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noteの本質は「『明日から使えない』の循環」|1年間の毎週投稿を終えて

どうも、プロレスとか役者さんポートレートを撮っているたかはしです。

…今回は実験的に、「ですます調」を封印する。
「読まれる記事にするためには」的な記事を読んで以来、慣れない文体を使いこなそうと、ちょうど2年前の記事以来。
そして偶然にも毎週投稿1周年という節目を迎えた今、改めて「である調」の封印を解いてみる。
(いま改めて口調を変えるとめっちゃ違和感…)

53週を迎えました。

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この一年、可能な限りHowToやノウハウ系の記事を書かないようにしてきた。
写真については「自分より技術的に優れている人がいるのに、自分程度の人間が解説しても説得力がない」という理由から。
文章については基礎を学んですらいない。
書く理由が「ネタが尽きた」以外にないし、そもそもそこまで物事を単純化できなかった。

HowToやノウハウは言い換えれば「すぐできる、すぐ役立つ」。
インスタントラーメンである。
読んだ人が即席で流用できるのであれば、欲しがる人は多いだろう。
しかしインスタントラーメンはインスタントラーメンであって、ラーメン屋のラーメンとは違うのだ。

この考えを言い表した言葉がある。

すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなるとは至言である。同様の意味において、すぐ役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本であるといえる。
(中略)
すぐに役に立たない本によって、今日まで人間の精神は養われ、人類の文化は進められて来たのである。

小泉信三『読書論』(岩波新書、1950年)

毎週投稿1年間の締めくくりは、自分の指針となる「明日から使えない」を示したうえで、2022年における考え方のベースを備忘録がてら書きとどめておこうと思う。

「すぐ役に立つ」と「すぐに役立たない」の違いは具体と抽象

「すぐ役に立つ」と「すぐに役に立たない」の違いは何だろうか。
私の考えとしては「具体と抽象」である。

抽象から「曖昧な」という意味を連想する方もいそうなので、辞書的な説明から定義する。

ぐ‐たい【具体】
物事が、直接に知覚され認識されうる形や内容を備えていること。

ちゅう‐しょう〔チウシヤウ〕【抽象】
[名](スル)事物または表象からある要素・側面・性質をぬきだして把握すること。⇔具象/具体。→捨象

デジタル大辞泉

「すぐ役に立つ」は「具体的な攻略法」である。
より具体的でなくてはならない。
どのような場面で、どのような効用を目的に、どのような手順で用いられるのかをレクチャーしてくれる。
即効性があればあるほど、シチュエーションや方法は詳細に書かれ、利用できる範囲は限定的になる。

一方の「すぐに役立たない」は「抽象的な本質」である。
物事の本質や、普遍的な性質に対してのアプローチを行うため、具体的な問題に対しての解決策を与えるとも限らない。
そして「すぐに役に立たない本」というのは、「Aは分かったけど、Bが分からない」という中途半端な形で終わることも多々。

乱暴に言うなら、「すぐに役立たない」は「受け手にとって不親切」なのだ。
しかし「すぐに役立たない」は「受け手にとって誠実である」とも言える。
普遍的な性質や本質を見出そうとする取り組みは、分からないことだらけであって、しかし万人への再現性を提供しようという試みだからである。
すぐ役に立つものは、今日役立っても明日以降も同様とは限らないし、万人へ同様に役立つとも保証してくれないからだ。
それは普遍的ではなく、いくつかの成功サンプルを抽出した、再現性の保証が無い「事例」に過ぎない

誤解を生みそうなので弁明しておくと、決して「すぐに役立つ」コンテンツを忌み嫌っている訳ではない。
何かを始めたばかりのとき、技術で悩んだとき、ヒントをくれるのはHowToだからだ。
事実自分でHowToを書いたこともある。
私が主張したいのは「HowToの集積が本質的であるとは限らない」ということである。

「明日から使えない」を書きたくて1年続けた

前節の内容をベースに、少々キャッチーな文言に置き換えて話を進めていく。
「すぐ役に立つ」=「明日から使える」
「すぐに役立たない」=「明日から使えない」

冒頭の引用で示した「すぐ役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本である」という文言は、真理とは言えないものの、的を射た指摘であると思っている。
つまるところ、小手先や付け焼き刃にしかならない教えは、いずれ対応しきれない場面がやってくるのだ。

このnoteを始めた時も同じ思いは持っていたが、言語化して主張することはできなかった。
冒頭の「自分程度が解説しても」がそれで、先駆者の縮小再生産にしかならないからだ。

しかし「明日から使えない」コンテンツなら、「自分なりの本質に迫ろうとした自由研究」として発表できる
自由研究であるから、①体験や文献からの引用の提示、②体験や文献から導かれる事柄、③自分の意見と今後の課題、程度が提示できれば十分。
そして③の部分があれば、それは価値のあるトピックスだと私は考えているし、そう考えれば発信は自由で活発になる。
ベネッセの自由研究記事が充実してて参考にした)

また、本質にたどり着くための材料は多い方が良い。
取捨選択するだけの物量が無いと、そもそも「どれが必要なのか」が見えてこないからだ。
いつ、だれが、どんな形で必要とするのか、それは作っている段階では分からないし、捨てるも拾うも自分でコントロールできない。
「明日から使えない」はすぐに必要とされないかもしれないけど、「いつか使えるかもしれない」のである。
誰かの頭の片隅に残って、いつの日か花開くことを待ち続けている。
そんなコンテンツを私は書いて撮ってしていきたい。

noteは「明日から使えない」が循環する場

私はnoteが、というよりnoteに投稿されている記事、そして投稿されている人々が好きだ。
沢山の「明日から使えない」を提供してくださる。

エッセイのように感情を表現するもよし、アカデミックな内容を書くもよし、抽象的な論を述べるもよし。
様々なジャンルの記事が日々生み出されている。
役に立たないからといって、「明日から使えない」が駆逐されないところがいい。

「明日から使えない」記事のいいところは、引用して新たな見解を導けるところだ。
他の人の記事から刺激をもらって、自分の意見を導き出すもよし。
自分の意見が他の人の琴線に触れて、新しい見解を知るもよし。
そんな循環が楽しいなと思っている。

noteの本質は、個人ブログと異なりSNSという点にあると考えている。
誰かの記事に触れることも、誰かに記事を見てもらうことも、回数自体が多くできる。
「明日から使えない」の循環が効率的に行える環境こそ、noteの本質ではないだろうか。

ところでではあるが、私は循環に貢献ができていない認識がある。
ひとえにインプットの量も質も足りていない。
自由研究の「③自分の意見と今後の課題」で物量を稼いでいて、「①体験や文献からの引用」の文献が無くて説得力に欠けている。
週2回投稿のすゝめにも書いたが、良いアウトプットのための準備ができていない点は今後修正していきたい。

2年目の記事

である調はここまでにしときましょう。
ここから2年目です。
いやぁ書きやすいけど偉そうにならないようにするのが難しかった…

1年継続してみましたが、まだ継続して色々考えようと思っています。
2022年note書初めで触れた「プロモーションに向けたコンテンツの制作」を進めるにあたって、続けておいた方が利点があると踏んでいるためです。

また人と関わる力が不足しているもので。
他の方の記事にコメントしたり、記事引用したり、といった接点を増やす練習をしていけたらなと。
その延長として、企画を立ち上げて人を巻き込む、までたどり着けるようにしたいです。

前回に続き長文となりました。
この記事が誰かの「明日から使えない」になったら嬉しいです。
前回の記事もよろしければ。


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