私は石を手放せない―古代装飾品が持っていた意味の世界への回帰【随筆】
少し体調を崩していた時期があった。
大したことではないのだが、何かが少し狂ったような感覚が続いて、こんなはずではなかった、というぼんやり感が数か月続いた。医者にもかかったが、異常はないという。
そんな折に、オーラ診断という占いの話を聞いた。私は占いに強い信心があるわけではないのだが、体が思うように動かない時というのは、人は妙に素直になるものだ。
「あなたには水晶が合っている」
そういうことらしかった。
それからなんとなく水晶を探しはじめた。意識するようになると、石を扱う店がこれほど多くあるのかと驚く。アクセサリーショップ、パワーストーンを専門とする店、骨董屋の片隅にある籠の中。
しかしどれもピンとこなかった。
そんなある日、伊豆の山中で天然の水晶の欠片を拾った。六角柱の先端がやや欠けた、手のひらに収めるとほどよい大きさのもので、冷たくひんやりした無骨な質感を最初は感じた。
しかし、神社の水で清めしばらく手の中に収めているうちに、何か背筋がピンと通る感じがした。気のせいだったかもしれない。
ただ、それは今も私の机の上に置かれている。
いつのまにか石が増えていた
水晶を手元に置くようになってから、石への関心が高まってきた。山梨の博物館で甲州水晶の歴史を見た。産地や鉱物としての性質を調べた。そうするうちに、他の石にも目がいくようになった。
特に私が回っている博物館の遺物では、翡翠や水晶、黒曜石などの装飾品が目に付く。土器の文様や土偶の愛らしさに魅せられ、装飾品にはあまり関心がなかったが、そちらにも妙に惹きつけられるようになった。
そのうち、どうしても翡翠が欲しくなった。
あの深い緑の宝石が古代人を惹きつけた理由が、私にも感覚としてわかってきたような気がする。何か翡翠には不思議な力があるのだろう、どうしてもその石が欲しい。
私は、翡翠の産地、新潟県の糸魚川に出かけ、糸魚川のミュージアムで翡翠のペンダントを求めた。
そのペンダントを日々身に着けていると、妻が誕生日プレゼントとして今度は水晶の勾玉のペンダントをくれた。私が石に興味を持っていたので、喜ぶと考えたらしい。水晶は手元にあったので、なにか力がぶつかり合うような気がして、少し気が引けたのだが、こちらもいつしかお気に入りとして、身に着ける頻度が多くなった。
そうして、私の周りには、宝石の装飾品が少しずつ増えていった。
増え続ける宝石を眺めつつ、ある時思った。
この石への感覚を何と呼ぶのだろうか。愛着と言うには少し違う。執着と言えば重すぎる。しかしそれは確かに、私の中にあり、私と結びついている何かだった。
この「何か」が、少し怖くなった。
他の人はどうやって手放しているのか
アクセサリーショップや土産物コーナー、そして博物館の売店でも、様々な種類、意匠の装飾品が並んでいる。
値段はそれほど高くない。それなりに売れているのだろう。
誰かが、それを手に取り、しばらく楽しみ、やがて新しいものへと移っていくのだろう。
フリマアプリを見ていると、無数の装飾品が出品されている。新品もあるだろうが、多くは不要になったものを出品しているようだ。
私にはそれができないとおもった。
また、他人の身に着けた装飾品は「何か」がついていそうで恐ろしかった。
他の人たちには、私が感じるような、こうした引っかかりがないのだろうか。そもそも、装飾品というものは、本来そのように消費されるものなのだろうか。
私は気になって、これまで人々が石をどのように扱ってきたのか調べてみた。
人類学的に見れば、装飾品を手放す際、人々はかなり手の込んだことをしてきたらしいということが分かった。やはり、石との結びつきを断つための呪術を行っていた。
言葉で別れを告げる。
塩を振る。
形を壊してから捨てる。
神社に納める。
燃やす。
関係を結んだものは、関係を終わらせなければならない。その手続きを怠ることへの、漠然とした恐れが人々の中にあったようだ。
翻って、現代はどうか。石を買い、飽きたらフリマアプリに出す。
合理的であり、エコでもあるが、何かが欠落しているような気がした。
欠落した何かが、私の中ではまだ残っているような気がした。それとも私は大切な何かに気づき、接続しているのだろうか。
色が持っていた意味とは
縄文時代の装飾品――翡翠の勾玉、管玉、滑石製の小玉。
どれも手間のかかった加工で、当時の技術水準からすれば、相当な労力と時間を要したはずだ。
翡翠は新潟の糸魚川周辺でしか産出しないにもかかわらず、北海道から九州まで出土する。つまり誰かが命がけで運んだのだ。それほどまでに人々を惹きつけた石を、縄文人はどのような思いで加工し、身につけたのか。
翡翠の緑は、萌える草木の色だ。生命の色と言ってもいい。縄文人が緑を好んだのは、偶然ではあるまいと私は思う。
