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闘技会 第一話

あらすじ
ある武闘家は、王室主催の闘技会に参加した。優秀な成績をおさめた者は、身分を問わず側近に取り立てられるという。勝つにしろ負けるにしろ、闘技会は数日で終わるものと武闘家は考えていたが、試合はなかなか始まらない。その後も様々な理由で日程は延期され、長い月日を闘技場ですごすことになった……


 王室主催の闘技会がまもなく行なわれる。

 国のすみずみにまでお触れが出され、ちから自慢、わざ自慢たちが、我こそはと都を目指した。なんでも優勝者のみならず上位に入賞した者は、身分にかかわらず武術指南役や近衛など、王の側近に取り立てられるのだという。

 その闘技者は、辺境にある小さな町からいくつもの山を越えてやってきた。開催の期日までにはかなりの余裕を持って旅をしてきたはずなのだが、なにぶん都へゆくのは初めてのことだったので目算がはずれたらしい。ようやく街の入り口にさしかかったころには、そろそろ闘技会が始まるといううわさをあちこちできくようになった。それで休みもとらず駆けに駆け、申し込みの締め切り直前に、なんとかすべり込んだのだった。

 闘技者は、地元ではそれなりに名の知れた武術家であった。小さな道場を持ち、幾人かの門弟をかかえていた。が、求道の精神があまりに強すぎたのだろう。己のわざを鍛えることばかりに執心し、弟子への指導はおざなりだったので、道場はあまり流行らなかった。

 建てものを手入れする余裕もなく、道場は雨漏りし放題、すきま風は吹き放題で、同じように身なりはぼろぼろ。しかし本人は自分を鍛えることしか頭になかったので、それでもかまわなかったけれど、養われる妻子はたまったものではない。妻は暗い顔をして小さな息子をかかえ、息子はいつも泣きわめいていた。

 闘技者もそうした家族の窮状を気にかけないほどの極悪人ではなかったから、どうしたものかと悩んでいたところへ目に入ったのが、くだんの闘技会のお触れである。一も二もなく飛びついた。よい成績をおさめて側近に取り立ててもらえば収入は安定するし、金のためにしかたなくやっている弟子の指導なんかせずとも、思うぞんぶん自分のわざを磨けるというもの。

 闘技者は数少ない弟子のなかでもいちばんましと思われる者に後を託すと、あわてて都へと向かった。

 妻はといえば、夫がよい成績をおさめて仕官できる見込みがあるのかどうかまるきり分からなかったけれど、ここでやる気のない道場主をつづけていても明るい未来は期待できないし、あきらめの精神だけはじゅうぶんに鍛えられていたので、なにも言わずに送り出したのだった。

 さて、闘技者は受付を済ませると、闘技場のなかにある小さな一室に案内された。案内人はしばらくここで待つように言い、部屋を出ていった。

 部屋には小さなテーブルとベッドが備えられ、テーブルには水差しが置かれていた。闘技者はそれを見るなり、ここまで休みなしに駆けてきたのを思い出し、急にのどの渇きをおぼえた。コップにたっぷり水を注ぎ、のどを鳴らしながら飲み干すと、ようやく落ちついて物が考えられるようになった。

 思い返すと、闘技場はえらく大きな建てものだった。これほど巨大な建造物を、闘技者はいままで見たことがない。高さは、ふつうの建てものに換算すると十数階はあるだろうか。近寄って見上げると、あまりの高さにめまいを感じるほどだ。しかし怖いもの見たさというかなんというか、どうしても見上げずにはいられない。

 闘技場の横幅ときたら、広すぎて全体を見渡すこともできない。ゆるやかに弧を描きながらつづく壁面は、右を見ても左を見ても終わりが見えなかった。よく観察すると、石積みの壁には虫食いのような小さな穴が数え切れないほどあいており、それが建てものの特徴を示しているようなのだが、しかし壁の総量からするとわずかなすき間でしかなかったので、全体として見てみると建てものというより、城壁のような巨大な壁の一部としか思えないのだった。そして案内された部屋にあいた小さな窓は、外から見たときのあの虫食いのような穴のひとつにちがいない。

 部屋は奥行きがあるわりに間口がせまく、天井はおそろしく高かった。長手方向の壁には何もなく、のっぺりとした石積みの壁が立ち上がっている。短手方向の一方の壁には小さな窓、反対側の壁には丈夫そうな木の扉がおさまっていた。

