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【聖なる経済学】 贈与経済への移行①

訳者コメント:
コミュニティの経済に貢献した人が、人々から信頼を得て贈り物を受け取る、というのが贈与(ギフト)経済です。経済への貢献度というのは、本当は数値化できないのですが、その代理指標の一つの形として、ユーザーレビューや評価が通貨と同じような働きをします。ここに、デジタル技術がギフト経済を仲介する可能性を垣間見ることができます。


第16章:贈与ギフト経済への移行

資本主義の下では、人間が人間を搾取する。
共産主義の下では、その正反対だ。
―ジョン・ケネス・ガルブレイス

経済とは何でしょうか。紙切れやコンピューターのデータといった、一見すると取るに足らないお金の裏側で、​​経済が成長したり縮小したりすると、何が変わるのでしょうか。共通の計算単位がない場合、どのように経済を測定すればよいのでしょうか。結局のところ、経済学が貨幣の裏側で測定しようとしているのは、人間が互いのために作り出し、行うすべてのことの総体なのです。

そもそもこれを測定しようとすること自体が、かなり奇妙なことです。私はすでに、経済学がお金と善を同一視することの全体に対して、突っ込んだ批判をしてきました。しかし、「真の進歩指標(GPI: Genuine Progress Indicator)」や国民幸福度指数といった経済進歩の代替指標も、より微妙なレベルで同様の問題を抱えています。確かに、これらはGDPよりは優れていますが、それは刑務所や軍備といったものを善へのプラスの貢献として数えず、余暇時間といったものを経済的幸福に加えているからです。それでもなお、これらの指標は、善を定量化でき、定量化すべきであり、そのためにはあらゆるものを標準的な測定単位に変換しなければならないという前提に基づいています。

確かに、お金と尺度は密接に結びついています。お金は実際、尺度として生まれたもの、つまり標準量の商品、そして金属です。貨幣の時代は、還元主義と客観主義の時代と重なり、科学を通して世界を支配しようとしました。測定できるものは支配できるという考え方を、私たちは「人の寸法を測るtake the measure of a man」(つまり、人物を見抜く)と言うとき暗に示しています。測定不可能なものは、デイヴィッド・ヒュームが「それを火に投げ込め」と言ったように、科学から排除され、経済学からも排除されました。こうして、「生活水準」が「生活の質」から乖離するようになったのです。前者は定量化可能な基準ですが、後者はそうではありません。

人間が互いのために作り行うあらゆるものごとの中で、人間の幸福に最も貢献するのは、数値化できないものなのです。例えば、余暇時間を数値化し、金銭的な価値を割り当てて社会の幸福度を計算することはできるでしょうが、その余暇時間はどのように使われているでしょうか。何かの依存に嵌まり込んだり、無意味な娯楽にふけったり、誰かと親密な時間を過ごしたり、子供に物語を語ったりするかもしれません。たとえこれらの違いを何らかの方法で考慮に入れたとしても、その人が語る話からどれだけその場に集中しているかを数値化できるでしょうか。仕事中にどれだけ不安を感じているかを数値化できるでしょうか。公共政策がGDPなどの何らかの指標を最大化するよう導かれるならば、いちばん重要なことは必ず見落とされてしまうでしょう。

数値化可能なニーズは、有限でもあります。これは、有限な資源で有限な需要を無限に成長させることを前提とした貨幣制度に、疑問を抱くもう一つの理由です。質的なニーズは、これと異なるものです。それらは数値化可能でも有限でもありません。〈上昇〉のイデオロギーが本当の精神的動機を見出すのが、まさにこの領域です。成長は、あるレベルで終焉を迎えるかもしれません。金銭化された領域の成長、人間が私有する自然の領域の成長は終わるでしょう。しかし、別の種類の発展は続きます。美しさ、愛、繋がり、そして知識への無限のニーズを持つ人間の精神の成長です。ゼロ成長の未来は停滞した未来ではありません。16歳で身長の伸びが止まったからといって、人間の人生が停滞するわけではないのと同じです。

