天に架けた巨大な橋 翡翠の地に伝わる木柱に託した願いとは 〜糸魚川の断層露頭と古代玉作遺跡を巡る【紀行文】
翡翠を巡る旅。新潟県糸魚川市の姫川周辺は、かつて日本全国に流通した翡翠を算出・加工する場所がある。そこは大地が紡ぎだした、壮大な物語の舞台だ。
フォッサマグナミュージアムでは、翡翠をはじめとした数々の石に触れることができ、そして地質の成り立ち——なぜこの辺に海底の異物が見つかるかなど、詳細に語られていた。地学に興味のない人でも、巨大モニターで見られるフォッサマグナの形成史を見れば、このダイナミックな地底の力のドラマに感動するだろう。

縄文時代の翡翠の加工場 長者ヶ原遺跡
フォッサマグナミュージアムのある美山公園内には、縄文時代の長者ヶ原遺跡がある。ミュージアムから、さわやかな木立の中を5分ほど歩いた場所にある。広々とした平地に丁寧に作られた縄文の集落。端にはゴミ捨て場があり、そこからは加工中の翡翠の大珠などが見つかっているという。







古墳時代の翡翠の加工場 浜山玉つくり遺跡
また、これは隣の富山県だが浜山玉つくり遺跡がある。ここは古墳時代の翡翠の加工場であったとされる。
海沿いを走る国道8号線沿いを少し山側に入ったところにある遺跡だが、おそらく古代はもう少し海面が高く、海岸沿いのやや高台部分に作られた遺跡だったのではないかと思われる。
遺跡周辺を歩くと、白い翡翠に似た石や、緑色の蛇紋岩のような石が散らばっており、この辺に翡翠があったのだろうということが想像された。近くには「三崎神社」という古くからある神社もあった。



石尊大権現は、神奈川の大山信仰にみえるものだが、この地域では別の意味を持つのであろうか。
また通利天宮は、「忉利天宮」のことか。石尊=日 忉利天=月 という意味なのか。
苔むした古い石なのでとても気になったが、情報を探し出せなかった。気になる・・・


翡翠は、人間の歴史などをはるかに凌駕する、地球の巨大なドラマの痕跡。ハンマーとして使うほどの硬い翡翠を加工する技術が、ここには存在した。姫川をさかのぼった一帯で産出する翡翠を運び、ここで加工する技術をもった一族は、特殊な技能集団としてこのあたりに住んだのだろう。
東北を中心に、北海道から九州まで翡翠は運ばれた。単なる物々交換の財として取引されたのではなく、ある目的をもって取引されたものであることは明白だ。
縄文時代から古墳時代まで、人々が求めた翡翠には、どのような願いが込められていたのであろうか。その謎を解くカギは、新潟県の寺地遺跡と万葉集にある。
天に向かってそびえる四本の木柱 糸魚川市の寺地遺跡
寺地遺跡からは、四本の柱の跡が発掘されている。この木柱はいったい何のために建てられたのだろうか。
四本の柱と聞いて思い浮かぶのは、私の好きな諏訪大社の御柱である。しかし、この地域のつながりから言えば、古代日本最大の建築物として名高い出雲大社の本殿が思い起こされる。
伝説と思われていた巨大な出雲大社の神殿。しかし平成12年の発掘調査で、三つの柱を金属の輪で括り、直径3mに迫る巨大な柱が出土した。
これにより、出雲大社に伝わる「金輪御造営差図」の信ぴょう性が高まり、高さ48mと伝わる建物にも現実味が出てきたのだ。
巨大な木柱を地中深く突き立て、天に向かってそびえさせる――こうした信仰・思想は、古代日本において確かに存在していたようだ。



