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第1章:昭和の喫茶店と現代のInstagram――「詩を纏う」若者たちの海層

【連載目次:数字に殺されないための生存戦略】

現代の現象(BTS・SNS)と歴史の構造(文明OS)を往復する11の思索

  • 第1回: 昭和の喫茶店と現代のInstagram ✕ 第一の波 ― 外圧としての文明

  • 第2回: ロジックへの過度な適応 ✕ 止めるという知性

  • 第3回: 独立峰の韓国、連峰の日本 ✕ メタ認知としての停止

  • 第4回: なぜ「意味」より先に「リズム」があるのか ✕ 第二の波 ― 近代という衝撃

  • 第5回: スサノオからギルガメシュへ ✕ 歴史の構造

  • 第6回: 1300年ログアウトされないOS ✕ 第二のストップとは何か

  • 幕間: ラジオ番組 noteFM 特別放送回コラボ企画

  • 第7回: 日本の武士の矜持 ✕ 国風化はすでに始まっている

  • 第8回: 人生のオールラウンダー ✕ 再設計される社会

  • 第9回: ロジックの牢獄の看守たち ✕ 令和の菅原道真

  • 第10回: 文明の黄昏、文化の暁 ✕ 認識の転換点

  • 第11回: イルカは何を伝え、クジラは何を歌うのか ✕ 提示される側へ

  • 幕引き: ラジオ番組 noteFM 特別放送回コラボ企画


『数字に殺されないための生存戦略――BTSの孤独と、日本という「連峰」の詩学』:Cognitive Cultural Theory vol.1


現在、「note FM 詩と、一枚のレコード」という番組の企画制作に携わっていますが、実はこれまで、BTSというダンス&パフォーマンスグループについては、ほとんど知識がありませんでした。

しかし、彼らのメンバーが「詩」をよく読む、という情報に触れたときに、私なりの解釈が、すぐに浮かび上がりました。真相とは違うかもしれませんが、今日はそのことについて、お話ししてみようと思います。


まず思い至ったのは、日本の若者が、詩集を片手によく読んだ時期があった、ということです。

昭和50年代(1970年代半ば〜80年代前半)のことです。

これに先立つ昭和40年代には、数々の詩集が刊行され、その文化の中心を担う詩人が数多く現れました。また、喫茶店文化やサブカルチャーとして勢いのあった朗読ブームが、その後押しをしたとみられます。


これが「表層」での出来事です。

つまり、流行やスタイルがもたらす、いわば外側からの要因です。


もう一つ、私が考える深い層での要因があります。

それは、昭和50年代の急激な経済成長の陰で、「自分は何者か」を問い、言葉にできない孤独や、割り切れない感情を託すその先が、詩集だったのではないか、ということです。

これを例えるなら、深海での出来事です。


その両者は、現代の日本のBTSファンの間にも見られる現象のようです。


昭和の喫茶店と現代のInstagram

繰り返される「詩を纏う」若者たち


この表層において、詩は「推し(BTS)と同じ景色を見るためのツール」として機能します。

リーダーらがSNSで紹介した詩集の表紙を、お洒落なカフェのテーブルに置いて写真を撮り、Instagramにアップする。

これは、かつての昭和の若者が喫茶店で詩集を広げていた「自己表現」の現代版です。


詩の内容そのものよりも、たとえば、リーダーのRMが愛読書として挙げたナ・テジュの詩集『花を見るように君を見る』は、ファンの間でも聖典のように扱われています。

また、彼らの楽曲「Spring Day(春の日)」に見られる「会いたい」という切実なリフレインや、雪が溶けて花が咲くのを待つというメタファーは、まさに韓国詩の伝統的な情緒と深く共鳴しています。


「私もそれを手元に置いておきたい」

そのような感覚で所有します。

詩は一種の「グッズ」であり、知的なライフスタイルを演出するアクセントとして楽しまれています。


1割のコア層が辿り着く「内省の道具」としての詩


さらに深いこの層は、BTSの楽曲の背景にある哲学(ユング心理学や文学的オマージュ)を深掘りするうちに、詩そのものの力に目覚めた人々です。

BTSの歌詞にはメタファー(比喩)が多用されるため、それらを読み解く訓練として詩集に向き合います。

韓国詩人の平易ながら深い言葉の中に、自分の抱える生きづらさの正体を見出そうとします。


韓国の詩に触れたことがきっかけで、逆に日本の茨木のり子や金子みすゞといった、通奏低音の似た「言葉の強さ」を持つ日本の詩を再発見する動きも見られます。

彼らにとって詩は、BTSという入り口を経て手に入れた、生涯続く「内省の道具」となっています。


このように、表層と深層という二つの側面から、詩を巡る構図が見て取れます。

同じく、韓国のファンの間でも、この二極化は見られるそうです。


このような現状があることを知って、現在の韓国での詩のブームは、より昭和40年代の日本で現れた詩のブームに重なりました。


お気づきの方もいらっしゃるかとは思いますが、

ではなぜ、BTSのメンバー自身やコアなファンたちが、これほどまでに詩を好むのか。


そんな疑問が湧いてはきませんでしょうか。

つまり、ファッションとしてではなく、切実に詩を求める、深海での出来事です。


私は少し前から、韓国のお国事情を知っていたがゆえに、BTSのファンではなくても、また韓国のエンターテインメント事情に詳しくなくても、

彼らが「詩を好む」ということを聞いたときに、その理由を即座に理解することができたのです。


韓国での現代の若者が詩を好む事情は、日本と同じく社会事情に原因があるのですが、

当時、つまり冒頭で触れた昭和50年代の日本の事情よりも、今の韓国には、もっと危うい事情が横たわっているのです。


次章へ

――さて。この「外からやってくる、抗いがたい巨大な評価軸」に翻弄される感覚。

私たちは今、スマホという窓を通じてグローバルなOSを強制インストールされ、個の輪郭を削り取られるような痛みを抱えています。しかし、歴史の地層を深く掘り進めれば、日本という国もまた、1200年前の夜明け前に、全く同じ「実存の危機」に直面していたことがわかります。

