【聖なる経済学】 贈与の世界②
訳者コメント:
ギフト(gift)という言葉にはいくつかの意味があって、まず贈与、与え・与えられる物のことですが、「才能」のこともギフトと言います。天才のことを「ギフテッド」と言いますが、これは神から才能を与えられた、天賦の才能を持った人ということです。
人はみな何らかの才能を持って生まれてきているのだと思います。人それぞれに受け取った才能は違うのですが、文明社会は標準化された部品を必要とするので、学校では才能を殺して良き部品になる教育が行われ、社会人となれば職務内容に規定されたこと以外をする自由を奪われます。それが生計を立てるためだから。
私は高校進学する頃に木工職人になりたいと思いました。美しい実用品を作ることに憧れていました。でも父親に全否定され「とにかく良い大学に行って良い会社に入れ」ということになり、技術者として就職しました。会社での仕事は「やりがいのある」部分もありましたが、本当はこんな物を作りたいわけじゃないと思っても、給料を得ている以上は上司の命令に背くわけにもいきませんでした。いくつも部署を代わりましたが、どこへ行ってもだいたい5年でそのような矛盾に突き当たりました。私のジグザグな経歴は、そんな状況から脱出しては引き戻されを繰り返した結果ですが、チャールズの著作を読んでいると、それにも意味があって、いまここに翻訳の活動をしていることに矛盾なく結び付いているのだと知ります。
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(①から続く)
経済学の教科書にあるような貨幣発生の従来の説明は、その出発点が物々交換だったとしています。最初から、競争する個人どうしが合理的な自己利益の最大化を追い求めるもの。この理想化された描写は、人類学に裏付けられたものではありません。モースによれば、物々交換はポリネシアでは稀であり、メラネシアでも稀であり、太平洋岸北西部では全く聞いたこともありませんでした。経済人類学者のジョージ・ダルトンも強く同意してこう書いています。「物々交換は、厳密な意味での貨幣なき交換であるが、確かな情報がある過去・現在のいかなる経済システムにおいても、量的に重要あるいは支配的な取引形態ではなかった」[8]。ダルトンによれば、物々交換が行われるのは些細な、まれな、あるいは緊急の取引に限られていたのであり、それは現代でも同じです。これらを除けば、お金によらない取引は経済学者の空想に描かれるような非個人的で最大効用を追求する取引とは似ても似つかないもので、むしろ「慣習によって認められ、互恵性を特徴とする永続的で(時に儀式化された)個人的関係を求める傾向があった」のです[9]。こうした取引は物々交換などではなく、儀式化された贈与交換と呼ぶべきです。
いま私たちは贈り物と購入品を別々の相容れないカテゴリーに分類しますし、確かにそれぞれ異なる経済原理と心理が働いています。しかし、遥か古代にはそのような二分法は存在せず、今日のようなビジネス上の関係と個人的関係という区別もありませんでした。経済学者たちが貨幣の歴史を語るとき、この現代の区別を過去に投影する傾向があって、それと一緒に人間性、自己、そして人生の目的に関する深い前提も押し付けます。つまり、我々は個別ばらばらの自己であり、希少な資源を巡って自己利益を最大化するために競い合う存在だという前提です。これらの前提が真実でないとは言いません。それらは私たちの文明を定義づけるイデオロギーの一部をなす〈人々の物語〉であり、それが今まさに終焉を迎えつつあるのです。本書は新たな〈人々の物語〉を紡ぐ作業の一端を担うものです。貨幣の変革は、自己と生命と世界についての全く異なる前提に基づく、より大きな変革の一部なのです。
人間の経済が宇宙論や宗教、精神からかけ離れたものになることはありません。贈与に基づいていたのは古代の経済だけではなく、古代の宇宙論や宗教もまたそうでした。今日においても、標準化・抽象化・匿名性という特性を備えた私たちのお金は、人間としての体験の他の多くの側面とつながっています。異なる種類の貨幣という文脈の中でなら、どのような新たな科学的・宗教的・心理学的パラダイムが生まれるでしょうか。
もしもお金の起源が、経済学者たちの想像したような利益の最大化をねらう計算ずくの物々交換の世界ではないのなら、いったいどのようにして生まれたのでしょうか。 人類学者のデヴィッド・グレーバーは著書『負債論: 貨幣と暴力の5000年』で、二つの起源について述べています[10]。その第一は「社会的貨幣」で、 人間関係の再構築(婚礼、葬儀、血の代金〔暴力被害者の家族に支払われる賠償金〕、その他の社会的式典)に使われる貴重な儀式用の品物でした。 このような貨幣が物品の売買に用いられることはなく、分業が発生し現在私たちが知る形の貨幣が必要となるより前から存在していました。