少し話は飛ぶが、日本三景としても知られる天橋立(あまのはしだて)は、かつて天へと伸びていた橋が倒れて現在の形になったという伝説がある。ここでも天に向かって立ち上がる構造物、あるいは柱のようなものが想像されていたのだ。
不老不死を願う人々の思い
では、天に向かって柱を立てた人々は、そこにどのような願いを込めたのだろうか。出雲大社には、柱の上に社殿があった。つまり、その高みに人が住まう空間が想定されていたのだ。天とのつながりを象徴するような空間である。
万葉集には、以下のような歌がある。
天橋(あまのはし)も 長くもがも 高山も 高くもがも
月読(つくよみ)の 持てる「をち水」 取り来て
君に奉りて をちしめむはも
「天橋はもっと長く、高山はもっと高くあってほしい。そうすれば、月を司る神・月読が持つ“をち水”(不老不死の水)を取りに行けて、あなたに奉って一緒に飲むことができるのに」という、天への憧れと不老の願いが込められた歌である。
また、翡翠(ひすい)に関する歌として、次のような一首がある。
沼名川(ぬながわ)の 底なる玉 求めて得し玉かも
拾ひて得し玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜しも
これは前回の紀行文で記したとおり、私の解釈では「素晴らしい霊力を持つ川の底には(人を若返らすような)不思議な力を持つ玉があるという。それは求めて得られるものなのか、或いは偶然に拾うようにして得られるものなのか、分からないが、今は若々しく青春を謳歌する君が、老いることなくいつまでもいられるよう、その玉(魂)を渡したいのだ。」となる
ちなみに、この間にある歌はこちら。
天なるや月日のごとく我が思へる君が日に異に老ゆらく惜しも
これらの歌が地理的・情緒的に近接しているとしたら、これらの歌の根底にあるのは「不老不死」や「天への憧れ」といった人々の切実な願いだったのではないか。
柱を天へと突き立てるという行為は、天に何かを願う儀礼の形だったのかもしれない。
最近、そうした視点から古代信仰を読み解く本を読んだ。とても魅力的な説だと感じた。人々は、身近に迫る死を恐れ、その死から逃れるために、天へと希望を託し、不老不死を願ったのではないだろうか。
そして得られた“をち水”こそが、青い光を宿す翡翠だったのだと思う。

西と東が出会う場所 大地からの贈り物 天からの授かりもの
フォッサマグナミュージアムから車で10分ほど。内陸部へ少し遡ったところに糸魚川ー静岡構造線が露出する断層がある。ここは、西と東——つまり北アメリカプレートとユーラシアプレートが出会い、衝突している場所だ。
駐車場に車を止めてから10分ほど歩く。

そこに着くと、明らかに地質——地面の色が変わり、流れ込むような様相になっていた。私はその場に立った。東のプレートの上に立ち、西のプレートの上に立ち、そしてそれをまたいで立った。

東側が北アメリカプレート 西側がユーラシアプレート
すると地面の下に自分が潜り込むような深く沈むようなを感じがあった。同時に、不安定さに体の感覚が狂うようだった。
ややユーラシアプレート側に立った方が、体が安定する気がした。アメリカプレート側では、少し体が傾く——この不思議な、微妙な違いを、このフォッサマグナパークの露頭の上で感じた。
私は大地のうごめきを、まさに感じたのだ。


旅に出ると思うことがある。
その旅先で、ふと何かを感じる。体の感覚に変化がある。それは、実際にそこに立ってみないと分からない。自然を感じ、感性を解放する——そのスイッチの切り替わる瞬間がある。
古代の人々がプレートの概念を知っていたとは思えない。しかし、だからこそ、この地に何かを感じ、この地を選んだに違いない。そしてそこには、不思議な力を秘めた青い石――翡翠があった。
人々は、その石には月がもつ不老不死の力が宿ると信じ、その石を天高く昇る月からの授かりものだとした。
同時に、その月への感謝、もしくはもっと月の力が欲しい、そう願って巨大な天への架け橋を立てたのではなかろうか。
その思いは、今の私たちにも脈々と続いている。なぜなら、翡翠に魅せられるその感性は、私たちにもまだ残っているからだ。
古代から続く自然の力をいただく感性、それがこの翡翠を巡る旅の中で活性化された。そんな気がした。

続きはこちら。新潟県から富山県に移動する際に通った天下の険、親不知についての紀行文です。
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