 闘技者はどうも落ち着かなかったので、部屋を出て、ちょっとまわりを見てこようかと考えたのだが、闘技場のなかは迷路のように入り組んでおり、じっさい、ここに案内されてくるまで、果てしなくつづいているかのような暗い通路を、あちこち曲がったり上がったり降りたりしてきた。その複雑な道行きを思い起こすだけでも、あたまがこんがらかってくる。もしひとりで通路を歩けば、迷わずに戻ってこられる自信はなかった。

 かわりに闘技者は窓辺に立って、そとを眺めた。眼下に都の街並みが見える。建てものばかりで緑は少なかったが、どの民家の屋根もまったく同じ明るい色をした瓦で葺かれており、統一のとれた、美しいと言ってもいい光景だった。もうすこし窓が大きかったら、もっとすばらしい眺めだったろう。

 民家の屋根瓦があちこち傾きながら、オレンジ色の波のようにどこまでもつづいている。その先に、蒼く霞んだ低い山並みが見えた。方角はよく分からなかったが、もしかすると、あの山並みの向こうに闘技者の故郷があるのかもしれない。

 しばらくすると、先ほど案内してくれた人とはまた別の人物が、食事を運んできた。闘技者は持ち合わせがないからといって断ろうとしたが、闘技会の参加者には無料で食事が配給されるのだという。

「べつに食わなくてもいいけど、食ったほうが得だぜ。なんせタダだからさ」

 と男はニヤニヤしながら、下卑た口調でいった。

「闘技会はいつ始まるのかな」

 闘技者は男にたずねた。

「さあ知らないね。おれはただ食事を配るだけだから」

 と男はそっけなくいい、まだ配膳の仕事がのこっているからと、あわてて部屋の外に消えた。

 食事の献立は、たっぷりの粥と具だくさんのスープに薄切りの肉、水差しに入ったぶどう酒。どれもこれも故郷の味つけとは微妙に異なっていたが、量はじゅうぶんにあったし、闘技者は食べ物にはこだわらないたちだったので、あまり気にはならなかった。

 闘技者はゆっくりとそれをたいらげ、しばらくすると、さきほど配膳にきた男が空になった食器をさげにきた。それからまた長い時間がたった。なにも起こらなかった。

 もしかすると、受付の不備かなにかで闘技者のことは忘れ去られてしまったのかもしれない。そう思った矢先、ようやく新たな訪問者があらわれた。

 配膳の下卑た男とは違い、上品で有能そうな男だった。黒く短いあごひげを生やし、見るからに上等そうな紺のローブをまとっている。小脇には分厚い紙の束をかかえていた。

 男は遅れてきたことを詫び、自分は王室の使いだといった。そして脇にかかえた分厚い帳面をペラペラとめくり、先ほど受付で済ませた闘技者の情報に間違いがないかどうかをたしかめた。

 使者によると、参加者があまりにも多いために、受け入れ側の人手がまったく足りていないのだという。「ですからなにかとゆきとどかないところがあるかもしれませんが――」と使者はまた謝罪し、それでも数日中には試合がはじまるはずだと述べた。

「対戦は受付順におこなわれますから、あなたの出番はかなり先になるでしょう」

 と使者はいかにも有能そうな、きびきびした口調でいった。

「かなり先といいますと、つまりどのくらい先なんですか?」

 と闘技者はたずねた。

「さあ、それが分からないのです。なにしろ参加者の数が数ですし、時間無制限の一本勝負ですから、ひとつの試合にどのくらい時間がかかるのかも読めません。少なくとも数週間は先になるでしょうか。ひょっとすると、もっとかかるかもしれません」

 使者の言葉は明瞭だったが、返答はあいまいだった。

 それをきいて闘技者は困惑した。というのも、闘技会などせいぜい二、三日で終わると思っていたので、わずかな金しか家に残してこなかったのだ。それが何週間もかかるだなんて、待っているうちに妻子が干上がってしまう。

「それでしたら、ご家族のことはなんとかなるでしょう」

 と使者はなだめるようにいった。使者によると、なんでも闘技会の参加者は勝ち残っているあいだは、待機中も含め近衛見習いとして給金が出るのだという。それを故郷に送ってやればいいのだと使者はうながし、「ただし試合に負けた時点で給金は差し止められますがね」とつけ足した。

