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フォッサマグナの贈り物 翡翠 それは不老不死を願った人々の魂か 〜翡翠王国の糸魚川へ【紀行文】

青い宝石に宿る魔力

 古代、人々は青い宝石に特別な魔力を感じ取り、それを身につけたり、手元に置いた。その宝石——翡翠は、ある地域で発見された青い瞳を持つ石であった。その美しさと力は、やがて全国へと広がっていく。
 翡翠は縄文時代から古墳時代にかけて広く流通したが、奈良時代を最後に、歴史の中から忘れ去られてしまう。

緑色ヒスイ フォッサマグナミュージアムにて

 だが、昭和の時代に入り、それが糸魚川周辺で産出される石であることが判明し、翡翠は再びその輝きを取り戻した。
 今では「日本の国石」とまで言われている。この翡翠のもつ魅力、魔力に引かれ、私は糸魚川という地を訪れてみたくなった。

糸魚川はフォッサマグナの分岐点

 また、糸魚川ー静岡構造線は、日本列島を二分する巨大な地溝「フォッサマグナ」の西の境界線であり、その裂け目を糸魚川市で見ることができるらしい。そこも、ぜひこの目で確かめてみたかった。

フォッサマグナの範囲

 静岡県を出発し、長野道へ。途中立ち寄った信濃町のナウマンゾウ博物館の紀行は別に記した。信濃の地を出て、一路北へ向かう。

 虚しい山々が途切れ、いつの間にか平地を走っている。
 上越市に出て、海が——日本海が広がる。川の色と海の色が違う。何か鈍い、寂しいような、そういう色だ。太平洋の青とは違うと思った。

ヒスイ海岸から日本海をみる 太平洋の色とは違ったもの寂しさを感じる

 海岸沿いをひたすら走る。そして、ようやくたどり着いた糸魚川。その糸魚川市に「フォッサマグナミュージアム」というところがある。
 フォッサマグナの露頭であるフォッサマグナパークの手前にある施設で、美山公園の中にある。その近くには、国指定史跡である長者ヶ原遺跡もある。ここは縄文早期~後期と長い間使用された集落の遺跡で、翡翠の加工跡なども見つかっている。

フォッサマグナミュージアム全景 公園内にある施設
近くには、長者ヶ原遺跡の遺物を集めた長者ヶ原考古館もある
公園内には、遺跡もあるので、ゆっくりと散策し、見学をした

 このフォッサマグナパークでは、フォッサマグナがなぜできたのか、そして翡翠がなぜこの地で多く産出されるのかが説明されている。
 実際、古代日本全国に流通した翡翠のほとんどは、この糸魚川地域で採取されたものだということが分かっている。

フォッサマグナミュージアム内で展示される翡翠の数々
ヒスイ海岸で地元の人が拾った翡翠の展示されている
青、緑、紫がかったものなど翡翠にもいろいろ色の変化がある

翡翠が産出されるワケ

 なぜここで翡翠が生まれるのだろうか。それはやはり、このフォッサマグナが関係している。

 日本列島がまだアジア大陸にへばりついていた頃、プレート境界による火山活動によって、日本列島はアジア大陸から分離し、そしてフォッサマグナの部分で大きく東西に割れた。
 東日本と西日本だ。その割れた部分がフォッサマグナという帯である。フォッサマグナは、線ではない。帯なのだ。

 一時期は海底であった帯の部分に、巨大な海底火山——マグマが噴出し、徐々に盛り上がる。その西の端が、あの南北アルプスの山脈群だ。そして巨大火山のマグマが地底から盛り上がり、地中にあった鉄分と結びつき、複雑な要因で、地底にあったものが地上に露出してくる。
 この時に翡翠を連れてくるのが、蛇紋岩という緑色の石だ。

蛇紋岩によって運ばれた地中深くの石 その一つが翡翠だ
この地では地中深くにあるはずの鉱石などがみつかる
かつて海底だったことを示すサンゴの化石もある

 この蛇紋岩が見つかるところで翡翠は産出される。翡翠は硬く加工しにくい石だ。しかし、その美しい澄んだ青緑の魔力に、人々は惹かれ、この石を求めたのだろう。

翡翠の神「奴奈川姫」の伝説

 翡翠の神といわれるのが、この姫川を象徴したとされる「奴奈川姫」だ。奴奈川姫はこの新潟の国の姫で『古事記』では大国主命——その別名である天之八千矛命の求婚を受け、それを受け入れ、子としてあの諏訪の神・タケミナカタを産むことになっている。

