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【聖なる経済学】 ニーズの創出②

訳者コメント:
名詞のgoodは、グッズというカタカナ語として定着していますが、この意味での訳語は商品、経済用語では財です。しかし言葉の原義としては「善」で、ここにチャールズが主張する「お金=善」という方程式が隠れています。お金は定量化の典型なので、質的なニーズはここから取りこぼされ、満たされないまま残ります。金銭世界の膨張が指し示す先は暗澹たるものですが、お金にしかできない働きがあります。それは全人類の共同作業を可能にすることです。


①から続く

経済が成長するためには、貨幣で表された商品やサービスの領域も拡大しなければなりません。貨幣が満たす私たちのニーズはますます増大する必要があるのです。国内総生産(GDP)の定義とは、結局のところ一国が生産する商品とサービスの総和です。貨幣と交換されるものだけが集計されるのです。

もし私があなたのお子さんを無料で子守りしたとしても、経済学者はそれをサービスとはみなさず、GDPにも加算しません。それを借金の返済に充てることはできませんし、スーパーに行って「今朝、近所の子どもの面倒を見たので、食べ物をください」と言うこともできません。しかし私が託児所を開いて料金を請求すれば、「サービス」を生み出したことになります。GDPは上昇し、経済学者によれば、社会は豊かになったことになります。私は経済を成長させ、世界の善のレベルを高めたのです。「善」とは財であり、お金を払って手に入れるものです。お金=善。これが、私たちの時代の方程式なのです。

もし私が森林を伐採して木材を売っても、同じことが言えます。木がまだ立っていて人の手が届かない状態なら、それは財ではありません。私が伐採道路を建設し、労働者を雇い、木を伐採し、買い手に運んで初めて「善きもの」となるのです。森林を商品である木材に変えることで、GDPは上昇します。同じように、私が新しい歌を作って無料で共有しても、GDPは上昇せず、社会が豊かになったとはみなされませんが、著作権を取得して販売すれば、それは財となります。あるいは、薬草やシャーマニズムの技法を用いて治療を行う伝統的な社会を私が見つけ、彼らの文化を破壊し、購入しなければならない医薬品に依存させ、自給自足の農業ができないように土地から追い出して食料を買わざるを得ないようにし、彼らの土地を更地にしてバナナ農園で働かせれば、私は世界を豊かにしたことになるのです。私は様々な仕事、関係性、天然資源を貨幣の領域に持ち込んだのです。

誰かがかつて贈り物ギフトと​​して受け取ったり、自分でやっていたりしたことにお金を支払うたび、世界の「善」のレベルは上昇します。木が伐採されて紙になるたび、アイデアが収集されて知的財産になるたび、想像の世界を創り出す代わりにビデオゲームをする子供が増えるたび、人間関係が有償サービスに変わるたび、自然、文化、魂、社会の共有財産が少しずつ枯渇し、お金に換えられていくのです。

確かに、保育士が30人以上の子どもの世話をする方が、大勢の専業主婦(夫)たちが自分で世話をするよりも、労働時間で考えると効率的であることは事実です。また、100エーカー〔約40ヘクタール〕の畑を超大型トラクターと農薬を使って耕作する方が、同じ量の食料を100の小さな農地に手作業で育てるよりも効率的です。しかし、こうした効率化はすべて、私たちに余暇を増やしたり、根本的に新しいニーズを満たしたりしたわけではありません。効率化は結局、古いニーズを満たす方法を際限なく無節操に高度化させるだけで、最終的には、ほとんど着ることなくゴミとして埋め立てられる服や靴でクローゼットがいっぱいになるという極端な状況に陥るのです。

お金が満たすのに最も適しているのは、量的なニーズです。商品やサービスの質的な側面は、市場関係には簡単に適合しません。価格を決めるには、「いくら?」と問わなければなりません。愛、親密さ、美しさ、あるいは思いやりといった質的なものに値段交渉するのは不条理です。価格を倍にしたら、もっと私を愛してくれるでしょうか。せいぜい愛の代理物、つまり私を愛する人の行動を模倣した行為を提供することしかできません。それらは具体的に規定し、数値化できるものです。貨幣の成長は、それが支配しうるあらゆるものの成長、すなわち量的世界の拡大を伴います。それゆえ、現代社会は測定できるものの無節操な(しかし不平等に分配された)過剰で溢れかえり、それに呼応して、測定できないものの貧困に苛まれているのです。

人間の欲求には限界があるという事実が、産業革命の初期から資本主義にとって問題となっていました。その解決策の一つは、新たなニーズを創出し、物質的な生産を、満たされていない質的なニーズという「ブラックホール」へと吸い込むことでした。この解決策は、まず繊維産業において現れました。そもそも、一人の人間が本当に必要とする衣服の数はどれくらいでしょうか。迫りくる過剰生産の危機に対する解決策は、人々を操って衣服へのニーズを過剰に満たさせることでした。そこで登場したのがファッション産業です。この産業は、驚くほど意識的かつ皮肉なやり方で、おしゃれになりたいと望む人々に流行を追いかけるよう促しました。人々がこれを受け入れた理由の一つは、衣服があらゆる文化において特別な位置を占め、神聖なもの、喜びに満ちたもの、厳粛なもの、遊び心のあるものなど、様々なニーズを満たし、社会的アイデンティティへのより深い欲求に大きく貢献しているからです。身体を飾ることは、食べ物にスパイスを加えるのと同じくらい自然なことです。重要なのは、何も新たなニーズが満たされていないということです。ますます多くの生産が、同じニーズを満たすために費やされ、際限なく高度化し続けていくのです。