お金は数値化可能なニーズを満たせるようにしてくれますが、今後何世紀にもわたって人間の生活に重要な位置を占めるでしょう。しかし、私が第13章で述べたように、その役割は縮小していきます。有限なニーズを取り憑かれたように満たし、さらに過剰に満たそうとするあまり、現在のような常識外れの肥大化状態を作り出すのをやめにして、私たちのエネルギーを満たされぬ質的なニーズに注ぎ、今日私たちを貧困に陥れている原因を取り除くのです。

数値化できないニーズを満たすためには、お金によらないな循環が必要です。質的なものと量的なもの、無限と有限が結びつくと、前者は価値を失います。美をお金に、親密さをお金に、注目をお金に交換するなら、すべて売春の臭いがします。芸術家が商業の世界を嫌うのは、自分がそれを超越しているという単なる自惚うぬぼれではありません。お金で美しさ、愛、知識、繋がりなどを買おうとすると、買い手が偽物をつかまされるか、売り手が無限に貴重なものを有限の金額で売ったという点で搾取されるかのどちらかです。実に単純なことです。ビートルズが歌ったように、「お金で愛は買えない」のです。

だからこそ、贈り物が循環するための別の方法が必要なのです。しかし、数値化できるものが、しばしば数値化できないものの媒体となるという事実が、問題を複雑にしています。私は、お金と贈り物ギフトという二つの領域を切り離せと言っているのではなく、むしろ、お金が贈り物の性質をより多く帯び、贈与の媒介構造がお金の役割を引き継ぐような混じり合った制度を提唱しているのです。

お金が関わるか否かにかかわらず、経済の根本的な問題、すなわち人々が互いのために何を作り、何をするかという問題は、次の3点に集約されます。(1)贈り物ギフトの提供者とそれを必要とする人をどのように結びつけるか、(2)惜しみなく贈り物ギフトを与えてくれる人をどのように認め、称えるか、(3)多くの人々の贈り物ギフトを、空間と時間を超えてどのように調整し、個々人のニーズや贈り物ギフトを超越するものを創造するか。一見分かりにくいかもしれませんが、これらの目標は、交換手段、計算単位、価値貯蔵手段という、貨幣の3つの主要な機能にほぼ対応しています。

今日、これら3つの目標を達成するための、準金銭的手段と非金銭的手段が数多く登場しています。例えばオープンソースソフトウェアの世界では、プログラマーのコミュニティが、P2P技術によってプロジェクトを構想し、持てる才能を調整し、メンバーの貢献を認め合うことが、金銭を使わずに可能になります。ある意味では、過去の貢献の質と量に基づく仲間からの評価は一種の「通貨」とも言えるもので、それによって一部のメンバーが他のメンバーよりもグループの意思決定に大きな影響力を行使できるのです。しかしそれは数値化されたものではなく、またその本質を失わずに数値化することもできません。評価や名声を数値に落とし込むことはできますが、実際には矮小化なのだということを認識すべきです。それは、アナログ録音をデジタル形式に変換すると、元の録音が持つ温かさ、人間味、そして無限性が失われてしまうのと同じです。

実際、多くのオンラインシステムでは、評判や貢献度を数値に変換しています。アマゾンやAirbnbエアビーアンドビーのようなウェブサイトのユーザー評価システムは、そうした準通貨の一例です。ユーザーは商品を評価・レビューできるだけでなく、互いの評価を評価することもでき、自己規制システムが構築されています。この仕組みは本質的には贈与ギフト経済なのですが(レビューを書いても直接的な報酬は得られません)、お金の持つ仲介機能に匹敵する構造へと進化しつつあります。

過去10年間で、多くの「ギフティング・プラットフォーム」が開発され、オンラインで贈り物ギフトとニーズをつないでいます。私が最初に知ったのは、ティモシー・ウィルケンが開発した、GIFTegrityギフテグリティと呼ばれるシステムです。このシステムでは、各メンバーが自分の贈りたいものと受け取りたいものをリストアップしたプロフィールを作成する必要があります。贈り物を受け取った人はその取引を評価し、この評価によって、贈り物の受け取り候補がリストに表示される順番が決まります。あなたがたくさん贈ったなら、贈り物の受け取り手を探している人が検索した際に、あなたの名前が上位に表示されます。その後、贈り物を受け取ると、贈与と受領のバランスが取れてきたことを反映して、評価が少し下がります。これらの評価ポイントは、お金と非常によく似た働きをします。

②に続く


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原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-16-transition-to-gift-economy/


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