自閉症と認知症の空間
自閉症と認知症の時間について考えていた時に、何気なく「時間とくれば次は空間かな?」と思っていました。アインシュタインではないですが、時間(time)と空間(space)は分離できず、4次元の「時空」という一つの構造をつくっているかもしれません。
そしてまた、認知症の見当識障害は時間だけではなく、空間にも及びますので、時間と空間には何らかのつながりがあるように思えるのです。
自閉症児及び認知症高齢者の「空間の失見当識」についても、やはり、村上靖彦(哲学者)さんの『自閉症の現象学』(2008年・勁草書房)が参考になると思います。
村上さんは自閉症児の空間には奥行きや裏側が欠けていたり、空間の座標ができていなかったりすると指摘しています。
多くの人は方向性を持ち、奥行きのある空間の中を生きている。ところが、自閉症児の空間は、奥行きを持たない、あるいは裏側というものを持たない場合がある。
自閉症児は指差しが遅れることが多い。あるいは、状況に応じた相手との距離の調整が苦手なこともある。これは「ここ」・「そこ」・「あそこ」という対人関係に基いた空間の座標ができていないことを示している。
どうも、自閉症児は私たちの生きている空間とは異なる空間を生きているようです。そして、認知症の方も…
1.自閉症の空間構造
(1)「奥行き」と「裏側」の不在
私たちは、目の前のコップを見るとき、見えていない「裏側」も存在していると確信していますが、自閉症児の経験においては以下の特徴があるとされています。
① 表層の連続
自閉症児にとっての世界は「裏側を持つ立体の集まり」ではなく、視覚的なテクスチャや色彩がフラットに連続する平面(表層)として経験されています。ようするに自閉症児は奥行きのない二次元の空間を生きているのです。
・・・見えないものは端的に存在しない。奥行きと裏側が存在しない。・・・彼女は二次元の空間を生きている。物がタンスの下に入ってしまったときには、端的に消えてしまった・存在しなくなったということになる。
②広がりの認識
自閉症児は細かいディテールを注視するので、全体像を見ないとされています。例えば、口や鼻といった部分に注目してしまうので、顔全体を表情として認識しません。つまり、部分と全体の関係に関わる問題が生じているようです。
③向こう側がない
奥行きとは、自分と対象の間の「隔たり」ですが、自閉症的な空間では自分と世界が地続きの膜のようになっており、対象を突き放して見る「距離感」が成立しにくいとされます。村上さんは、このことは自閉症児の空想身体[注1]がうまく作動していないためだとしています。
定型発達の場合、「裏側に移動して奥行きを確認する可能性」は実際に試してみなくても良い。つまり、空想において体が作動する可能性を持っていれば、それでいつのまにか奥行きを構成できるのである。自閉症児の場合は、実際に裏側に移動しなくてはならない。つまり、空想身体の作動がうまくいっていないことがわかる。
[注1] 空想身体とは、主に現象学や精神分析において、遊びの理論などで用いられる、物理的な身体とは別に、意識や想像力の中で構成されている「身体イメージ」や「体験される身体」のこと。
(2)「否定性」と「欠損」が成立しない
①欠損のない空間
自閉症児の空間の経験・空間構造は奥行きがなく、見えないものは端的に存在しないことになります。この「見えないもの」がない世界では、欠損というものがないということになります。
私たちは「裏側が見えない」ことを「隠れている(欠損している)」と捉えます。なぜなら、そこに裏側があるはずだという予期があるからです。
しかし、自閉症児は「見えないもの」(否定性)を意識できないのです。これは、自閉症児の時間構造に対応していると思われます。自閉症児の時間構造は、過去の記憶や未来の予測・予持に接続されない、断片的な「現在」が連続する時間となりがちだからです。
自閉症の時間構造については、以下のnote参照。
②否定性の欠如
裏側という概念自体が最初から存在しないため、見えている表層だけで世界は「完結(充足)」してしまいます。ですから、「見えない部分がある」という「否定(〜がない)」の経験が生じません。
このように「ない(否定性)」ことが「ない」ため、ただ目の前の強烈な感覚情報の中に埋没することになるのです。
(3)立体感のある対象構成の困難性
「裏側」の予期がないということは、複数の視点を統合して一つの「物体(オブジェクト)」を作り上げることが困難になります。
①平面的な断片の集積
自閉症の世界は一つの統合された「立体的な部屋」ではなく、その時々の光、音、感触といった断片的な強度の変化として立ち現れます。
例えば、椅子を見る際、それを「座るための立体物」として認識する前に、椅子の角の鋭さや、木目のパターンの繰り返しといったディテールや部分的な質に意識が固着(あるいは魅了)されるのも、このためです。