 そういうことなら闘技者の心配は何もない。食事は無料で出してくれるし、たぶんここの宿代だって取られないのだろう。それに加えて給金まで出るだなんて、さすがは王室主催の闘技会である。どこの馬の骨ともしれない、あやしげな興行主の催す闘技会まがいとは訳がちがうのだ。闘技者は王室の大盤振る舞いにたいへん気を良くし、むしろ闘技会が長引いてくれた方がいいとさえ思うようになった。

 そうなってくるとにわかに心にも余裕がでてきて、出番までそれほど間があくなら、一日ぐらいは都の観光でもしてみようかという気になってきた。なにしろ都に入ってずっと走りづめだったから、ろくに街を見ていない。しかしそんな闘技者の思わくを、

「ざんねんながら、参加者は負けるか闘技会が終わるまで闘技場から出ることはできません」

 と使者はきびしい口調で制止した。

「不正をふせぐためなのです」と使者は真剣なまなざしで闘技者を見た。「闘技会では、誰が勝つか負けるかを賭けの対象にします。そのほうがただの見世物より盛り上がりますし、運営の原資ともなるわけです。ですがそれをたとえば下馬評の高い参加者が、どこかの胴元と組んでわざと負けたりしたら、王室の信用にかかわってくるでしょう。あなたはそうではないかもしれませんが、側近に選ばれる名誉より金銭を選ぶ者も多い。そうした不正をふせぐためにも、参加者と外部との接触をいっさい断つ必要があるのです」

 闘技者は使者の言っていることがよく分からなかった。賭け事をするような余分な金は、生まれてから一度も稼いだことがなかったので、闘技者は賭けごと全般に不案内だった。それに勝負にわざと負ける武術家がいるだなんて信じられない。生きていくうえでもっとも大切なものを、たかが金なんかと交換するとは。しかし使者がそう言うのなら、そうした者もいるのだろう。

「同じように闘技場のなかでも、ほかの参加者とはあまりかかわらないほうがいいでしょう。不正を疑われる元ですからね」

 と使者はさらにくぎをさした。

「となると、わたしは試合の日までこの部屋にずっとかんづめですか」

「たいへんご不便をおかけします」と使者は軽くあたまをさげた。「もっとも、競技が進んで参加者が絞られれば、なにかしらの対応もできるかもしれませんが――。ここまで大がかりな闘技会は王室にとってもはじめてのことですから、ゆきとどかないところがあるのはご容赦ください。何卒ご容赦ねがいます。しかしそれはあなただけに限ったことではありません。すべての参加者が同じ条件なのです」

 使者はほかに質問や要望はないかとたずねた。闘技者は、家族に金の算段がついたことと、闘技会が思ったより長くかかりそうだということを知らせたいという旨を願い出ると、手紙の内容は検閲されるという条件つきで、とくべつに許可された。

 使者が部屋を出ていったあと、闘技者は、壁に黄色い染みができているのを発見した。なにかと思えば、それは窓からさした日の光なのだった。あとから分かったことだが、この部屋にはほとんど日がさし込まない。なぜなら、斜めからの日ざしは闘技場の厚い壁によってさえぎられてしまうからだ。窓はほぼ西を向いているらしい。部屋に日がさすのは、沈む前のわずかな時間だけだった。

 闘技者はしばらくのあいだ壁に映った四角い光を見、そのあと窓辺に移って外をながめた。空は、赤と紫のだんだらに染まり、太陽は低い山並みの向こうに隠れようとしていた。オレンジの屋根瓦はやや朱の色に傾きながら、街に最後の色を残していた。そのとき、下卑た口調の男が夕餉を運んできた。

       *

 使者は毎日やってきて、開催の予定に遅れが出ていることを逐一知らせた。参加者があまりにも多いので、調整にたいへん時間がかかっているのだという。

 闘技者は気にしなかった。金銭的な不安はなくなったし、他に用事があるわけでもない。

 闘技者はほとんどの時間を訓練に費やし、食事をし、使者の報告を受け、一日の終わりには夕日を見た。

 部屋では自分を鍛えること以外、何もやることがない。しかしそれこそが闘技者の望むものだったのでべつに不満はなかった。見込みのない弟子に指導をつけたり、妻の小言をきいたり、熱を出した子どもの薬を買いに行ったりといった、日常のあれこれを気にする必要がない。誰にも邪魔されず、すべての時間を自分のわざに注ぎ込むことができるのだ。故郷にいたころよりむしろ快適だった。

