ある役者さんの悲劇に見る、「明日からも生きてやってもいい」の必要性
筆を執っているのは9月24日21時。
明日は1か月前から楽しみにしてた大事な撮影。
それなのにメンタルをかき乱す記事が流れてきました。
私が思考を整理するのには書き出すのが一番だと思い、ここに書き残します。
以下の内容は、人の死を含むショッキングな内容となっております。
苦手な方はブラウザバックをお願いします。
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前段:ある役者さんの悲劇
ひたすらに胸糞悪い内容でした。
特に劇団さんの対応ですかね。
Twitterやホームページから当該ページにアクセスしにくくなってて、もう最悪の対応でした。
要約すると
・2022年1月に当該役者さんが所属劇団を退団、理由は演出家からパワハラを受けたこと
・その後もPTSDに悩まされる
・2022年9月に逝去
・他にも同じ演出家からパワハラを受けた役者さんが多数いることが告発される
・告発の内容をみるに壮絶な言葉による暴力であるとうかがえる
です。
本稿では、当該劇団さんや演出家さんを名指しで糾弾することを目的とはしません。
他山の石として、自己批判しつつ同じことを引き起こさないようにという自省の記事です。
そもそも今年5月にも似たような騒ぎがあったのです。
当時はセクハラでした。
恐らく今後も似た事象が出てきます。
そしてそれは告発という形で炎上して明るみに出ます。
その度に私は胸を痛めるのです。
当事者でもないのにね。
他人に受けた精神的な暴行を理由に、生きたかった人間が生きられなかった、という事実は到底受け入れがたいことです。
実際PTSDに悩み続けながらも、役者業を続けていたようですから、演劇を嫌いになったワケではないと受け取れます。
年齢も私と近い方なので、より一層その残酷さを身につまされました。
私はまだ演劇にかかわってから2年経つか経たないかくらいの若輩者です。
しかしその構造的な問題を目の当たりにしてきています。
果たして自分は正しい行いを出来ているだろうか。
自分は加害者とならないだろうか。
そんな憂慮に絶えないのです。
また、こうした問題は決して自分に関係ないものではなく。
撮影という行為に対しても、こめかみに銃口を突き付けられた状態です。
(注:1つ目の事件は不起訴処分になっています)
実際には事件化していないだけのケースも世に潜んでいるのでしょう。
以前自分でも書きましたが、いつ加害者になってもおかしくない立場なのです。
言いたいこと:ステレオタイプな女性像へのアンチテーゼ、それとパワーバランス
前段の問題に共通しているのは、演出家・カメラマンが、パワーバランスに対する勘違いを起こしていることです。
自分の虚栄心からのか傲慢からなのか、自分を神様・他者を道具として扱い、相手よりも素晴らしい自分は何をしても許される、そんな状態。
もしくは自分を客観視できていない。
話を変えまして。
最近、ライブ配信アプリで役者さんに営業かけたりしてます。
あ、べつに流れぶっ壊してまで売り込みコメントはしないですよ。
そんなライブ配信の一番メジャーなジャンルって女性アイドルなのです。
SHOWROOMなんかではAKBグループが公式に配信してますし。
すっごい目立つし、市場規模の大きさにも驚かされます。
としたときに、エンターテインメントとして求められる女性像のステレオタイプって「カワイイアイドル」なのだと思うのです。
そしてそれはポートレートモデルに対しても同様の事が言えます。
可愛く愛嬌のある人が市場の最大多数になっている印象です(トップレベルになると作品性のある方ばかりですが)。
常々語っているのですが、私はそんなステレオタイプを享受したり消費する自分を想像すると、嫌悪が爆発します(決してアイドルさんやファンの方を糾弾・否定する意図はありません)。
嫌悪の対象たる自分に対して、アンチテーゼという形で写真や文章に昇華しています。
同じ感覚を抱く役者さんの居場所や観賞者の席を用意する存在でありたい、と。
それを実現するにあたって、上述の記事や事件の原因である「演出・主演と役者のパワーバランスの歪み」について常々考えています。
いくらサービスであったり「撮らせてもらってる」スタンスをもっていたりしても、へりくだって役者さんより低い身分であると振る舞うべきではないです。
一方で「撮ってやっている」というスタンスもNG。
撮影という体験自体も、出来上がった写真も、両方楽しんでもらいたいのです。
モデルとして撮影までの準備で色々苦労していることは知っています。
コンテンツ産みの苦しみは準備だけで充分、あとは私が責任もって楽しくするという状態にしたい。
私がお人形さん遊びして撮るのではなく、お互いが協力して撮りたい。
でないと撮影体験を台無しにしてしまうと考えています。
モットーやテーゼはありつつ。
サービスとエゴの具合を調整しつつ。
パワーバランスに気を配り。
写真の作風が安定しない私の、唯一芯が通っているのは、そんなところです。
結論:明日からも生きてやってもいいかも、なコンテンツ作り
私は日々、希死念慮に襲われる人間です。
自分を生かしておく理由や根拠を、自分自身で作り出せない。
そんな人間が、誰かを直接的に励ますのは難しい。
であればと作品にしてみる。
文章はまだまだですが、ポートレートは「明日からも生きてやってもいいかもな」って思える体験に近づけられていると自負しています。
「明日からも生きてやってもいい」が必要だと思うから、形にしたい。
消極的前進でいいんです。
それ自体が辛くて、楽しいはずなのに生きている希望を見失ってしまうのは間違いです。
聖人君主ではないので万人に幸福をもたらせることは出来ないにしても。
いい日だったな、誰かに写真見てもらいたいな、って思えるように。
日々生きたくないと思いながら生きてしまっている人間から送る、自分が生きたいと思えていたはずだった分の「生きてやろう」。
書いてて臭すぎてアカンですね。
でも人の死を伴う悲劇に対しては、これくらい思ってないと対抗できない、というか私のメンタルがもちません。
ゴールの設定ができていない今、正直やってて有意義なのだろうかと悩む日も少なくありません。
特に10月の記事執筆のために『若きウェルテルの悩み』なんぞ読んでいるので、リアルにウェルテル効果に呑まれかねない。
そんな私を生かすのは、誰かに分け与えた「生きてやろう」、そして「まだこの人のこんな写真撮ってない」なのかもしれません。
もしこんなとりとめのない文章を読んで共感してくださる方がいたら。
そんな夢を見て写真いじったりキーボード叩いて、生きてみます。
おわり。
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