②キュビズム的空間
自閉症児の空間構造は奥行きや裏側のないフラットな空間であり、彼らははそのディテールに魅了されているのです。
これは、伝統的な遠近法や影影法を排し、遠近・陰影を最小限にするか、幾何学的に配置しなおすことで、奥行き感を意図的に平坦化したキュビズム的空間に通じると思われます。

2.空間構造の影響
空間の経験・空間構造が奥行きや裏側がなくフラットであるということは、そのまま「自己(身体)」や「時間」のあり方と直結しています。
空間における「内と外」や「表と裏」の区別が希薄であることは、自己と世界の境界線、そして「今・ここ」の捉え方に独特の変容をもたらします。
(1)境界の曖昧さと皮膚の感覚
奥行きのないフラットな世界では、自分を「世界の中に包まれている一つの立体的な身体」として捉えることが難しくなります。そのため、感覚の過敏性や自己の所在の分散といった事態をもたらすのです。
①感覚の過敏性
「裏側」という概念がないため、自分の身体もまた、背景と地続きの「表層」の一部となります。その結果、自分と外界を隔てる境界線が曖昧になり、他人の痛みや不快な刺激が、まるで自分の内側で起きているかのようにダイレクトに侵入してくる感覚(過敏性)が生じます。
②自己の所在の分散
超フラットな空間では、普通に私たちが持っている「身体の内側に私がいる」という感覚(固有感覚)が自閉症児では希薄になり、視界に映る断片的な情報(動く影、光の反射など)に自己が拡散してしまいます。
自閉症児がくるくると回ったり、決まった行動を繰り返したりするのは、拡散しがちな自己の境界を「感覚的な刺激」によって必死に繋ぎ止め、確認しようとする行為だとされています。
(2)時間と空間の経験構造
私たちの時間構造は「保持(過去)‐原印象(現在)‐予持(未来)」という構造になっています。そして、私たちの奥行きのある空間構成も、時間的には「予期」「原印象」「保持」という時間構造に対応します。
しかし、自閉症のような奥行きがない世界では、時間は「流れるもの」ではなく「切断された瞬間」、強烈な「原印象」のみになってしまいます。この結果、次のような事態を招来させるのです。
①予期の不在
立体感のある世界では、角を曲がれば「裏側(向こう側)」があると予期できます。しかし、表層だけの世界では、次に何が起こるかの予測が立ちません。そのため、新しい出来事は常に「突発的な襲撃」のように感じられ、強いパニックを引き起こす要因となります。
②不動の現在
自閉症児には時々、外から見ると、動かない、反応がない、行動が固まっている等コンピューターのフリーズ(凍結)のような状態が観られます。これは、「過去・現在・未来」という連続的なストーリーの中に自分がいるのではなく、強烈な感覚を伴う「今」という断面が次々と現れる経験です。
③反復への固執
時間に先読み(予期・予持)が効かない不安を解消するために、自閉症児は「いつもと同じ手順」「いつもと同じ配置」に固執します。
これは、バラバラの断片になりがちな時間を、同一のパターンの繰り返し(円環的な時間)に閉じ込めることで、世界をコントロール可能なものにしようとする防衛的な行動です。
(3)空間・時間・身体の統合としての「自閉的生存」
空間の経験/空間構造と時間の経験/時間構造を統合すると、自閉症的世界は、以下のような構造になります。
空間:裏側のない、強烈な細部が明滅するフラットな表層
時間:予期できず、断片的な「今」が襲いかかってくる時間
身体:世界と地続きで、刺激がダイレクトに突き刺さる境界の薄い身体
村上靖彦さんは、自閉症児に見られる「クレーン現象[注2]」や「常同行動」を、単なる症状としてではなく、このような「奥行きと予期を欠いた世界」の中で、なんとか自分を維持し、世界との折り合いをつけるための切実な現象学的適応として捉え直しています。
このように、空間経験のあり方は、単に見え方の問題にとどまらず、その人が「いかに生きているか(存在論)」の根幹を規定しているのです。
[注2]クレーン現象とは、欲しいものや開けてほしいドアなどがある際、自分の言葉や指差しではなく、大人の手をつかんでクレーンのように動かし、目的の場所へ誘導して要求を叶えさせようとする行動。
3.認知症の空間
(1)身体的空間
フランスの哲学者であるメルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908年~1961年)は「空間とは、身体が世界へ向かって関わり・動き・意味づけることで開ける」と考えました。
彼は、客観的・幾何学的な空間(抽象的な空間=縦×横×高さ)が先にあるのではなく、身体が動き、行動する「生きられた空間(身体的空間)」がその根源にあると主張しています。
そして、身体は「世界を出現させ空間的意味を発する原初の能力」であり、身体の能力によって、前後・上下・左右といった方向づけられた世界が開けるとしています。