貨幣の第二の根源、そして商業に用いられるようになった第一の貨幣は、信用という形を取りました。それは共通の計算単位で表される取引や融資の証紙で、様々な産物の配給によって定期的に清算されました。これら二種類の貨幣が合体することで、年季奉公や奴隷制、女性の地位の引き下げといった悪行につながりましたが、人間関係が商取引と同じ貨幣によって仲介されるならありがちなことです。債務不履行に陥ったなら、あなたは財産を失うだけでなく、あなたの子供や、あなたの人格まで奪われるかもしれません。
グレーバーによれば、帳簿を持った男の後ろには、いつも銃を持った男がいるのです。債務関係は常に力関係であり、お金は常に負債と絡み合っていて、それゆえ暴力と絡み合っていたのであり、それは今も変わりません。
しかし、根本的には、お金は美しい概念です。この根本、つまりお金の(歴史的ではなく)精神的な本質を明らかにするため、ここで少し純朴な考えを述べさせてください。私が持っている物をあなたは求めていて、私はそれをあなたに与えたい。だから私は与え、あなたは感謝し、何かお返ししたいと望みます。でも今あなたは私に必要な物を何も持っていない。そこで代わりに私に与えるのは感謝の証し。貝殻ビーズの首飾りや銀貨のような役に立たないけれど美しいものです。その証しが示すのは「私は他の人々の必要を満たし感謝を得た」ということです。後になって、私が誰か別の人から贈り物を受け取ったとき、その証しを渡すのです。すると、贈り物は広大な社会の隔たりを超えて循環でき、私から何も与えることができないような人々からも受け取ることができると同時に、それらの贈り物が私の中に呼び起こす、感謝から行動したいという欲求を満たすことができるのです。
家族や氏族、あるいは狩猟採集民の集団というレベルなら、贈与経済を営むのに貨幣は必要ありません。数百人規模の村落や部族といった、一つ上の社会組織でも同様です。そこでは、私が今あなたから何も必要としていないのなら、あなたは(感謝の気持ちから)将来私が必要とするものを私に与えるか、そうでなければ他の誰かに与え、その誰かがまた別の誰かに与え、その誰かが私に与えることになります。これが「贈与の輪」であり、共同体の基盤です。部族や村では、社会の規模が十分に小さいため、私に与える者は私が他者に与えた贈り物のことも知っています。しかし私たちのような大衆社会ではこれが成り立ちません。私があなたに惜しみなく与えたとしても、私の生姜を育てたハワイの農家や、私の携帯電話のディスプレイを設計した日本の技術者にはそれを知る由もありません。そこで贈り物の個人的な認識に代わって、私たちはお金、つまり感謝の象徴を用いるのです。こうして贈り物に対する社会的な証言は匿名化されます。
私たちが個人的に知る人々の範囲を超えて贈り物を広げなければならない時、貨幣が必要となります。たとえば経済の規模と分業が部族や村落レベルを超える場合です。実際、最初の貨幣が現れたのは、新石器時代の村落を超えて発展した最初の農耕文明、つまりメソポタミア、エジプト、中国、インドでした。伝統的な分散型の贈与ネットワークは中央集権型の再分配システムへと取って代わられ、まず寺院、そして後に王宮がその中心となりました。おそらくこれらはポトラッチ式の伝統から進化したものと考えられ、そこでは贈り物が首長や指導者らに流れ込み、そこから彼らの親族や部族へ還流されました。これは大規模な贈与の流れを司る中央集権的な拠点として始まりましたが、まもなく貢献が強制的かつ定量化されたものになり、外部への分配が不平等になるにつれ、贈与の精神から急速に逸脱していきました。古代シュメールの文書にはすでに経済の二極化、富裕層と貧困層、そして生存最低限にも満たない賃金についての言及があります[11]。物資の流通は市場取引ではなく中央集権的な指令によって統制されていましたが[12]、初期の農耕的帝国では「貨幣」と呼べるようなものも使用されていました。標準化された計量単位を持つ農産物や金属商品が、交換媒体・計算単位・価値保存手段として機能したのです。つまり、すでに4千年前という時点で、貨幣は「贈り物と必要の結びつきを助けることで全員に豊かな繁栄をもたらす」という私の素朴な期待に応えられなくなっていたのです。
貿易を促進し、効率的な生産を促し、大規模事業を遂行するための資本蓄積を可能にすることで、貨幣は生活を豊かにするはずです。つまり、安楽、余暇、不安からの解放、そして富の公平な分配をもたらすはずです。実際、従来の経済理論はこれらがすべて実現すると予測します。しかし、貨幣が媒介したのは正反対もの、つまり不安、苦難、富の二極化だったという事実は、私たちに逆説を突きつけます。
