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ふたつの音楽世界の境界を歩くーー第3章プロローグ:西洋音楽崩壊の20世紀史

私は呆れた、なんだ、こりゃ!?? いったいどんな文脈で、こういう音楽が生み出されたのだろう? メロディは捕らえがたく、そこには人間的な息づく拍もない。喜怒哀楽の感情が沸き上がることもない。これはいったい誰のための音楽なのか?

私は音楽に雑食で、たいていのジャンルの音楽に関心を持つ。しかし、1950年代のドイツ主導の現代音楽を聴いたときほど度肝を抜けれた経験はない。いいえ、遡る時代にシェーンベルクは〈ピアノの鍵盤に明快に示される1オクターヴを構成する12の音を任意の順番に並べ、そのルールを遵守して作曲する方法〉を生み出した。それであってなお、かれの音楽にはロマンティシズムが香り立っていた。弟子のアルバン・ベルクの『ある天使の肖像』に至ってはむせ返るような情緒があった。私の好きなウェーべルンにさえもクリスタルにか輝く点の音響が連なり美しい音の星座を形成していたものだ。ところが、1950年代の現代音楽三羽ガラス、シュトックハウゼン、ブーレーズ、クセナキスに至っては、その音響の乱舞は、従来の音楽概念を根底から覆すものだった。

もっとも、それであってなお、かれらを聴いた経験は後に、私のフリージャズ受容、たとえばセシル・テイラー、あるいは高瀬アキ、はたまた石田幹雄の音楽を愛することへの道を切り拓くのだけれど、しかしそれはいまだからこそ言える話で、最初にあれを聴いたときには頭を抱えたものだ。逆に言えば、当時私の耳は引き延ばされた19世紀の美の規範に縛られていたと見なすこともできるでしょう。とはいえ、あきらかにあの時代の現代音楽はやりすぎだった。しかし、つねに前進、進歩、さらに先へという神話を信じるかれらの西洋音楽はあるいはあらかじめ崩壊を運命づけられていたのかもしれない。しかもある意味でその崩壊の一端はヨーロッパ人とアメリカ人の手でなされたとも見なしうるのだ。ここに西洋文化史のアイロニーがある。

20世紀は“拍をめぐる戦争”だった。
演奏者は習慣に従って、拍からアクセントを読み取り、
楽譜という図面に、音楽の鼓動を与えたものだ。
ところが、この西洋音楽の鼓動(拍)は、
20世紀に、ことごとく攻撃にさらされることになる。


1| 戦後の政治的強制としての前衛音楽:ドイツにおける12音技法の「押しつけ」

まずは、この西洋音楽崩壊のドラマがどのようにして起こったかを見てゆこう。

第二次世界大戦後、敗戦国となったドイツの音楽界は、単なる文化的空白ではなく、倫理的・思想的荒野に立たされていた。ナチスは自らに都合のよい「健全な」音楽以外を「退廃芸術」と呼び、ユダヤ系の作曲家を追放し、ワーグナーに代表される後期ロマン派こそを国家の“正しさ”として祀り上げた。その反動は、戦後ただちに襲いかかった。ヨーロッパの文化政策は、あたかも罰として、あるいは浄化の儀式として、シェーンベルク以降の12音技法をドイツに突きつけた。いわばこういうことである。

お前たちは、感情と物語を力のイデオロギーに奉仕させた。その反省として、感情なき音楽を学び直せ。

ここから、シュトックハウゼン、ブーレーズ、クセナキスらが突き進む“戦後前衛”が生まれる。かれらは音の高さだけでなく、音色、持続、強弱、時間構造までも数列で束縛し、音楽を「構造の純粋性」へ押し上げようとした。

・ブーレーズは音の要素すべてをセリエ化(構造化)し、作曲家の主観を徹底排除した。
・シュトックハウゼンは音響の宇宙的布置を追い求め、時間を幾何学的図形として扱った。
・クセナキスは建築と数学の論理をそのまま音に流し込み、「音響の群れ」という新しい概念を創り出した。

逆に言えば、ここで起こったのは、“拍”の崩壊である。
拍はもはや身体的な鼓動ではなく、数理的な点列へ変質し、リズムは血の通わない抽象へと後退した。結果として、西洋音楽の「時間の均質性」は破壊され、聴衆は拍の地平を失ったまま音響の迷宮に置き去りにされた。

