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隆尋のバイオグラフィーとアーティストステートメント

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ライティング・アート実績まとめ(ポートフォリオ)

(エッセイ・ZINE制作記録・美術に関する考察などをまとめています)


隆尋(たかひろ)


抽象画家・言葉の表現者。
愛知県立芸術大学卒業。福岡県を拠点に、絵画とZINE・エッセイなどを通じて、感覚や内面をかたちにする表現を追求している。

「描く」と「書く」の両輪で、見る人の“こころの奥”に語りかけるような表現を目指しています。

現在はnoteでアートエッセイやZINE制作記録を公開しながら、各種メディアでの寄稿・執筆も行っています。

バイオグラフィー

隆尋(河野隆尋)は、1962年2月、福岡県大牟田市に生まれた。

地方公務員の長男として生まれた彼は、幼い頃から外で遊ぶより家の中にいる方が好きな子どもであった。

そして彼は、絵を描くのが好きな子どもであった。

小、中学生の頃の彼は、夜になるとベッドの枕元に明かりをともし、ノートに創作のロボットなどを描いていたが、母親が部屋に入ってくると、それをすぐに布団の中に隠していた。

母は、「描いてもいいのよ」と言ってくれたが、彼のその癖は高校生になるまで治らなかった。

友人たちの間では、漫画のキャラクターを真似て描いては人氣を得ていた。

中学生になると、彼は漫画家を目指すようになった。

そして、高校に入学して、漫画同好会が入っている美術部に、彼の友人に誘われて入部した。

そこで漫画家の道から離れて、アートを志すようになる。

なぜなら、彼が本格的に油絵やデッサンに触れて、自分の画才に覚醒めたからである。

彼は芸術大学を目指すことになる。

しかし、最初の受験に失敗したあと、東京で浪人をして、芸術大学に合格した。

そこで彼は、ラグビーやロックバンドの活動に夢中になるが、自分の絵のスタイルは卒業するまで確立しないまま、それでも満足できる卒業制作を描き切った。

その後、急激に創作意欲が失せてしまい、大学院進学に失敗する。

そして一年留年したあと、絵画に挫折してサラリーマンとして働くことになった。

彼のサラリーマン生活は苦難の連続であった。

うまくいっていた会社では、働きすぎによる過労でダウンしたり、いろんな職業を経験するも、何故か人と馴染めなかったり、そもそも仕事についていけなかったりした。

そして、35歳を迎えたある日、ふとした時に抽象画のイメージが降りてきて、それ以降彼はサラリーマンをやりながら絵を描き続けた。

40歳くらいになった頃、ニューヨークはセーラム・ギャラリーで個展を開くも、その後の彼の知名度は上がらないままであった。

そして、一時は生活保護を受けるまで身を落としたが、2020年の9月に東峰村という所に移り住んで、彼の天才が開花した。

彼の現在の作品の迫力とスピード感は凄まじいものである。

彼が高校一年生のときに立てた志は以下のようなものであった。

「わたしは人類屈指のアーティストになり、人々を感動させる真のアートを描くのだ」

彼は現在、それに向って邁進中である。

アーティストステートメント

描くことは、わたしにとって“外側の世界に内側を差し出す”行為です。
それは技術ではなく、心の内圧のようなもの。

わたしの絵は、いつも言葉にならなかった想いとともに生まれてきます。
最近では、その「言葉にならなかったもの」に真正面から向き合い、文字として表現する試みも始めました。

絵とことば、そのどちらもが、世界と自分をつなぐ小さな橋になると信じています。

わたしは宇宙から降りてくる無形のイメージを画面に描き出す抽象画家です。

わたしは幼い頃からおとなしく、外で遊ぶよりは家の中で本を読んだり絵を描いたりするのが好きな子供でした。

アカデミーで油絵を學んだ当時、わたしは主に人物画を描いていました。

卒業後長いスランプのあと、35歳頃から突然平面の中に抽象的な形態を生み出せるようになり、自然と抽象画を描くようになりました。

目に見える具体的な形に縛られることなく思うままの形と色を生み出すことはとても楽しいことです。

35歳の当時は日本の文字を書くための道具である「筆ペン(ぺんてる社製)」を、通常の使い方ではなく絵の具を塗るときのように画面に向かって寝かせて描いて、それに鉛筆やマーカー、パステルなどを合わせた、白を基調にした絵を描いていました。

それから段々と大きな紙にアクリル絵の具で描くようになり、2020年の9月半ばになって、キャンバスに油彩と、和紙やポストカードに鉛筆のドローイングが中心になりました。

わたしの絵は複雑なテクニックなどはなく、画面にダイレクトに筆を走らせる事により、直接人の感情に訴えることができると思っています。

わたしは絵を描き、その絵が一人でも多くの人々に伝わることで、一人ひとりが心に持っている躍動のエネルギーを呼び覚まして、その感動から日常の生活に還り、健やかで元氣な状態で過ごしていけるようになることを目的としています。

造形美の中の魂

人間がこの世に生を受けて、初めて己が手に、何がしか痕跡の残るものを持って、目の前のもの(壁なり床なり紙なり)に「描く」時、いきなり人の顔など描くはずはなく、ただ「線」が残るのを知ったくらいのものだったはずです。
そんな原初的な行為が、たまたまわたしの藝術表現にふさわしかっただけのようです。
​で、それに近い仕事をやっていた先人たちが、デ・クーニングやマザウェルやトゥオンブリーなどの「抽象表現主義」の画家たちでありました。
​なので、特別わたしが変わったことを始めたわけでは(悔しいかな)無いのです。
​身体の運動の軌跡が、要するにわたしの藝術です。
​藝術と子どもの絵を分けるもの、知性、自我、修練など、絵を見ればすぐにわかると思いますが、何かしらこんがらがって考える人たちがいらっしゃるので、蛇足ながら付け加えておきます。
​更には情緒性、詩、ユーモアなど、感じていただけたら、わたしがこの世に生まれた甲斐があったと思うことができます。 


📚 シリーズ記事:美術館の楽しみ方シリーズ
👉 note.com/takahiro_art/m/ma26d07e69c8f

🖼 ポートフォリオ(作品一覧)
👉 Behance.net/takahiro9

✍️ 自己紹介記事
👉 note.com/takahiro_art/n/n32ae26b1efe6

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