noteを始めて4年が経った。4年前は何をしてたっけ…。<前編>
noteを始めて早4年が過ぎた。黄金のお祝いボードが目に焼き付いて離れない。そういえば4年前のわたしは何をしてたっけ…。と、振り返ることにしてみた。
4年前のわたしは木工DIYにはまっていた。下駄箱を自作したり、ダイニングテーブルを作ったり、子どもの長机を作ってみたりと、どういう訳かのめり込んでいた。そのときの肩書は「木工職人とらねこ」だったに違いない。
木工にはまったきっかけは祖父の葬儀だ。
祖父は母と犬猿の仲であっため、母に気づかって距離を置いていたのだが、祖父が亡くなった途端に後悔の念が押し寄せた。
おじいちゃんごめんなさい...。
棺桶に横たわる祖父を見るや否や大粒の涙が溢れ出た。もっとおじいちゃんと話したかった。もっと一緒にいたかった。もっといろいろな事を教えてほしかった。と、30代も後半の大の大人が大泣きしたのを覚えている。
祖父は大工の棟梁だった。わたしの実家も祖父が建てたものだ。頭がよく周りからは信頼されていたが、身内には亭主関白、頑固一徹の態度をとっていた。女は家事と育児、男は外で仕事。先祖から受け継いできたものを若いものが伝承するのは当たり前。
田舎の古臭い風習があったのだ。
母には一層厳しく指導をしていたようだ。この家の家訓は必ず守ってもらうと言わんばかりに、少々の文化の違いを怒鳴りつける日々が続いていた。幼いわたしは、その様子をビクビクしながら見ていたので、祖父の絶対的な権力に目を背けるようになっていた。
廊下で祖父とすれ違うと会釈をしていたそうだ。まだ7歳ほどのわたしは、祖父が恐怖のあまり委縮していたのだ。何とか怒られないように、何とか目をつけられないように。すれ違う瞬間が恐怖でしかなかった。
とある日、トイレから部屋に戻る途中、祖父と目が合った。鬼ににらまれたように体が硬直して動かなかった。その瞬間、フワッと体が宙に舞う感覚があった。中庭から少し長い通路を通り、薄暗い車庫をつっかけで渡り、そのまま薄暗い作業場に連れてこられた。
はだか電球がひとつ天井からぶら下がっている。木製の大きなテーブル。触ればボロボロ崩れる土壁。扉のない大きな倉庫。そして、目の前には大きな鋸(のこぎり)、鉋(かんな)、丸鋸(まるのこ)、金槌。
泣くのを忘れてしまった私は、ただ何も起こらないことを祈るしかなかった。
お前は大工になれ。そして、この古臭い家から出ていけ。お前の自由が儂の望みだ。
そう言うと、ポケットからビスケットを取り出してわたしに与えた。当時のわたしはその意味を知る由もなかったのだが、のちにその言葉の重大さを知ることになる。
後編に続く
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