これは、ある意味で「政治の反動」が音楽形式に流れ込んだ瞬間だった。


2| ケージはアメリカで実験音楽に邁進する

その頃アメリカでは、ヨーロッパとはまったく異なる前衛が芽吹いていた。
ジョン・ケージである。

ケージはヨーロッパの構造主義とは真逆に、意図を消し、偶然に身を委ね、音楽の“意味”そのものを破壊することで、拍と作品の枠組みを揺るがしてゆく。

《4分33秒》は、音楽史上最も有名な“沈黙”だが、実際は沈黙ではない。
聴衆の咳、風の音、椅子の軋み、遠くの車のエンジン――それらが音楽となる。

ケージは拍の時間を開放し、音の境界を消し、
「音楽=人間が秩序づけた世界」という西洋的定義をゆるやかに爆破した。

このアメリカ的前衛は、のちのロック、アンビエント、電子音楽、実験音楽に地下水脈のように流れ込み、西洋音楽の“形式の城”を内側から脆くしてゆく。


3| ジャズが開いた“身体の時間”と即興の宇宙

しかし、20世紀音楽の本当の革命家は、ヨーロッパの作曲家でも、アメリカのケージでもなかった。
それはアメリカ黒人たちが紡いだジャズである。

ジャズがもたらしたのは、“拍”の逆襲だった。
いや、正確には
「西洋的な一定拍を拒み、身体の多重拍を取り戻した」
と言うべきだろう。

すべてはとんでもないミュージシャンたちが群がり登場しておこなったことである。チャーリー・パーカーはサキソフォンを神がかったスピードで華麗に吹きまくる。ディジー・ガレスピーはトランペットを高らかに吹き鳴らし勝利の凱歌を歌い上げる。セロニアス・モンクはぶっきらぼうで凸凹なアクセントのリズムのピアノ・プレイで、洒脱なユーモアとセンチメンタリズムを混交させる。そしてマイルス・デイヴィスは次から次へと音楽スタイルを脱ぎ捨てながら、ジャズ界の帝王の名を欲しいままにした。

ビバップのリズムはロマン派の重厚な拍を嘲笑うかのように分裂し、
ハーモニーはめまぐるしく入れ替わり、
フリー・ジャズでは時に拍は完全に蒸発する。

さて、ここで興味深いのがセシル・テイラーである。フリー・ジャズ・ピアニストの代名詞のような人である。断片的なパッセージを数小節繰り返しては、今度はリフのようなコンピングを行うかとおもえば、突然十本の指は鍵盤の上を発狂したネズミのように走り抜け、一瞬沈黙し、今度は別の方向に逃亡する。メロディらしきものが現れるかとおもえば寸断され、バラバラに砕け散ったメロディがはじけ飛ぶ。私は一瞬疑う、まさかでたらめにやってんじゃないだろうな? さもなくばいったいどんな構成観を持っているのか? しかし、かれはこの演奏で最後までリスナーの関心を掴んで離さない。

私の邪推によると、あきらかにセシル・テイラーは50年代の現代音楽をよく知っている。かれの演奏も現代音楽に危険なほど接近遭遇してもいると見なしうるところがある。しかし本質的には両者は決定的違う。現代音楽が頭でっかちな認識拡張の冒険であるのに対して、セシル・テイラーにとって「拍は身体」、「音は生命」なのである。え、身体性だって? そんなことはジャズならあたりまえのことじゃないかと言われそうだけれど、しかしほとんどのジャズメンはそもそも現代音楽に接近遭遇する必要がない。いや、そうとも限らないか。(※1)

いずれにせよ、ジャズは
・西洋の理性
・アフリカの身体
・アメリカの暴力的多様性
これらが激突する炉であり、西洋音楽の価値体系を根本からひっくり返した。


4|ロックが“拍を奪還”し、ふたたびぶち壊す

1960年代、ジャズが拍を拡張し、現代音楽が拍を消去していたその頃、もうひとつの巨大な津波が押し寄せた。
ロックである。

ロックは、拍を奪還した。
いや、もっと露骨に言えば「拍を単純化し、増幅し、欲望のスピーカーに変えた。」

エルヴィス・プレスリーが身体を揺らすたびに、アメリカ白人の“建前の道徳”が軋むような音を立て、チャック・ベリーのあの8ビートの推進力は、すでに音楽学の語彙を撃ち抜いていた。

ロックはアフリカのリズム(ブルース)と白人ヒルビリーのカントリーが交わって生まれたと言われる。しかし、それだけではとても足りない。
もっと深く見れば、ロックはラテンの亡霊でもあり、中世のトルバドールの転生でもあり、さらには20世紀を貫く工業化と電気化の産物でもあった。

ビートルズはハンブルグのパブで皮ジャンを着たちんぴらバンドとして登場したものの、マネージャーがついてからはお坊ちゃん高校イートンの学生のようなマッシュルームカットの甘いマスクでデビューし、ハイスクールライフのドラマを切々と歌い縣かとおもうと、マネージャーが死んでからはヒッピーの先駆けとなり、最後はエンターテイメントと哲学を結びつけた。かれらの楽曲は不良っぽいリズム&ブルースからイングランド民謡、シューベルトまで取り込んだ。少年らしさを残すコーラスも魅惑的だった。バックにはともきに弦楽四重奏やチェンバロ、軍楽隊を取り入れ中産階級のファンを取り込むかとおもえば、果てはミュージックコンクレートまで取り込んでリスナーを驚かせた。ドアーズのジム・モリソンは狂気じみた詩人で、シャーマン的な詩の力をロックに持ち帰り、ステージでは男性器を露出させてスキャンダルを巻き起こした。レッド・ツェッペリンはブルースのテンポを上げ、超絶テクでアリーナを熱狂させ、神話の肉体を蘇らせた。ピンク・フロイドは共感覚のジャンキー、シド・バレットの奇妙な夢想から始まり、かれが別世界に生きるようになってからはかれなしで音響空間を建築士、宇宙にまで拡張させた。(もっとも、私自身はシド・バレット在籍時のピンク・フロイドをこそ愛するけれど。)キング・クリムゾンは黒魔術の世界を構造と暴力に翻案した。私はYESのアルム”FRAGILE”と”CLOS TO THE EDGR|E”が好きだった。その波乱万丈の壮大なドラマは、未知なる美しさに満ちていた。

