「ただ頑張ります」では育たない——JMACと取り組んだ若手育成活動と、経営・役職者のバックアップが不可欠だった理由|SEとして歩んだ30年を振り返る⑪-3
「エンジニアが忙しいのは分かっている。でも、何にどれだけ忙しいのか、誰にも見えていない」
この言葉が、技術部時代のある大きな仕事の出発点だった。
今から振り返ると、この活動がうまくいった理由は一つに集約される。経営トップと役職者が、本気でバックアップしたかどうか——それだけだ。コンサルタントの手法がどれだけ優れていても、その条件がなければ機能しなかったと確信している。
きっかけは、社長からのトップダウン指示
この活動は、私が自分から始めたわけではない。
社長から技術部長へのトップダウン指示がきっかけだった。
当時の社長は、QC活動や生産管理に精通した人物で、新しい手法を会社に積極的に導入することで知られていた。その社長が「技術経営活動をやれ」と言ってきた。正直に言うと、QC活動といったものには苦手意識があった。「拳を振り上げて叫ぶ」ような、どこか体育会系の雰囲気が肌に合わなかった。
しかし、ちょうど同じ頃、若手エンジニアの育成に困っているプロジェクトがあった。それが、この活動の実際のターゲットになった。
こうして、JMACのコンサルタントと一緒に技術KI活動を始めることになった。
製造業の手法を、ソフトウェア業界に初めて持ち込む
JMACの技術経営活動は、もともと製造業のエンジニアを対象にした手法だった。
ソフトウェア業界に導入したのは、当社が初めてだったという。製造業の「IE(インダストリアル・エンジニアリング)の目線」をソフトウェア開発の現場に適用するという、前例のない挑戦だった。
対象となったプロジェクトには固有の事情があった。
大規模な新規開発を終えたプロジェクトで、開発に携わったベテランエンジニアたちは他の仕事に異動していた。残ったのは若手中心のチーム——完成したシステムの保守を担う、経験の浅いSEたちだった。
「技術の継承ができていない」「若手が育たない」「何をどう教えればいいか分からない」——そういう状況のプロジェクトだった。
活動の骨格——月1回の発表会とYWT
活動の柱の一つは、月に1回の発表会だった。
「悪魔のサイクル」「天使のサイクル」といった概念を使いながら、チームの状態を診断し、改善の方向を語る。4〜5人のチームに分かれ、リーダーを中心に活動の成果を発表する。
発表会では、参加者が大きな声で拳を振り上げながら叫ぶシーンもあった。製造業のQC活動からそのまま持ち込まれた「ノリ」は、ソフトウェアエンジニアには正直、かなり抵抗感のある文化だった。
チーム活動のフレームワークは、YWT——「やったこと、わかったこと、次にやること」というシンプルな3つの問いだ。難しい言葉は使わない。仕事の「見える化」を、この3つで回していく。
活動全体は「チケット活動」という名前で運営された。成果を可視化し、前向きな姿勢で取り組むことをチーム全体に促す仕組みだった。
発表会の後の個別面談——「ただ頑張ります」から抜け出すために
発表会と並んで、もう一つの重要な活動があった。
月に1回の発表会の後、若手メンバー一人一人と個別に面談をする。
面談の場には、JMACのコンサルタント、当該プロジェクトの部長・役職者、そして技術部としてアドバイザーの私が参加した。
面談の場で出てくる言葉は、発表会では聞けないものだった。
「この活動、正直しんどいです」
「先輩がいなくなって、誰に聞けばいいか分からない」
「自分がちゃんとやれているか、全然自信がない」
「誰にも言えなかったんですが……」
場合によっては、泣き出すメンバーもいた。
20代前半の若いエンジニアが、誰にも言えなかった不安やプレッシャーを、その場でようやく吐き出す。そういう場面が、一度や二度ではなかった。
コンサルタントが若手に教えたこと——「期限のある仕事」のマネジメント
面談の場でコンサルタントが行っていたのは、単なる悩み聞きではなかった。
若手エンジニアに対して、仕事のマネジメント手法そのものを教えていた。
核心にあったのは、「ただ頑張ります、では仕事は変わらない」というメッセージだ。
「頑張ります」という言葉は誠実に聞こえる。でも実態は、何をどう変えるかが何も決まっていない。問題の原因も、改善の手段も、曖昧なまま「とりあえず頑張る」を繰り返しているだけだ。
コンサルタントが若手に伝えていたのは、「期限のある仕事」をするという考え方だった。
