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ニューディールのころ

前回、グリーン・ニューディールについて書かせていただきました。それは約1世紀前に行われたニューディールの再生でもあります。

グリーン・ニューディールの記事を考えているときに、たまたまニューディールに関わる文を読んだので、そちらに寄り道してみたいと思います。

 友人の心くばりで、「わが家の楽園」という昔の映画をDVDで見ることができた。このまえ見たのは六〇年あまり前で、一八歳のときだった。
 いくらお金を貯めても、死の向こうまではもってゆけないというのが、この映画の説くところで、そのメッセージは私の中に生きている。原題は「それをむこうまでもってゆくことはできない」。・・・
 当時の米国は、ニュー・ディールの初期にあり、このメッセージをかかげてまっすぐに貧困と取り組む国家があった。

『ちいさな理想』 鶴見俊輔

このころ私は、不況にまきこまれて財産を失った一家に下宿させてもらい、生活を共にした。彼らが小さい一間に満員になるお茶の会を開く品格に心を打たれた。私の接触したアメリカは、「それをむこうまでもってゆくことはできない」にあり

同書

それをむこうまでもってゆくことはできない(You can't take it with you.)という精神が約1世紀前のアメリカにあり、鶴見はそれを深く感じ取っていたようです。

僕はソローを思い出しました。若くして亡くなる兄を看取った彼は、それをむこうまでもってゆくことはできないことを知り、生き方を新しくし、その息吹を未来、多くの人に伝えました。

では、どんな映画だろう?きっと面白いに違いないと思い、観てみました。

とても面白かったです。最後は嬉しくて少し涙が出ました。シンプルなお話です。お金や地位・名誉に執着する側と、自分の生き方にこだわりぬく側と2つに分かれ、その子ども・孫があいだを行ったり来たりするストーリーでした。

ただ僕は、どちらか一方に与するあるいは就く気が起こりませんでした。成長社会下で脱成長社会における教育を考えていく場合、両側の見方をもつことが求められると実感しているためです。これまでの文脈で言えば、お金といのちどっちが大事なの?と問われ、もちろんいのちが大事だけど、お金だって必要だよねという考えです。

今は巨大な曲がり角にあり、個人として片側に就くことは可能ですが、家庭の少なくない役割を担うことを考えれば、一方に寄るのは結果、子どもの未来の幅をせばめたり、自由を奪ったりするようにも感じられます。次回、このあたりをもう少しだけ掘り下げて書いてみたいなと思います。

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