人類が最初に強く意識した色は赤だったろう。血の色であり、火の色。生命と死を同時に意味するその赤は、最古の彩色に使われた。
それ以前は、白と黒つまり、光と闇のコントラストは意識にあった。
「青」という概念が独立した色として固まるのはずっと後のことだったという研究がある。
ホメロスが海を「葡萄酒色」と表現したことは有名だが、これは古代人に色覚が欠けていたわけではなく、その色の名前を区分して認識していなかったからだと言われる。
ここからは、私の想像だが、空の〇、海の〇といった色を区分して認識する必要がなく、例えば海の深さ、波の動き、酩酊にも似た感覚、そのすべてを含む出来事の気配として海を感じており、海は青色ではなく、「葡萄酒色」として表現されたのだろう。
翡翠の緑も、緑色としてではなく、草木の生命力、再生への祈り、そうした意味の束として感じられていたのではないか。
縄文人にとって石はとてつもない意味を帯びた存在だったろう。
関係性を断つ儀礼
縄文遺跡の発掘では、貝塚つまり当時のゴミ捨て場から多くの装飾品が出土する。丁寧に加工された石の小玉や、遠方から運ばれた翡翠の破片が、食べかすや廃棄物の中に混じって見つかる。
一方で墓から出てくるものもある。
同じ「大切にされていたはずの石」が、なぜある時はゴミと一緒に捨てられ、ある時は死者と共に埋められるのか。

縄文人にとって石を手放すことは、軽い行為ではなかっただろう。
しかし、貝塚から見つかった翡翠の事例もある。
貝塚からは人骨も見つかることがあるという。そこで私は、貝塚に捨てられたものは、すべて等しく何かしらの儀礼を以て、関係を終わることがなされたモノたちだったのではないか、と思った。
縄文時代から、葬送儀礼は存在したようだ。それが、生きるものと死せるものとの関係を断つ儀式だったのか、それとも新たなる再生を祈って送り出した円環構造をもったものなのか、そのあたりは分からない。
しかしいえることは、関係が変わったことを意味づける何かの区分をしたということだ。
石が鉱物となった時代から世界の再魔術化へ
近代は石を徹底的に解体した。
水晶はSiO₂、石英の一種、硬度七。
翡翠にはジェダイトとネフライトの二種があり、前者の方が希少性が高い。これらは正確で有用な知識だが、それは石の本質ではない。
私が水晶を手にした時に感じた、あの「背筋を伸ばした何か」を、SiO₂という記号は説明しない。
波長として分析された色は、もはや意味を帯びた存在ではない。
虹の色は、文化、文明によって区分される色の数が違うという。日本でいいう虹の七色は世界共通ではないのだ。
虹は科学的に解体され、雨粒に入った光が屈折し内部で反射、再び屈折してスペクトラムとして色分かれしたものと説明される。
伝説で語られたような巨大なハマグリの痕跡ではないのだ。
グレゴリー・ベイトソンを手掛かりに、「世界の再魔術化」を論じた本がある。モリス・バーマンの「デカルトからベイトソンへ 世界の再魔術化」だ。
近代は世界を分析し、分解し、数値に還元してきた。その過程で、石もまた波長と硬度と化学式に落とし込まれた。バーマンが提唱するのは、ベイトソンが主張した意味のネットワークとしての世界、関係の中に立ち上がる世界像を取り戻そうということだ。
何も非合理への回帰ではなく、科学的知を保持したまま、身体感覚を研ぎ澄まし、自然の中に現れる象徴を読み取るということ。自然に再び関わっていく意識を回復し、世界を意味と価値に満ちたものとして再び経験するということなのだ。
石に力があるかどうか、私にはわからない。しかし石と私の間に「関係がある」ことは確かだ。これは、私の中で石がまだ鉱物になりきっていないーーならば少なくとも私にとっては、世界の再魔術化が始まっているのかもしれない。

私はまだ石の手放し方を知らない
結局のところ、私はまだ石の手放し方を知らない。
神社に納めるのがよいのか、形を変えてから捨てるという方法もあるらしい。どこかにしまい込んで時間を置いて、感情が物から自然と剥がれるのを待つというのもあるだろう。
石は今日も机の上にある。
白濁した水晶の内部に、透き通った部分があり、光が差し込んでいる。冷たく重量感のある水晶が私の手の中にある。その感覚を味わっていると、何かに垂直に接続する気がする。
縄文の職人が糸魚川の川原で翡翠の原石を手に取った時、彼の手のひらにも同じような何か世界とつながる感覚があったのではないかと、ふと想像する。
その人は何を感じたのか。その石はどこへ行ったのだろうか。
私は石を手放せないでいる。
私の中にあるこの感覚は、もしかすると縄文以来の、人間の深いところにある感性と繋がっているのかもしれないとも思う。
そしてその何かを、私はまだ大切にしておきたいと思っている。
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