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母へ。私の読書体験、返してください。

エッセイのようなコラムです。
一部『ハリーポッターと炎のゴブレット』のネタバレを含むのでご注意ください。

としまえん跡地に出来たハリーポッターの施設。
いろんな方が行っているの見て、ふとエピソードを振り返るのです。

「せっかく買ってやったのに途中で止めちゃってさ~」
母は思い出すたびにこの言葉を発します。
小学生の頃に買ってもらった『ハリーポッターと炎のゴブレット』上下巻。

最初は読書感想文を書くって言って、買ってもらった記憶。
「本当に読み切れるの~?」なんて小言を挟む母に反発し購入に至りましたが、下巻の途中でリタイアしたのです。
そこから始まる、私の読書人生に対する所感の話。

カタカナ人名が覚えられない

私が小説に手を出しにくい最大の理由。
文字だけだとカタカナ人名が覚えられないのです。

もともと人の名前を覚えるのが苦手で、顔は覚えてるんだけど…な経験は数知れず。
ハリーポッターシリーズはイギリスが舞台なので、当然カタカナしか出てきません。
それはそれは大変でした。

素直だったキッズあさぎ。
誰なのかわからない人名が出てくるたび、本の最初にある人名一覧を眺めるのです。
頭の中で話がブツブツ切れるし、テンポは悪くなる。
何より「この人の名前さっきも調べたな…」という嫌悪感すら募ってきます。

最大の苦痛は、この本の中に「バーミティウス・クラウチ」が二人出てくること。
シニアとジュニア、親子。
どっちも「クラウチ」って呼ばれるもんだから、もう脳内パニック。
しまいにはジュニアのクラウチが、ホグワーツの教師に変装していたという情報まで加わって、誰が誰だか収拾がつかなくなってしまいました。

かくして、私は本棚に読みかけの本をしまったのです。

「せっかく買ってやったのに」

ここから母のちくちく言葉が始まることになります。
母の主張は
・お前が読む、感想文を書くと言うから買った
・結局読み切らなかった
・やっぱりこの厚さの本なんて読み切れないんだ
というもの。

たぶんポーズとして読み切ればよかったのだと思います。
しかし当時の私には「斜め読み」という選択肢はなく、実直に1文字1文字追っていかないと、という先入観しかありませんでした。

一応ストーリーは追えていたようで、のちに映画版を見たときには「このシーンはこんなシチュエーションだったんだ」と納得していました。
文字だけだと「ハンガリー・ホーンテイル種のドラゴン」なんて想像できませんでしたし。
つまり読む気はあったけど読めなかったのです。

しかし母は理解しようとしません。
「注意したにもかかわらず、言った通りの結果になった」
「せっかく買ってやったのに」
と聞くたびに「はいはい」と空返事をしつつ、内心はダメージを蓄積させている幼き時代でした。

本を読むようになって

私もかつてはアニオタの一端。
涼宮ハルヒブームからライトノベルのレーベルが潤沢になった影響で、私も活字を読むようになりました。

そこから高校では図書委員会に入り、ペースは遅いものの気になる本は読むようにしていました。
当時読んだ「これからの正義の話をしよう」の衝撃はいまだに忘れられませんし、あの分量を読んだんだという自信にもつながりました。
スティーブジョブズのプレゼンやイノベーションに関する本も読んで、自己啓発本に足を突っ込んだのも当時。

しかし我が実家は本を読まない家でした。
それどころか親戚を見渡しても読書家はいません。
なので私が突然変異ではありつつ、そのお陰か「周囲が理解のない状況における読書への理解」については考えを深める機会に恵まれました。
ちょろっと私の意見を紹介。

・本は全文を読まなくてもいい

文章を書く側としては、1文字1文字に対してこだわりを持つことが大事。
これまで色々書いてきましたから、痛いほど認識しています。
しかし読む側に立ってみると、すべてをくまなく読むことは必ずしも無いのかもしれないと思っています。

「なんかこの章つまらないな」と思えば斜め読みしちゃっていい。
「サクサク読んでたけどここ興味深いな」と思えば少し戻って読み返してもいい。
本全体で繋がりがあるので必ずしも良いとは限りませんが、強迫的に読むことは全くないと考えています。

・買って読まない(積読)も、途中でリタイアもOK

積読が一般認知され始めてそれなりに経ちます。
Twitterの影響でしょう。
興味をもって買ったけど、実際には読まずに置いておくのもいいと思います。

また「読んでみたけど違うな…」と思ったらリタイアするのもアリ派の人間です。
先日も写真論系の本を読んでて「なんでずっと建築物の重要性について語ってるの…?」と思って100ページほどすっ飛ばしました。
またビジネス的なフレームワーク解説の本で「ずーーーっとどこかで聞いた話ばっか語るじゃん」とイライラして1/3読んで放り投げたことも。

お金を無駄にしたと考えてしまう気持ちもわかります。
一方で、無理して読むと今度は時間をドブに捨てることになります。
「今はこの本を必要としてなかったんだな」と思うことで、次の本への出会いを求めることも、また正しいのです。

・本との向き合い方は、他人から指図されるものではない

論文のように「読まないと先に進めなられない」とかは別として。
趣味や教養として読む分には、どう読もうと指図されるものではないです。
ことあるごとに本を破壊してしまうとかは…ちょっとアレですが。

人には人の読み方、スピードにしろ積読にしろ、があります。
自分が理解できないからと、糾弾してしまうのはもったいない。
なんせその人の読書体験を侵害する行為だから。
やめようね。

母へ。私の読書体験、返してください。

今になって考えれば、「なぜ自分があの本を挫折したのか」という考えをもつきっかけになったエピソード。
しかし私の読書体験を最悪のものにしたのは、紛れもなく母です。
母へ。私の読書体験、返してください。

そもそも自分だって本をあまり読まないじゃないか、と。
本棚にはオレンジページが大量に詰まっていましたし。
ごくまれに赤川次郎が置かれていた程度。

父も数年に1冊読んでいる姿を見たくらい。
あまりにレアな光景なので、見ると寒気を覚えました。
それくらい教養に疎い家庭。
もっと知的な家庭に育ちたかったなと。

ただ私は遅れて来た反抗期の民。
親に対してはある種の軽蔑をの視線を向けつつ、あなたたちとは違うんだと思いながら過ごします。
哲学、文学、科学…親から与えられなかった教養は、大人になってから急いで埋め合わせているので。
ゆっくりですけど、ね。

そしてこれは読んでくださったあなたへ。
あなたのご家族、パートナー、子供。
周囲の方の良質な読書体験を汚さないでください。
どうか。

おわり。

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