 慣れてくると、部屋の狭さもあまり気にならなくなった。闘技者の流派には手足を縛られた状態での鍛錬法というのもあるぐらいだし、狭い場所での訓練にはなんの障害もない。

 しかし用を足したり体を洗ったりといった、日常のちょっとした行為にはめんどうな手続きが必要で、これには闘技者も閉口した。つまり部屋の外に出てなにかしらの用を済ませるには、扉の近くに取りつけられたヒモを引っぱって、いちいち案内人を呼ばなければならないのだった。

 案内人は闘技場の内部にくわしく、要件を伝えるとそこまで連れていってくれる。闘技者は目的地までの複雑な道順を必死に覚えようとするのだが、案内人は毎回、微妙に異なった道を通るらしく、何度連れられていっても覚えることができない。しかし闘技者がそのことを指摘すると、案内人はいつも同じ道を使っていると言い張るのだった。

 十日がたち、狭い部屋に閉じ込められっぱなしで、さすがに闘技者もうんざりしていたところに、使者がやってきた。ようやくあしたから闘技会がはじまりますと明るい顔でいった。このところずっと暗かった使者の顔にも赤みが戻ってきて、表情も柔らかだった。ついにひと山越えたという印象だった。数日中にはじまるだろうという使者の読みは大幅にはずれていたが、闘技者は文句を言わなかった。なにしろ待機中であっても給金が出るのだから、いくら遅れたってかまわない。

「以前にも申し上げたように、あしたから試合がはじまるといっても、あなたの出番はだいぶ先のことになるでしょうが――」

 と使者は念を押した。

「つまり数週間か、あるいはもっと先ということですね」

 闘技者が続きをおぎなった。

「そのとおりです。対戦が進めばいつごろ出番がまわってくるのかある程度は読めるようになるかもしれませんが、今はまだずっと先だろうということしか分かりません。しかしくれぐれも準備は怠らないようにお願いします」

 言われなくとも闘技者の準備は万端で抜かりはなかった。今すぐにだって舞台に立てる。

 使者はなにか足りないものや、困っていることはないかと闘技者にたずねた。昨日までは顔を見せるだけでせいいっぱいの様子だったが、闘技者のことを気にかける余裕も出てきたらしい。

 闘技者はとくにないと言いながらも、部屋の外を出歩くときの手続きのわずらわしさに注文をつけ、闘技場の広さ、複雑さに文句をいい、その割に自分の寝泊まりしている部屋は狭く、ときどき息が詰まりそうになるのだが――とつけ加えた。

 使者は笑顔をみせながら、

「あなたのおっしゃることはごもっともです。わたしも毎日ここに来ていますが、それでも案内人なしにはどこへもたどり着けないでしょう。それほど闘技場は広く、複雑なのです。闘技場のなかであればお独りで出歩くことは禁止しておりませんが、おすすめはしません。迷子になるのは間違いないですからね。闘技場の内部がこれほど複雑なのは、かつて砦として用いられた名残りだともいわれていますがよく分かりません。あと、部屋の大きさについてですが、もしかするとあなたは闘技場の中でもいちばん小さな部屋をあてがわれたと思っていらっしゃるかもしれませんが、この部屋は――」

 と使者は部屋をはじめて紹介するときのように、さっと手を前にさし出した。それにつられて、闘技者もよく知っているはずの部屋をあらためて見渡した。

「この部屋は、闘技場の部屋としてはごく標準的な大きさです。いえ、標準よりもむしろ大きいぐらいです。なぜ闘技場の大きさにくらべてこれほど部屋が小さいのか、その理由については、闘技場の構造についてご説明しなければなりません。しかし、どう説明したらいいものやら――そうだ、その椀をご覧ください」

 と使者はテーブルの上に乗った椀を指さした。闘技者はさきほど食事を終えたばかりだったので、テーブルにはまだ食器が乗ったままだった。

「闘技場はちょうどその椀のようなかたちをしています」と使者はいった。

 使者と闘技者はかがみこんで、そのなんでもない木の椀を、なにか特別な物のように見合った。

「闘技場のいちばん低いところに舞台があります。丸くて平らでとても広い。この椀の底の部分です。その舞台を取り巻くように観客席があります。人が少なければ観客席は舞台と同じ高さでもかまわないのですが、それだと後ろの人は舞台がよく見えません。ですから観客席は後ろにいくにしたがってどんどんせりあがるように建てられるのです。それが椀のふちの立ち上りの部分にあたります。椀は木をくり抜いて作られていますから丈夫でふちをささえる必要はありませんが、闘技場は石の組み合わせでできているので、それをささえるためにたくさんの柱や壁が必要になります。そのたくさんの柱や壁のあいだに部屋が設けられ、倉庫や宿泊室として利用されているのです。いまわたしたちがいる部屋のようにですね。つまり、そうした構造的な問題で、このように小さな部屋と小さな窓しか作れないというわけなのです」