自分が何をやっているか把握している。どこに問題があるか言語化できる。次に何をすべきか判断できる——こういう状態で仕事をすることが、「期限のある仕事」だ。
YWTの「やったこと、わかったこと、次にやること」という問いは、まさにこの「期限のある仕事」の状態を作るための道具だった。発表会で使うためのフレームワークではなく、自分の仕事を自分でマネジメントするための思考の型として、個別面談の中で丁寧に伝えられていた。
活動が機能した理由——経営・役職者のバックアップ
コンサルタントの手法がどれだけ優れていても、それだけでは組織は動かない。
この活動がうまくいった理由は、二つの層からのバックアップにある。
一つ目は、社長という経営トップのバックアップ。
トップダウンで始まったこの活動には、「社長が後ろにいる」という重みがあった。役職者も、コンサルタントも、それを知っている。経営トップが本気でコミットしているかどうかは、現場にも必ず伝わる。これがなければ、現場は動かない。
二つ目は、役職者が面談で出てきた本音に向き合い続けたこと。
面談で泣いたメンバーに、翌月どう接するか。「誰にも言えなかった」と打ち明けてきた若手に、何をしてあげられるか。コンサルタントが場を作ることはできる。でも、その後のフォローは、社内の役職者にしかできない。
コンサルタントに「任せる」だけでは、絶対にうまくいかない。コンサルタントはフレームワークと場を設計できる。しかし、そこで起きたことに継続して向き合うのは、経営者と役職者の仕事だ。
余談——コンサルタント自身も限界と戦っていた
この活動を通じて、もう一つのことが見えた。
JMACのコンサルタントの方々の働き方だ。私たちに「PDCAを回せ」「改善せよ」と指導しながら、コンサルタント自身は朝から夜まで、休日出勤も厭わず働いていた。心配になるほどのハードワークだった。
そして活動の途中、JMAC側の担当者(岡田先生)が体調を崩し、活動を一時休止するというハプニングが起きた。
コンサルタントが休止したとき、活動を続けられたのは、役職者がすでに面談フォローの実務を自分のものにしていたからだ。コンサルタントに依存しきっていれば、その時点で活動は止まっていた。
「コンサルタントがいなくても動ける状態を、活動の最初から目指す」——これが、外部コンサルを使う際の現実的な構えだと思っている。
この活動が残したもの
この活動を通じて得たものは二つある。
一つは「見える化」の習慣。「なんとなく忙しい」ではなく、何にどれだけ時間が使われているかをデータで語る視点。これはその後のプロジェクト管理の仕方を変えた。
もう一つは「経営・役職者のバックアップなき改善活動は機能しない」という確信。コンサルタントの手法がどれだけ洗練されていても、経営トップの意志と役職者の継続的な関与がなければ、活動は形だけになる。「若手が育たない」という問題は、若手だけを見ていても解決しない。育てる側が本気でコミットしているかどうかが、決定的な差になる。
30年後の今、AIエージェントで自動化ツールを作るとき、私は必ず「どの作業の量と質を計測するか」を先に考える。そして「データが出たとき、誰がそれに向き合うか」を考える。あの活動が植えた習慣だ。
まとめ
社長からのトップダウン指示をきっかけに、JMACと技術経営活動を開始——ソフトウェア業界初の試み
対象は大規模開発終了後に残った若手中心の保守プロジェクト
活動の柱:月1回の発表会(YWT・チケット活動)+発表会後の個別面談
個別面談でコンサルタントが伝えていたのは「ただ頑張ります」から抜け出す「期限のある仕事」のマネジメント手法
活動が機能した条件:経営トップのバックアップ+役職者が面談の本音に継続的に向き合ったこと
コンサルタント自身の体調問題を経験——「コンサル不在でも動ける状態」を最初から作ることの重要性
あなたに聞いてみたい
「ただ頑張ります」では変わらないと気づいたのは、どんな経験からでしたか?
若手の育成、チームの改善活動、自分自身のキャリア——どんな文脈でも、「頑張る」から「マネジメントする」への転換点は必ずあるはずです。あなたの経験を、ぜひコメントで教えてください。
元大手SIerのSE。50代で退職後、両親の認知症介護に5年間専念。現在は在宅でのAIエージェントビジネス構築に取り組み中。
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