――ロックは、拍で腰を振り、同時にその拍を破壊していった。

さらに驚くべきことに、登場したばかりのシンセサイザーを操りへんてこりんな音で楽曲を異化することに熱中していたロングヘアの貴公子イーノはやがてケージの思想に近づいてゆく。
ブライアン・イーノだ。
ロキシー・ミュージックというレトロな映画館をイメージしたキッチュなバンドの異端的メンバーとして登場しながら、しかしバンド離脱後はやがてアンビエントを創造し、音楽を「空間の質」へと還元した。

これはロックの“拍”に対する裏切りでもあり、解放でもあった。
拍が強ければ強いほど、その反動としての“拍の消滅”が生まれる。


5|HIPHOPは音楽史を“皆殺し”にした

そして1970年代末〜80年代初頭、ブロンクスでHIPHOPが目を覚ます。いまでは新作スニーカーのようになり下がったHIPHOPだけれど、しかし初期にはあんなぶっそうで狂暴な音楽テロだった。「社会の敵」を自称するバンドはその象徴だった。(もっとも、他方で、「野獣少年団」を名乗るポップな少年たちも人気になったものの、かれらとてそのサウンドは狂暴極まりなかった。暴力、犯罪、ドラッグ、乱交、すべての反社会的イメージつ結びついていた。西洋音楽の制度を殺し、その瓦礫から新しいサウンドのの都市を打ち立てた。その都市の建物の窓は割れ、煉瓦塀にはくまなくグラフィック・アートがほどこされていた。当時高円寺の3畳アパートに住んで、左右色違いのコンバースを履いていたアヴァンギャルド・ジャズの乱暴者ジョン・ソーンはHIPHOPに拍手を捧げたものだ。もっともそのかれは他方で、鈴木清純も日本のアイドルたちも大好きだったけれど。

狂暴な詩もさることながら、サンプリング――これは革命以外の何ものでもなかった。

・旋律はいらない
・和声はいらない
・五線譜はいらない
・演奏技術すらいらない(ターンテーブルが楽器になった)

残ったのは、マシンガンのような言葉とビート、そしてループである。音楽の断片は好きなだけ繰り返され、別の断片に入れ替えられる。一種のコラージュであり、もはやカデンツは水洗便所に流された。

しかも皮肉にも、この“ループ”の思想こそ、アフリカの「時間を統一しない文化」と地続きなのだ。

HIPHOPは、西洋音楽が数百年かけて築き上げた形式(楽式・和声・拍子・旋法)をすべて路上のゴミ箱に投げ捨て、音楽史のスラムから未来に直行してした。そして、この破壊はポップス、クラブミュージック、電子音楽の全領域を飲み込み、21世紀に入ってからはいよいよ完全勝利を収めるに至る。

そう、HIPHOPは「拍の最終進化」だったのである。


まとめよう。
20世紀を眺めると、音楽は拍をめぐって次のように揺れ続けた。

・戦後前衛は拍を“消滅”させた
・ケージは拍を“解体”した
・ジャズは拍を“複数化”した
・ロックは拍を“奪還し増幅”した
・HIPHOPは拍を“ループ化”し、制度を破壊した

西洋音楽の崩壊とは、形式の崩壊ではなく、拍の理念の崩壊だったのだ。


(※1)どうやらセシル・テイラーの演奏を第二次世界大戦後の前衛音楽(Avant-garde music)と比較して論じることは一般的であるようだ。特にクセナキスやペンデレツキ、あるいはシュトックハウゼンなどの音響的なテクスチャーを重視した作品と比較することが多い。また、セシル・テイラー自身が、バルトークやストラヴィンスキー、そして特にドビュッシーやスクリャービンといった20世紀初頭の作曲家から大きな影響を受けていることを公言している。批評家たちは、かれの音楽のモダニズム的な要素や、自由な拍子(Meter)とリズミカルな複合性(Rhythmic Complexity)を、これらの作曲家が導入した技法と関連付けて論じることが多い。

ただし、私はおもう、こんなふうに冷静に分析されてしまうと、セシル・テイラーの演奏の狂気じみた炎が消えかねないな。いいえ、単に私が学者に向いていないからだろうけれど。

次章『第4章 なぜ坂本龍一は沖縄音楽に惑溺していったのか?』へ続く。


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