技術、映画と交響楽団、通信技術と偉大な建築、国際都市と世界文学が存在する世界を実現するためには貨幣、あるいはそれに類するものが必要であり、広大な規模で人間の活動を調整し、こうしたものを生み出すための手段として必要なのです。そこで私は本書を執筆し、お金に贈与の神聖さを取り戻す制度を提示します。「取り戻す」と私が言うのは、お金には太古の昔から神聖とか魔法のような意味合いがあったからです。もともと、農耕の余剰生産物は寺院に貯蔵され再分配されていました。宗教生活の中心は経済生活の中心でもあったのです。一部の著者の主張によれば、最も初期の象徴的貨幣は(商品貨幣とは対照的に)寺院によって発行され、寺院の娼婦との神聖な性行為と引き換えることができました [13]。いずれにせよ、寺院が初期の硬貨発行に深く関与していたことは確かであり、それらの多くには神聖な動物や神々の像が刻まれていました。この慣行は今でも続いており、神格化された大統領の肖像が紙幣や硬貨に刻まれています。
おそらくいつの日か貨幣は不要になり、数十億人規模の人間による贈与経済が実現するでしょう。おそらく本書で述べる貨幣は過渡的な存在に過ぎないのです。私は「原始主義者」ではないので、文明や技術、文化、そして人を人たらしめる賜物を放棄すべきだなどとは主張しません。むしろ私が予見するのは、人類の神聖な地位を回復することであり、狩猟採集時代が持っていた自然との調和と全体性を備えつつ、より高度に組織化された存在になることです。手と心という賜物を放棄するのではなく、その真価を発揮してこそ、私たちは人になるのです。
私たち人間に固有の特質・才能を「賜物」と表現するのがいかに自然なことか、気付いてください。賜物の普遍的な原理に沿うように、私たち人間の賜物もまた、その〈与え主〉の性質を宿しています。言い換えれば、それらは天から与えられた神聖な賜物なのです。プロメテウスの与えた火の賜物からアポロンの与えた音楽の賜物、中国神話の〈神農〉が与えた農耕の賜物に至るまで、神話はこうした直観を裏付けています。聖書においても、私たちに与えられたのは世界だけでなく、命の息吹と創造する能力も授かったのです。なぜなら私たちは〈創造主〉自身の「似姿」として造られたからです。
個人のレベルでも、私たちは皆自分の才能が理由や目的を持って与えられたのだと感じています。さらに、その才能を伸ばし、それを使って自らの賜物を世界へ与えたいという抑えきれない欲求を抱いているのです。誰もが体験するのは、与える喜びや、見知らぬ人からの私心のない寛大さです。街で道を尋ねれば、ほとんどの人が喜んで時間を割いて助けてくれます。見知らぬ人に道案内をするのは、誰にとっても合理的な自己利益にはなりませんが、これは私たちが生まれ持つ寛大さの素直な表現なのです。
皮肉なことに、もともと贈り物と必要性を結びつける手段であり、神聖な贈与経済から派生したはずのお金が、今やまさに与えたいという私たちの欲求が花開くのを阻み、経済的な必要性からやる気の出ない仕事に縛り付け、「そんな余裕はない」という言葉で最も寛大な衝動を封じ込めているのです。私たちは至る所に存在する不安の中で生きています。それは命の糧として依存するお金の不足から生じるもので、「生活費(つまり生きることの費用)」という言葉がそれを裏付けています。私たちの存在意義である才能を発達させ十分に発揮しようにも、お金の必要、生計の維持、自身の生存が抵当に取られています。しかし、どんなに富裕で、堅実で、快適な生活を手にした人でも、才能という賜物を眠らせたままの人生に満足することは決してありません。最高給の仕事でさえ、才能を発揮できなければすぐに息苦しくなり、「私はこんなことをするために生まれてきたのではない」と悟るのです。
たとえその仕事が自分の才能を発揮するものであっても、その目的が自分の信じられるものでないならば、同じようなやる気の無さに襲われます。自分の人生を生きているのではなく、ただ金のために人生を生きているような感覚です。「やりがいがある」とか「面白い」だけでは不十分です。なぜなら、私たちの才能は神聖なものであり、それゆえ神聖な目的のためにこそあるからです。
私たちがこの地上にいるのは「何か」を成し遂げるためだという考えは、本質的に宗教的概念です。なぜなら従来の生物学の教えでは、我々が進化してきたのは生存のためであり、生存と繁殖以外の何かに向けた努力は遺伝的プログラムに反するからです。しかし、生物を無数の独立した個別の競争主体、つまり生命体や「利己的な遺伝子」の集合体とする見方は、自然の正確な理解というより、むしろ現代文化の投影に過ぎないという生命観の、説得力ある主張も可能です[14]。自然を理解する他の方法もあって、そこでは明らかな競争を無視しないものの、生命体間の協力や共生、より大きな全体への融合の方が重要だとします。この新たな理解は、実は非常に古く、自然を贈り物の網の目として捉える先住民の知恵に通じるものです。