当時、海を越えて押し寄せたのは、唐という圧倒的な「正解」でした。その巨大な外圧を前に、若き聖徳太子がいかにして自国のOSを書き換え、未曾有の摩擦を制御しようとしたのか。

ここからは、その知の深淵――「第一の波」の物語へと、視点を移してみましょう。

日本文明OSの書き換えは、あなた自身――「外圧・停止・国風化」の1200年 


第一章|第一の波 ― 外圧としての文明

どうも歴史には、目に見えない「流れ」があります。
それに気づいたのが、以前上程した「エドリューション」の一連の文章です。
今回は、日本における外国文明とのかかわりの中に、その流れを見出しました。

かつて、お隣の唐という巨大な大陸文明を前にして、日本はひとつの選択を迫られました。
それは、単なる文化交流ではありません。

むしろ、

「飲み込まれるか、それとも対等な国家として自立するか」

という、生存戦略上の問いでした。

つまりこれは、文化の選択ではなく、国家の在り方そのものを問われる「外圧」だったのです。
世界史における当時の唐の存在意義を考えるなら、それは当然の帰結です。

ここで、日本は一つの方向へ舵を切ります。

――進め。

すなわち、外来の文明を拒むのではなく、積極的に取り入れ、自らを更新していくという選択です。
この「進め(スタート)」を象徴する存在が、聖徳太子です。

彼の行った施策――遣隋使の派遣、冠位十二階、十七条憲法。
これらは単なる制度導入ではありません。

それは、それまでの氏姓制度、すなわち血縁関係を基盤とした秩序から、
法と役割に基づく国家へと移行していく、大きな方向転換でした。

ここで起きていたことを、現代の言葉で言い換えるならば、

文明のOSの入れ替え

です。

それまでの「アナログ的な関係性ベースの社会」から、
「制度・規範・機能によって動く社会」へ。

この変化は、現代におけるデジタル化に匹敵するほどの、根本的な転換だったと言えるでしょう。
その時代の超大国が指し示した方向へ、日本もまた本格的に踏み出したのです。

しかし――

外からの力を取り入れるということは、同時に内部に摩擦を生みます。

このとき、日本の内部で起きていたことは、非常に象徴的です。

いわゆる崇仏論争。
蘇我氏(推進派)と物部氏(保守派)の対立です。

これを単なる宗教論争として見ると、本質を見誤ります。

ここで衝突していたのは、仏教か神道かではなく、

外来のシステムを受け入れるか、従来の秩序を守るか

という、国家のグランドデザインそのものだったのです。

つまり、外圧はそのまま内部へと流れ込み、「内圧」へと変換される。
この構造は、後の時代にも繰り返されていきます。

ここで、聖徳太子の立ち位置をもう一度見てみます。

彼は明らかに推進側、すなわち「進め」を担う存在でした。
しかし同時に、彼はこうも言っています。

――和をもって貴しとなす。

これは単なる道徳ではありません。

むしろ、

変化を強制する際に発生する摩擦を、いかに制御するか

という、極めて実務的な認識の表れです。

外来の文明を導入するということは、既存の秩序を揺るがすことです。
そこには必ず抵抗が生まれます。

その抵抗を無視すれば、社会は分裂し、崩壊します。
しかし止まれば、外圧に飲み込まれる。

この緊張の中で、

「進めながら、壊さない」

という、きわめて高度なバランスが求められていたのです。

実際、彼は物部氏との戦に自らも参戦しながら、戦後、彼らを手厚く祀る宗廟を建立しています。
それが、大阪府八尾市にある大聖勝軍寺です。

たとえてみるなら――

マッカーサーが戦後、自ら戦犯として裁いた者たちのために、
逆に彼らの霊を慰めるための教会を建てた。

それほどの事態に匹敵するはずです。

進めることと、鎮めること。

この二つを同時に引き受けようとした点に、聖徳太子という人物の真髄があります。

ここまでを整理すると、ひとつの構造が見えてきます。

外圧が訪れる(唐・大陸文明)
応答者が現れる(聖徳太子)
システムが刷新される(律令制・中央集権)
内部で摩擦が生じる(崇仏論争・守旧派との衝突)

この流れは、歴史の力学として非常に整合的です。

そして重要なのは、これを単なる出来事としてではなく、

「繰り返されるパターン」

として捉える視点です。

この「第一の波」は、単に外来文化を受け入れたという話ではありません。

それは、

国家が、自らのOSを書き換える決断をした最初の瞬間

だったのです。

そしてその決断は、内部に摩擦を生み、時間をかけて社会に浸透し、
やがて別の段階へと移行していくことになります。

では、その次に何が起きたのか。

外から取り入れたものは、永遠に取り入れ続けられるのでしょうか。

それとも、どこかで――

止める必要が生じるのか。

この問いが、次の章へとつながっていきます。

(第二章へ続く)

--- この連載は、現在絶賛放送中のラジオ番組 noteFM の協賛により行われております。



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