私たちにとっての空間とは、常に「自分の体が何ができるか」という可能態(能力= I can)と結びついているのです。
子供のころ、とても広い場所だと感じていたけど、大人になってから行ってみると、こんなに狭い場所だったかと驚くことがあります。それは、子供のころはその場所で身体を思いっきり動かし遊んでいたから広いと感じたのではないでしょうか。しかし、大人になって体を思いっきり動かすことがなくなれば、同じ場所でも狭く感じてしまうということではないでしょうか。
ようするに「身体を動かす度合いによって空間の広さが変わる」ということだと思います。空間の広さは、そこが「どれだけ走り回れるか」「どこまで手が届くか」という身体のアクションの可能性によって規定されるのです。
この身体的空間は、高齢者介護においても十分考慮すべきことだと思っています。老化や障害などで身体を自在に動かせなくなった高齢者の感じている身体的空間と介護者の感じている身体的空間は微妙に異なってくるのだと思います。
メルロ=ポンティの空間についての考えと村上靖彦さんの自閉症の空間についての考えを基に認知症の空間について考えてみたいと思います。
(2)「身体的空間」と「客観的空間」の乖離
私たちが空間を把握する際、単に地図のような客観的・幾何学的空間を見ているのではなく、自分の身体を中心とした「届く範囲」とか「動ける範囲」という主観的な意味の広がり、身体的空間を生きています。
しかし、認知症が進むと、自分が今いる場所と、自宅や目的地といった場所を繋ぐ「空間的なつながり(図式)」(空間の見当識)が失われます。その結果、自分の身体のすぐ外側が「未知の、意味をなさない空白」のように感じられ、極度の不安に襲われます。
認知症の方は、経験しつつある身体的空間と客観的空間との間の齟齬が大きくなってしまっていると考えられます。
(3)全体的な把握の困難性
自閉症者は風景を全体として捉えるのではなく、細部や特定の特徴に固着します。認知症高齢者が自宅の中でトイレの場所が分からなくなるのは、部屋の配置という「全体の構造」が消え、ドアやノブといった「部分」だけが孤立して見えるのも同じことだと思います。
空間が「物語(生活の文脈)」を失い、「無意味な断片の集まり」へと変容している可能性があるのです。
また、全体的な認識ができなくなるのは自閉症と同じように「立体感的な対象構成」が困難となるからです。
この立体感的対象構成の困難性や裏面がない空間構造が、人についての見当識障害の一つの要因となっているかもしれません。
認知症が進むと、目の前の男性は息子ではなく、「今、そこに現れている一つの断片的な現象(見知らぬ人、あるいは怖い顔をした人)」になってしまいます。相手が家族であるという「裏側(文脈)」が脱落し、今この瞬間の表情や声のトーン(表層)だけがすべてになるのです。
私たちが「家族なのに」と嘆くとき、私たちは相手に「裏側の文脈」を求めていますが、本人は「剥き出しの今」に閉じ込められている可能性があるのです。
(4)居場所の消失
空間の認識には、「ここが自分の居場所である」という基点/境界線が必要ですが、見当識が失われると、「ここ」という安心感をもたらす境界が機能しなくなります。空間の「奥行き」や「予期」が失われると、自己の境界が曖昧になるのです。
そのため、施設の中にいても「ここは自分の家ではない=どこでもない場所」と感じ、どこか別の「本当の居場所」を求めて歩き回る(徘徊)という行動が現れます。
これは、空間的な座標を見失った身体が、安定を求めてさまよっている状態と言えます。
また、徘徊は、自閉症児が反復行動で自己を確認するように、認知症の人の歩行も、足裏に伝わる振動や身体を動かす感覚によって「バラバラになりそうな自己」を繋ぎ止めるという意味があるかもしれません。
認知症高齢者の徘徊は、「どこへ行くのか」という目的地を探る(空間的な解決)だけでなく、「歩くことで何を感じ、どう自分を保とうとしているか」という身体的な充足(現象学的な解決)にも目を向けることが大切かもしれません。
(5)「道具」の喪失と空間の意味喪失
現象学では、杖や家具、馴染みの道具は「身体の延長」として空間を構成する大切な要素になります。つまり、椅子・ドア・階段・机などの「道具」が身体の延長となり、それらとの関係が空間の意味を構成するのです。
しかし、認知症によって道具の使い方がわからなくなると(失行)、それまで自分の身体の一部のように機能していた空間が、突如として「自分を拒絶する異物」に変わります。そのため、次のように、道具との関わりの意味が弱まります。
ドアノブを見ても「どう操作するか」が分からない
トイレの便座を道具として理解できない
自室や共用スペースの「役割」がつながらない
これは「くつろぐ場所」「料理する場所」等の意味が剥ぎ取られた、ただの物質的空間になってしまった状態です。