あらゆる生物と種は、地球上の生命全体に不可欠な貢献を果たしていますが、標準的な進化生物学の予測に反して、この貢献がその生物自身に直接的な利益をもたらすとは限りません。窒素固定細菌はその窒素固定から直接的な利益を得ることはなく、土壌に与えた窒素が植物を育てて根を伸ばし、その根が菌類を育み、最終的に窒素固定細菌に栄養を供給するという連鎖を経るしかありません。先駆種は基幹種への道を開き、基幹種は他の種に微小ニッチを提供し、それらはさらに他の種を養いますが、この贈与の網は、最終的に先駆種へと利益をもたらすように循環します。樹木は水を吸い上げて他の植物に供給し、藻類は動物が呼吸できるように酸素を作ります。どれか一つでも生物を取り除けば、すべての生物の健全性が危うくなります。
「できるように」という私の論法を、あなたは幼稚だと思うかもしれません。あなたはこう言うかもしれません。物事がこれほどうまくいっているのは単に運が良かっただけだ。木々は周囲の植物に水をやることを気にかけてなんかいない。ただ自己利益のため、生存と繁殖の可能性を最大化するためにそうしているのだ。他の生き物を養うのは、意図しない副産物に過ぎない。藻類も、窒素固定細菌も、反芻動物の体内にあるセルロース消化細菌も同様だ。あなたはこう思うかもしれません。この世界は、各自が自分勝手に振る舞う場所なのだ。自然は熾烈な競争の場であり、経済がこれと同じなのも当然だ。
私はそれが当然だとは思いません。それは異常なのであり、特有で必然的な姿が極限に達した今、新たな姿に移行しつつあるのです。自然界において、猛烈な成長と全面的な競争は未成熟な生態系の特徴であり、その後に続いて複雑な相互依存、共生、協力、そして資源の循環が現れます。人間の経済活動の次の段階は、私たちが自然について理解し始めていることと似たものになるでしょう。それは私たち一人ひとりの才能を引き出し、競争よりも協力を重視し、蓄積よりも循環を促し、直線的ではなく循環的になるでしょう。お金はすぐには消えないかもしれませんが、その役割は縮小し、贈り物の性質をより多く帯びるようになるでしょう。経済は縮小し、私たちの生活は豊かになるのです。
私たちの知っている貨幣とは相容れないのが、贈与の精神を体現する経済であり、それは神聖な経済と呼べるものです。どのような貨幣が聖なる通貨となり得るかを理解するには、貨幣が今日の貪欲、悪、希少性、環境破壊を推し進める力になってしまう根本原因を正確に特定することが役立つでしょう。
科学がしばしば文化を自然に投影するように、経済学もまた文化によって決定された条件を自明のものとして扱います。私たちは希少性の文化の中に生きているため、それを経済学の基盤と思い込んでしまうのです。生物学と同じように、私たちは世界を限られた資源をめぐる個別の自己同士の競争だと見てきました。私たちの貨幣制度は、これから見ていくように、この信念を深い構造的なレベルで具体化しています。でもこの信念は真実でしょうか。私たちの生きている世界、宇宙の根本は、希少性なのでしょうか。もしそうでないなら、なぜそう見えるのでしょう。そしてもし宇宙の真の性質が豊穣と賜物であるならば、なぜお金はこれほど不自然なものになったのでしょうか。
注:
8. ダルトン[Dalton], 「Barter(物々交換)」p. 182.
9. シーフォード[Seaford], 『Money and the Early Greek Mind(貨幣と古代ギリシャ人の精神)』, 292.
10. グレーバー[Graeber],『Debt(負債論)』
11. ネメットネジャット[Nemat-Nejat], 『Daily Life in Ancient Mesopotamia(古代メソポタミアの日常生活)』, 263.
12. シーフォード[Seaford], 『Money and the Early Greek Mind(貨幣と古代ギリシャ人の精神)』, 123. シーフォードはこの主張を裏付ける説得力のある証拠を提示している。リスト形式の初期文書、供物を捧げる人々の行列を描いた美術作品などがあります。
13. ベルナール・リエターは著書『Future of Money(貨幣の未来)』において、紀元前3000年に遡る青銅製のシェケルが最古の貨幣であると主張しています。しかし私の調査では、この説を裏付ける他の文献は見つかっていません。私の知る限り、最古の貨幣は紀元前7世紀頃にリディアと中国でほぼ同時期に登場しました。
14. 『人類の上昇』第6章で要約するにあたり、リン・マーギュリス、ブルース・リプトン、フレッド・ホイル、エリザベス・サトゥーリスら研究者の成果を参照しました。
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原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-1-the-gift-world/
