noteを始めて4年が経った。4年前は何をしてたっけ…。<後編>
わたしが生まれてすぐ、曾祖母が亡くなった。寝たきりという訳でも、何か病気を患っていた訳でもないのに、急に亡くなったのだ。昨日までピンピンしていた人間が翌朝目がさめない。そんなこともある。誰もがそう思っていた。
この死には不可解な点がいくつかある。まず一つ目に、曾祖母は病院にいった事がないほどの健康体であった。二つ目に、歳に似合わず味の濃い料理を食べさせられていた。そして最後に、多額の保険金がかけられていた。
曽祖父は若くして亡くなっており、祖父は女手一つで育てられたそうだ。なかなか教育熱心な人だったようで、他人を見る目も厳しかったという。祖父が祖母と結婚したときも、かなり厳しい視線を向けられたようなのだ。そんんな曾祖母は祖母から憎まれていたと言っていいだろう。
曾祖母は自身に保険金がかけられていたことは知らなかった。後に、祖父から聞くことになるのだが、毎月の生活費に使途不明金があったという。毎月少額だったので気にもしなかったそうだが、長年積み重なるとさすがに気になったようだ。
その使途不明金の行方だが、いまだに分かっていない。
曾祖母が亡くなると、祖父母の怒りの矛先が母に向いた。長年の怒りが積もり行き場を失っていたのだ。重箱の隅をつつくように、何かと母に当たり散らしていた。
貧乏人の娘は家事のやり方も知らんのか。親も親なら子も子よな。
そんな生活が数年続いた。
母が父に泣きつく姿を頻繁に目にしていた。モノを投げつけることもあれば、大声で泣き叫ぶことも。幼いながらに、何か辛いことがあるのだろう...。そう察しがつくようになっていた。
父には姉妹がいる。姉と妹だ。姉は祖母と性格がよく似ており、母をいびる対象になっていた。何かと陰口を言っては、祖父母の逆鱗に触れさせていたようだ。母はもう限界だった。
そんなとき、父の提案で近くのアパートに住むことになった。しばらく実家から離れて、三人で生活することになる。
あの家は代々女が被害に遭う。そんな家系だ。曾祖母も自然死なんかじゃなく、殺害されたんじゃないかと思ってる。だから、お前たちを守るために家を出た。
父の判断だった。2DKのボロアパートだったけど、何ともいえない快適な空間だった。狭い部屋で川の字になってみんなで寝ていた。貧しくも幸せな時間だったのを覚えている。
今でも実家での記憶が甦ることがある。曾祖母の謎の死。祖父母の母への態度。母が抱えている祖父母への怨念。ふと思い出すことがある。
一方で、祖父母はわたしには優しかった。初孫ということもあり何かと丁寧に扱ってくれた。保育園・幼稚園・小学校低学年のころは、祖父母と過ごす時間が長く、食事を共にすることが多かったからかもしれない。
近所の畑に野菜や果物を取りに行ったり、山に山菜取りに行ったり。知り合いの果物園でぶどうを食べさせてもらったり、しぜんに生えているグミやビワを食べさせてもらったり。いろいろな経験をさせてもらった。
祖父からは木工細工の基礎をよく教えてもらっていた。鋸(のこぎり)や鉋(かんな)の使い方、よい木材の選び方など、幼いながらに吸収していたようだ。木工DIYが好きなのは、脳裏に深く刻まれた祖父のDNAの受け渡しのお陰なのだろう。
祖父との木工工作の時間が、今でも時折甦る。あたりに散らばる木片を集めては積み木として遊んでいた。廃材を加工しては器用に棚や家具を作ってくれてもいた。いつしかそんな祖父を憧れるようにもなっていたのかもしれない。
数十年の時を経て、わたしが木工細工をしていると知ったら、祖父はどんな反応をするだろう。褒めてくれるだろうか。それとも未熟だと笑われるだろうか。
安らかに眠っている姿を見ると、思わず泣きくずれてしまった。
おしまい
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