内は、末期には深川~名寄間の全線直通列車が1往復しかなかったので、長時間の接続待ちを余儀なくされた駅だった。

1964(昭和39)年5月の朱鞠内市街の大火で類焼後再建された駅舎は、深名線随一の近代的な建物で、廃止後はバス待合所になっていたが、今は新しいバスターミナルが建てられている。
駅を偲ばせるものは、幌加内同様、駅名標と線路のモニュメントだけである

⑰朱鞠内のモニュメントとバスターミナル 2023年6月撮影
⑰ちょうど来合わせた代替バス ここでも乗降はなく空車のまま発車した 2009年5月撮影
霧のなか、朱鞠内に到着した5721D キハ53 502+キハ53 507+キハ56 148+キハ54 504
廃止前の混雑対応で増結、積雪期ではないのにすべて2基エンジン車 1995年8月撮影
お名残乗車の人で賑わう朱鞠内 1995年8月撮影
6:51着の5721Dの名寄方1輛(キハ53 502)が6:55発5731Dとなり、名寄へ向かう
キハ53 502は、前後で顔が異なる珍車として有名だった 1995年8月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださりありがとうございました。

次回は朱鞠内から白樺しらかば向かいます。


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