聲を聴く|掌編小説
「午後の録音実習、短歌だとさ。大学生なのに、なんか年寄りくさいな」
沢口はそう言って実習概要の資料を乱暴に机に放り投げた。僕は机から滑り落ちそうになる資料を慌てて掴む。
『○○大学、朗読サークル三名。短歌、その他の録音』
「テレビ番組の影響じゃない? 何だっけ、あの辛口の講師が批評する番組」
「ああ、あれか。面白いよな」
最近、芸能人が短歌や俳句をつくり、それを講師らしき人が辛口で批評するテレビ番組が人気を集めている。ただ、僕は俳句にも短歌にも興味はないので見ていない。沢口も「まぁ、朗読の実習なら楽勝だし、何でもいいや」と、すでに興味を失っている様子だった。
僕が通う音響技術の専門学校では、実習という名目でインディーズバンドの演奏や声優志望の学生のボイスサンプルの録音、さらに編集も無償で引き受ける。バンドと朗読とでは、録音と編集の手間に天と地ほどの差があるので、沢口が朗読の録音実習を「楽勝」と言いたくなる気持ちは分かる。
午後、朗読サークルの人達がやって来て、早速沢口が「本日の録音を担当する沢口と岡崎です」と挨拶した。いつも通りのリーダー気取りだが、もう慣れた。僕は三人に「よろしくお願いします」と軽く会釈した。
ここからは防音ガラスで区切られた録音ブース側と、音をモニターしてオペレートするコントロールルーム側に分かれる。僕はブース側で椅子と机とマイクをセッティングし、朗読担当の女性に「すぐにテストが始まるので、座ってお待ちください」と言った。
「それではテストします。何か喋ってください」
沢口の声がスピーカーから聞こえると、女性が喋り出す。
「あーあーあー、本日は晴天なり、本日は晴天なり……。ワンツー、ワンツー……」
――いい声だな。
単純に、そう思った。
「岡崎君、少しマイク上げてもらえる? 角度そのままで」
僕は「ちょっと失礼します」と、女性の前に手を伸ばし、マイクを調節した。ふと、女性と目が合い、慌ててそらす。
「では、短歌をいくつか読んで頂けますか?」
沢口の合図と同時に、僕は後ろに下がり、息を潜めた。
「松蔭に、わきて流るる眞清水の、藻にすむ魚は夏をしらじな……。正岡子規」
「天の川、白き夜ぞらにかひな上げ、ふれて涼しくなりし手のひら……。与謝野晶子」
短歌に興味のない僕でも、夏に関するものだとすぐに分かった。音のない部屋で、短歌を読む声だけが静かに響く。
「昼ながら、幽かに光る蛍一つ、孟宗の藪を出でて消えたり……。北原白秋」
やっぱり、いい声だ。声、言葉、抑揚、速さ……全てが心地いい。
なぜだろう。今までたくさんの朗読実習をしてきて、こんな風に思ったことは一度もなかったのに。
薄暗いブースの中で、小さなテーブルライトに照らされる華奢な後ろ姿を、僕はじっと見つめていた。セミロングの栗色の髪の隙間から、白いうなじが覗いている。
「テストオーケーです。岡崎君、こっちに戻って」
一瞬、体が拒否した。
コントロールルームに戻った僕は、実習概要を見る。奥田、倉持、西村……確かこの人だ。最初の挨拶で三人とも名乗ったが、全く覚えていなかった。いや、今までの実習で、録音する人の名前を覚えたことなんて、なかったかもしれない。
実習が終わり、沢口の目を盗んで編集用パソコンと自分のスマートフォンをUSBケーブルで繋ぐ。そして、何食わぬ顔をして、さっき録音した音源を転送した。禁止されているわけではないが、やっていいことでもない。
学校から駅まで歩きながら、早速イヤホンで西村さんの短歌を聴く。この人の声は……そう、水だ。乾いた砂に水がしみ込むように、耳から体に入り、手と足の指先まで行き渡り、浸透し、循環する。
東京という街は、道を歩けばそこら中から靴音が聞こえるし、上からは電車の走る音や首都高速道路を走る車の音がひっきりなしに降って来る。
真夜中でも得体のしれない音が窓の隙間から入って来る環境に、「きっと東京に住んでいる人の耳は死んでいるんだ。そうじゃないと生きていけない場所なんだ」、そう思って絶望した。しかし、西村さんの声は、僕の中の黒いものを浄化し、絶望の中から幸せを運んで来てくれるような気がした。
電車の窓を流れるギラギラして汚らしいネオンが、西村さんの短歌でキラキラと希望に満ちた光に替わる。
「車窓から、落ちて流るるネオンより、耳に届きし君の……」
なんか、それっぽいのができた。
――あのテレビ番組、見てみようかな。
電車の窓に映るニヤついた顔を見て、慌てて口を真一文字に結んだ。
(了)
たらはかにさんの企画「毎週ショートショートnote」に参加しています。
今週のお題は「和歌ゲーム」です。
和歌じゃなくて、短歌になってしまいましたね。
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