結局、「どこが何の場所で、どう使うべきか」 という空間の意味が失われることになり、空間は「自由に動ける場」ではなく、障害物に満ちた「脅威の場」へと変貌してしまいます。
(6)空間は身体の「運動可能性」から成立する
メルロ=ポンティによれば、空間は身体の、届く、歩く、触れる、回避するといった 運動の可能性の布置によって形づくられています。つまり身体が「どう動けるか」が空間を構成するのです。
しかし、認知症が進行すると、歩行への不安、方向感覚の低下のてめに、「身体をどこへ向ければいいか分からない」とか「何が手の届く範囲で、どう使うものか分からない」といった 身体の運動可能性の「見通し」が崩れてしまいます。
結局、空間が「どう移動できるのか」という意味構造を失い、「場所のつながり」を感じられなくなると考えられます。
4.認知症ケアの空間
(1)表層の共有
自閉症は「空間構成の原理が最初から私たちと異なる」のに対し、認知症は「空間を構成する力が徐々に崩れていく」過程にあるという違いがあります。
いずれにしても、「奥行きや裏側を失った世界、空間の意味が希薄化した世界でどう生きているか」という点において、共通の現象学的構造を見出すことができます。
認知症の空間経験/空間構造を「欠損(できないこと)」としてではなく、「その瞬間に立ち現れている充足した世界」として認知症高齢者を理解することが大切です。
認知症の人が「トイレがわからない」とき、それは空間把握の欠損であると同時に、「目の前の壁の質感に圧倒されている」という現在の充足でもあり得ます。そのフラットで断片的な世界に介護者が一度降り立ち、同じ「表層」を共有しようと試みることが、共感的理解への第一歩となるでしょう。
奥行きや裏面の失い空間の意味が希薄化した認知症ケアにおいては、「表層の共有」がポイントになると思います。
(2)表層共有と食事ケア
認知症が進むと、「栄養を摂るための食事」という概念が消え、目の前の皿が「色の斑点」や「得体の知れない質感」に見えることがあります。
そこで、「さあ、お昼ですよ、食べてください」という声掛けは、「今」と「昼食」という文脈を繋ぐ高度な能力を要求するため、本人を混乱させます。
表層の共有という観点からは、介護者は「食べさせる人」ではなく、一緒にその食べ物の「色彩」や「湯気の立ち上がり」を眺める人ということになります。
「赤いですね」「温かいですね」と、今この瞬間の感覚の強度(クオリア:Qualia:質感)を表現してはどうでしょうか?
視覚的な「表層」を整理するため、ランチョンマットの色と皿の色のコントラストを強め、対象を浮き上がらせることも大切です。
そうすることによって、食事の意味は分からなくても、介護者と同じ「心地よい刺激」を共有しているという安心感が、結果として摂食行動を促すかもしれません。
(3)表層共有と入浴
浴室は、タイルに反射する光、水音の反響、湯気による視界の遮断など、奥行きのないフラットな世界に生きる人にとっては非常に不安定で「不気味な表層」に満ちた場所です。
奥行きが分からないため、認知症者にとってお湯に足を入れることは「底なしの穴」に足を突っ込むような恐怖を伴う場合もあるようです。
入浴介助にしても認知症の特性に対応したやり方が必要だと思います。
視覚が頼りない分、肌に触れる感覚で「ここは安全だ」と分かるようにします。例えば、手にお湯をかけ、次に足元、というように末梢から徐々に温度と感覚を伝えます。
また、密着した支持(grounding:グラウンディング)を活用することも良いかもしれません。指先だけで支えるのではなく、介助者の手のひら全体でしっかりと腕や背中に触れます。「自分の体がどこにあるか(固有感覚)」が曖昧になりがちな認知症の方にとって、しっかりとした圧で触れられることは大きな安心感になります。
「足を上げますよ」「またぎますよ」と指示を連発すると、処理能力を超えてパニックを招くこともあるようです。むしろ、好きな歌を口ずさんだり、世間話をしたりして、注意を「恐怖の対象(浴槽)」から逸らすことも良いかもしれません。
空間の広がり(どこまでが浴室か)の不安を、身体の接触という「最も近い表層」の確実さでカバーして安心感を与えることが大切です。
(4)認知症者の空間構造への配慮
最期に、奥行きや裏側を失った世界、空間の意味が希薄化した世界を生きる認知症の方の生活空間の整え方、介護上の留意点を整理しておきます。
動線を身体で感じられるようにする(色・手すり・素材・明るさのコントラストを活かす)
空間に「方向の手がかり」をつくる(視覚的ランドマーク、匂い、音)
道具の使い方が一目で分かる配置にする(見れば分かる環境の整備)
生活のリズムを崩さないようにする(毎日の流れを身体に定着させる)
住みつける空間をつくる(個人の思い出や物語の手がかりを置く)
認知症ケアの鍵は「客観的空間」ではなく、「身体的空間」に寄り添うことにあると思います。