 心苦しいという顔をしながら、使者は説明をつづけた。

「ですからここよりも大きな部屋にはご案内できません。が、かわりといってはなんですけれど、ひとつおもしろい話をしましょう。おもしろいというよりも不思議な話です。ご存じのように、闘技場にはたくさんの部屋があります。具体的な数については機密事項なのでお教えできませんが、とにかく膨大な数です。闘技場は王室の管理下にありますから、数を正確に把握する必要があるのです。そこで歴代の王は、王位を継承するたびに闘技場にいくつの部屋があるのか、部下に命じて数えさせました。しかしその数というのが、毎回違うらしいのですね。具体的には、数えるたびに数百という単位で増えているというのです。これ、どう思われますか?」

「いや、どうといわれても……でもこれだけ複雑な建てものの部屋を調べるとなると、いくらか数え間違いがあってもおかしくないように思われますが」

 と闘技者は思ったことを口にした。

「あるいはそうかもしれません」と使者はうなずきながら、「しかしそのへんの小役人がいいかげんに調べたわけではなく、数字にめっぽう強いとびきり優秀な文官が調査した結果がそうなのです。その数字が百も二百も違うだなんてちょっと信じられません。わたしから見るとなんとも不思議な話です。不思議といえば、ほかにもこんな話もあります――」

 と使者は闘技者の注意をひくために指を一本立てた。

「これは知り合いの建築技士から聞いた話なのですが――なんというかその部屋の数がですね、闘技場の大きさにくらべてあまりに多すぎるというのです。もちろん闘技場は巨大な建てものですけれども、それでも計算してみるとその部屋数をおさめるには、仮に建てものの大きさが二倍であってもぜんぜん足りないというんですね。でもじっさいは、闘技場のなかにちゃんとそれだけの数の部屋がおさまっている。これもまた不思議な話です」

 使者が相手を楽しませようとして語った闘技場の部屋数についてのミステリーに、闘技者はあまり興味を惹かれなかった。なぜなら闘技者は武術以外のことにはほとんど無頓着だったし、彼の関心はそれとは別のところに向けられていたからだ。

「たいへんおもしろいお話です。ところでこれは闘技会とはあまり関係がないのですが、ひとつおききしてもよろしいでしょうか」

 と闘技者はたずねた。

「なんでしょう」

「つまりあなたのひげについてです。お忙しそうなのに、いつもきれいにみじかく整えられていますね。なにかコツのようなものがあるなら教えていただきたい。もし機密事項でなければ、ですが」

 と闘技者は話が真剣になりすぎないよう、冗談めかした口調でたずねた。闘技者がひげのことをたずねたのには、話題をそらすためという以外にも理由がある。というのも、闘技者は職業がら、髪もひげも伸ばさない。立会いのとき相手に掴まれないようにするためだ。

 しかしいっぽうで、それらを均等に短く維持するにはたいへんな手間がかかり、時間をとられる。もし使者がうまいやり方を知っているというのであれば、きかない手はないのだった。

「ああ、これのことですか」と使者はあごをさすりながら笑った。「これはですね、たねを明かせばどうということはありません。もちろんお教えしましょう。つまり櫛を何枚か重ねて、ひげの長さに合わせるのです。それを肌に当ててはみ出た部分を切れば、手早く整えられるというわけですよ。でもやっぱり面倒だから、わたしももうすこし伸ばしたいのですがね。王宮の決まりで許されません。その決まりというのは、地位が高くなればなるほどひげを長く伸ばせるというものでして――。つまりそうなっていれば、ぱっと見ただけでその人がどういった地位、立場にあるのかすぐに分かるというわけです。わたしなんかは下っ端なので、これ以上伸ばすことはできません。王宮にはそういった変な決まりごとがたくさんありますから、もしこの闘技会に勝ち上がって王宮勤めとなったら、あなたもいろいろと学ぶことが出てくるでしょう。そうだ、なんでしたらあなた用の櫛を作ってお持ちしましょうか」

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