長者ヶ原考古館内にいた奴奈川姫

 出雲の血と翡翠の霊力を持つ越の血が混ざり、そこから内陸部に下って、諏訪の神になるというストーリーは、一見整合がつくように思えるが、そこには複雑な古代の勢力図が隠されていると思っている。

タケミナカタを祀る諏訪大社(上社本宮)
同じく諏訪大社(上社前宮)
ちなみに下社の境内にヌカカワヒメは祀られているようだ。

 なにしろ、この越の国に伝わる伝承はまるで違うからだ。越の国に伝わる話では、奴奈川姫は天之八千矛命の求婚を嫌がり、逃げ回ったという。
 出雲の国と翡翠を産出する越の国は、交流があったが、やがて抗争が起き出雲の勢力圏に取り込まれたのかもしれない。

茅葺の入母屋屋根でできた拝殿 以前訪れた弥彦神社、そしてこの後訪れた能生白山神社の拝殿も茅葺だった。北陸は茅葺屋根の社殿が一般的なのだろうか
奴奈川神社本殿
国つ神の拠点だったこの地にやがて天つ神がやってきて祭神が書き換わったようだ。

 フォッサマグナミュージアムのあと立ち寄った糸魚川市内にある「天津神社」と「奴奈川神社」。ここは現在、天津神を祀っていることになっているが、実質的にはこの土地の神、奴奈川姫などの国津神を祀ってきたところである。

 以前、私が旅した弥彦神社も同じような雰囲気を感じた。古層の神々、縄文時代からの土着の神が居たにもかかわらず、後から来た天津神が祭神として表に立っている。
 でも、その神社の雰囲気や霊威を作っているのは、古くからの地元の神々なのだと思う。幾年月が流れ人々が変わろうとも、神々が作る自然の雰囲気や力は、不変なのだ。

弥彦神社を訪れた際に感じた古層の神々の雰囲気
弥彦神社の鳥居

万葉集にうたわれた翡翠

沼名川の底なる玉求めて得し玉かも拾ひて得し玉かもあたらしき君が老ゆらく惜しも

万葉集 

これは、万葉集にある詠み人知らずの歌だ。
この現代語訳は一般的には、次のようになるらしい。

素晴らしい川の底にある美しい玉は、探し求めてやっと見つけた玉、または拾って得た玉のようだ。その得難い玉のようなあなたが老いていくのをみるのが惜しいのだ。

 少し意味がつながらないように思うが、いくつかネット上の現代語訳を検索してみても、同じような解釈が多いようだ。
 昭和の初期頃は日本では、翡翠が産出されると考えられておらず、すべて舶来品と考えられていた。さすがに今では、日本の国石と言われるほどの認知度があるが、奈良時代に使われてのち1200年ほどは忘れ去られていた。
 この沼名川は、ほぼ奴奈川と同義であるとされ、現在の姫川を指すのではないかと言われている。
 この辺りを車で走っていると、「〇〇の霊水」という看板を多く見かけた。険しい北アルプスから流れ出る幾筋もの川、そして山肌から湧き出る水は、冷たく清らかな山の霊気を孕んでいる。しかも、この翡翠の魔力をも吸い込んだ霊力のある川だと考えられたいたのではないだろうか。

 するとこの歌は、ただ老いゆく愛しい人を惜しむ歌ではなく、もう少し呪術的な意味が加わってくるのではないかと思う。

素晴らしい霊力を持つ川の底には(人を若返らすような)不思議な力を持つ玉があるという。それは求めて得られるものなのか、或いは偶然に拾うようにして得られるものなのか、分からないが、今は若々しく青春を謳歌する君が、老いることなくいつまでもいられるよう、その玉(魂)を渡したいのだ。

 青き翡翠は、陰陽五行思想における春の色を象徴する。自然界に目を向ければ、その青—ブルーというよりも、広義における青、すなわち緑をも含んだ色—は若さを象徴している。
 そして、この青を神秘的に抱きしめる翡翠は、若返りと不老不死の象徴であり、古代においては呪物としての意味を持っていたのかもしれない。

 玉は魂そのものである。フォッサマグナにより大地の力が、翡翠という形でこの地に現れた。その力を敏感に感じ取った縄文人たちは、翡翠が持つ霊的な力と、それを宿す川に魅了され、ここに定住したのだろう。
 翡翠が日本中に広まった背景には、その若返りと不老不死をもたらす力への信仰があったのではないか。翡翠を身に纏うことで、魂が永遠に続くと信じられていたからであろうと、私は思った。

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