さらに、繊維製品の大量生産をもたらした同じ工業化は、社会崩壊も引き起こし、伝統的なコミュニティを崩壊させ、人々はファッション産業の影響を受けやすくなりました。この点については、『人類の上昇』の中で、より広い文脈で論じています。

それまで孤立していた文化に消費主義を導入するには、まずそのアイデンティティの感覚を破壊する必要があるのです。これがその方法です。外部から消費財を導入して互恵関係のネットワークを破壊せよ。魅惑的な西洋のイメージで自尊心をげ。布教活動と科学教育で神話をいやしめよ。外部のカリキュラムを使う学校教育を導入して土着の知識を受け継ぐ伝統的な方法を解体せよ。その学校では英語などの国家言語や国際言語で教育して土着の言語を破壊せよ。安い食料を輸入し地域農業が成り立たぬようにして土地との繋がりを切り捨てよ。そうすれば正しいスニーカーを渇望する人民を作り出せるのだ。

あるニーズが概ね満たされた時に生じる過剰生産の危機は、それを別のニーズに、通常は質的なニーズへと転嫁することで解決されます。アイデンティティと帰属へのニーズを満たすのに、何足のスニーカーがあれば良いのでしょう。尊敬へのニーズを満たすのに、何台のスポーツカーや、どれほど大きな家があれば良いのでしょう。自分の限界に挑戦したいというニーズを満たすのに、どれだけの異国情緒豊かな休暇が必要でしょう。心を込めて作られた真に美しい品々へのニーズを満たすのに、どれだけの大量生産品があれば良いのでしょう。無限の個数、まさにそれだけの数です。そして、それはビジネスにとって良いことです。

別の見方をすれば、自然、社会、文化、そして魂の共有財産が次々と所有物やお金へと転換されていくということです。衣服作りの社会資本(すなわち、技能や伝統、そしてそれらを伝承する手段)が商品化され、貨幣経済の外で衣服を作る人がいなくなると、今度はアイデンティティを支える他の社会構造を破壊して、さらに多くの衣服を売る時が来ます。アイデンティティは商品となり、衣服やその他の消費財はその代理物となるのです。

贈り物の社会生態系、つまり互いのニーズを満たす共有された技能、慣習、社会構造は、自然生態系やその根底にある大地と同じように豊かな富の源泉であり、同じくらい多くの宝の鉱脈を秘めています。問題は、こうしたあらゆる形態の共有資本が掘り尽くされたとき、何が起こるかということです。シーフードに加工する魚がなくなり、紙を作る森林がなくなり、コーンシロップにする土壌がなくなり、人々が互いに無償で行うことが何もなくなったとき、何が起こるでしょうか。

私たちにはこのような未来が運命づけられているのでしょうか。なぜ私たちは成長し続けなければならないのでしょうか。すべてのニーズがますます効率的に満たされるのであれば、なぜ労働時間を減らせないのでしょうか。なぜ約束された余暇の時代は到来しないのでしょうか。これから見ていくように、現在の貨幣制度の下では、それは決して訪れないのです。私たちが受け継いだ貨幣制度は、いつも私たちに余暇より成長を選ぶよう強いるのです。

お金が、これまで本当に満たされることのなかったニーズを一つ、本当に満たしたと言えるものがあります。すなわち人類が数百万、数十億人という規模で成長し、活動していく必要性です。食料、音楽、物語、医薬品などに対する私たちのニーズは、石器時代と比べて満たされているとは言えないかもしれませんが、私たちが初めて手にしたのは、世界中で何百万もの専門家が共同作業しなければできないものを創り出す能力です。お金が促したのは、70億個の細胞からなる超人類メタヒューマン有機体、つまり人類の集合体の発達です。それはシグナル伝達分子のようなもので、個人や組織の貢献を、より小さな集団では決して達成できない目的に向けて調整する役割を果たします。お金が生み出し、あるいは個人的なニーズから標準的で無個性なものへと移行させたあらゆるニーズは、この有機体の発達の一部だったのです。ファッション業界でさえこの発達の一端を担い、広大な社会的距離を超えてアイデンティティと帰属意識を生み出す手段となりました。

多細胞生物のように、人類という集合的存在は、器官、サブシステム、そしてそれらを調整するための手段を必要とします。貨幣は、象徴文化、通信技術、教育などとともに、これらの発達に大きく貢献してきました。それはまた成長ホルモンのように、成長を刺激し、その成長の発現を調節する役割も果たしてきました。今日、私たちは成長の限界に達し、人類の幼少期が終わろうとしているようです。私たちの器官はすべて完全に形成されました。器官の中にはその役割を終え、痕跡器官へと退化するものもあるでしょう。私たちは成熟期に達しようとしています。おそらく私たちは、数十億人の新たな創造力を、成熟した目的に向けようとしているのです。従って、おそらく私たちに必要なのは、これまでとは異なる種類の貨幣であり、極めて複雑な超人類メタヒューマンという有機体を調整し続けるとともに、もはや成長を強要することのない貨幣です。


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原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-5-the-corpse-of-the-commons/

翻訳メモ:
function:社会の中の役割という意味では「職務」ですが、お金をもらってするプロではないので「仕事」としました。
elaboration:入念に作ること、精緻化。ここでは機械化農業とファッションについて、行き過ぎた「高度化」と訳しました。


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