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父  黒木茂雄

こんにちは。

私事ですが、尊敬する父、黒木茂雄が5月24日に永眠しました。

永眠してから、Xなどの投稿で、訳あって本まぐろ脳天、たくさん仕入れています!という投稿をしたのは、この為だったのです。

今、黒木が脳天を提供出来ているのはnoteの投稿にも書いてありますが、親父の仕入れる、インドまぐろの脳天を食べていた事があるからでした。


親父が永眠してからは、49日までは絶対に仕入れを切らさず、本まぐろ脳天を、お客様がお召し上がりになられている風景を、親父に見せたかったので、仕入れも頑張りました。

49日の7月11日は沢山の本まぐろの脳天を仕入れて、Xや Instagramでも、告知しましたら、なんと1日で48食も召し上がっていただき、本当にありがとうございました。


ラーメン屋なのに、こんなに沢山の魚の限定麺や、ご飯物を提供できるのは、魚屋の息子として生まれた、私の誇りです!

親父は本当に魚を愛していました。

肺癌を患っていましたが、怪しいと言われても相変わらずタバコは吸っていました(笑)

本当にやばいですよ!とお医者様に言われて、嫌々やめたほど、愛煙家で我が道を行くバカ親父でした。
指でタバコの火を消す凄指の親父(笑)

母、兄弟みんな、あれだけタバコ吸ってれば肺癌にもなるよな!と皆んな笑っている、そんな黒木家です😅

そんな親父が5月に入り、身体の調子が悪くなり、病院に行くとすぐ入院してくださいと。

少し痴呆も始まっていて、母のことを妹の名前で呼んだりと(笑)

それでも面会に行って、その時、限定で使用していた、ヒラマサの画像を見せると、「素晴らしいヒラマサだね〜!ヒラマサ、塩焼きが好きなんだよな〜食べたいな〜」と魚の画像を見るとイキイキと話していました!
本当にこの人は、魚一筋な人なんだなーと、その時つくづく感じました。

次の週に面会に行った時、一言目が
「直、この病院経営してるんだろ!」
と(笑)

いやいや俺はラーメン屋だよ!

と…

身体の具合も良くなり、入院中に痴呆が進んでしまったらしく、歩くのもままならない状態になってしまったので、早目の退院を速されたので、家に帰る時の準備(介護ベッドなど)をして退院しました。

オムツを変える時も、弟が母と一緒に大変だったらしいです。

入院中もビール!ビール!と言っていて、いま病院だからダメだよ!
ちゃんと歩いて、1人でトイレ行ったり、ご飯をしっかり食べないと、家に帰れないから、ちゃんとしなよ!と黒木が言うと、

「直、上手い事言うようになったなー」と(笑)

とにかく病院のごはんが不味かったらしく、何回も何回も、不味いんだよね〜、いや〜不味いんだよね〜と(笑)

黒木も介護用の椅子を買って、実家に送りました。


退院して5/22に退院して、次の日5/23はその椅子でご飯を食べたらしいです。

5/24店で仕込みをしていると、妹から電話があり、親父が亡くなったと…

そのまま実家に直行して、寝ている親父に会いに行きました。

現実は受け止めづらい物ですね…

親父は必ず握手するのですが、先週会いに行った時も、その握手は力強く、87歳の力じゃないよな〜なんて思っていたのですが…


退院して2日目で亡くなってしまったのですが、亡くなる前の朝に
「お母さん、ビールちょうだい!」

と大きな声でお母さん!と呼んだらしいです!

母も、「なーにーちゃんと話せるじゃない!」なんて言って、ビールを渡して買い物に行っている途中で、亡くなったみたいです。

最後に母にしっかり話したかったのかな。

その朝、弟にも大きな声で
「秀ありがとね!」
と話したと聞きました。

最後にビール飲めて、良かったねーと、亡くなったその夜に、家族で笑いながら親父の色々な話しを、当然ビールを飲みながら話しました!

黒木は18歳で家を出て、板前として働いていたので、親父と過ごす時間は家族で1番短い期間でした。

その後、板前時代、築地の仕入れ担当になってからは、親父ともたまにすれ違い、お互い右手を上げて無言で挨拶をして…

親父の仕入れる素晴らしい魚を、毎日見て勉強する事もでき、魚屋の息子として、親父と魚の話も出来るようになりました。

亡くなってまだ時間がそんなに過ぎていないのに、笑いながら話せる家族、自分の家ながら、素敵な家族だなーと(笑)
その話の中で、親父の事で知らない事が沢山出てきてびっくりでした(笑)
親父は寡黙で、不器用で、一本気な、昔の日本の男だと思います。
それでも沢山のお客様に愛され、黒木商店は3人の子供を育ててくれました!

入院中に、退院したら、本まぐろ脳天食べながらビール飲もう!と言ったら、いいねー!と笑いながら言っていた親父。

親父に食べさせられなかったので、火葬する時、脳天差し入れしました(笑)

最高な本まぐろ脳天でした!
87歳、長生きした方だと思います!

魚屋の息子として生まれて良かったなーと、本当に思います。

これからも、親父の魚屋の血が流れている事に感謝し、色々な魚を扱っていきたいと思います。

今回は私事で長々とすみませんでした。

全盛期よりやっぱりヨボヨボだけどこの時の握手は一生忘れないと思う🤝

それではまた!

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