映画『オールド・オーク』を観て、難民×地域住民のコミュニティづくりを考えた|共生社会②
映画『THE OLD OAK』を観ました。
舞台は、イギリス北東部の小さな村。
かつては炭鉱で栄えたものの、いまは産業が衰退し、住民たちは貧しい暮らしを強いられている。
そこに、戦火を逃れたシリア難民の人たちがやってくるところから、物語は始まります。

地元住民の一部は、シリア難民の人たちに強い不満を抱きます。
自分たちも苦しい。地域は衰退している。
それなのに、なぜ外から来た人たちが支援されるのか。
その怒りや不安が、難民の人たちへのヘイトとして噴き出していく。
一方で、シリア難民の人たちを積極的に支援しようとする住民もいます。
食事を共にし、場所を開き、関係をつくろうとする人たちです。
そして、地元住民の間にも対立が生まれていきます。
この映画を観ると、地元住民を「差別的で愚かな人たち」として単純化することもできません。
故郷を失った難民。未来に希望を持てない地域住民。
それぞれに喪失を抱えています。
映画館を出た後、ひとつの問いが残りました。
どうしたら、難民と地元住民は、ひとつの共同体になれるのか。
紛争や迫害からは遠い日本に、その可能性はないのか。
※なお、この記事は、難民政策の専門的な解説・提言ではありません。
映画『THE OLD OAK』をきっかけに、「難民の人たちと地域住民がどうすれば共に暮らす共同体を生み出せるのか」を、いくつかの事例を手がかりに考えたものです。
ただの支援ではない、コミュニティの創発
日本にも、かつて栄えた地域があります。
産業があり、商店街があり、学校があり、祭りがあり、地域の誇りがあった場所。
けれど今、人口が減り、仕事が減り、学校が維持できなくなっている地域がたくさんある。
一方で、世界には、帰る場所を失った人たちがいます。
難民キャンプで何年も、場合によっては何十年も暮らさざるを得ない人たち。
この二つを、つなげることはできないか。
しかし、『THE OLD OAK』が訴えるように、ただ繋げるだけでは、また別の問題が噴出します。
難民の人たちは、ただ無力な被支援者ではない。
地域社会も、ただの受け皿ではない。その地で代々暮らしてきた人々がいて、そこには痛みや不安、そして誇りがある。
だから、問うべきは、
「故郷を失った人たちと、未来を失いかけている地域が、お互いを消費せずにかみ合えるか」だと思います。
では、日本には、そうした事例があるのか。
調べていて印象に残ったのが、群馬県館林市のロヒンギャ・コミュニティでした。
①当事者ネット型:館林「ロヒンギャ・コミュニティ形成」
群馬県館林市には、日本最大級のロヒンギャ・コミュニティがあります。
ロヒンギャは、ミャンマーで長く迫害されてきた少数民族です。
ミャンマー政府から国籍を認められず、無国籍状態に置かれてきた人たちも多くいます。
日本にも、館林市を中心に約300人のロヒンギャの人たちが暮らしているとされています。
では、なぜ館林だったのでしょうか。
報道や記事を見る限り、館林市が自治体として、計画的にロヒンギャ難民を受け入れたわけではなく、自然発生的に始まったもののようです。
1990年ごろ、ミャンマーで民主化活動などに関わっていたロヒンギャの男性が日本に逃れ、館林で暮らし始めた。
館林には当時から、バングラデシュ人やパキスタン人など、イスラム教徒のコミュニティがありました。
そのつながりで仕事を紹介されたことが、ひとつのきっかけだったようです。
その後、1990年代前半から、ミャンマーでの迫害を逃れて日本に来たロヒンギャの人たちが、少しずつ館林に集まり始めました。
館林周辺には自動車関連などの工場があり、外国人の仕事につながりやすかったことも大きかったようです。
さらに、1990年代には在日ビルマロヒンギャ協会(BRAJ)という当事者団体がつくられます。BRAJは、相談、情報共有、支援、対外発信の拠点になっていきました。
まとめると、
イスラム教徒のネットワークがあり、仕事の受け皿もあった。
そして、同郷の人たちが集まったことで、当事者団体が生まれた。
そこに、地域の学校や日本語ボランティア、支援者が少しずつ関わった。
そうした要素が積み重なり、結果として地域コミュニティが生まれていった。
では逆に、地域側が起点になったケースはあるのでしょうか。
調べてわかったのは、カナダ東部、ノバスコシア州アンティゴニッシュの事例です。
②地域スポンサー型:カナダ アンティゴニッシュ「シリア難民受け入れ」
カナダには、「民間スポンサーシップ」という制度があります。
これは、政府や自治体だけでなく、地域団体・民族コミュニティ・教会などがスポンサーとなり、難民の定住を支える仕組みです。
難民の人たちは、国外で審査・承認されたうえで、カナダに到着します。
そして到着後は、スポンサーが通常1年間、住まい・生活費・学校・病院・行政・言語・地域との関係づくりなどを支えることになります。
つまり、地域の人たちが最初から「迎える側」として準備する仕組みです。国がすべてを用意してくれる制度ではありません。
その意味では、「公的計画型の難民受け入れ」というより、「地域スポンサー型の正規受け入れ制度」と言った方が近いのかもしれません。
この制度を使って、シリア難民の受け入れに取り組んだ地域のひとつが、アンティゴニッシュでした。
アンティゴニッシュは、人口数千人規模の小さな町です。
この町で2015年、有志住民がSAFEという団体を立ち上げました。目的は、シリア内戦によって故郷を追われた難民家族を、地域として受け入れることでした。
ここが、館林の事例とは大きく違います。
館林では、すでにあったイスラム教徒コミュニティや、最初に来たロヒンギャの人たちの存在が、後から来る人たちの足場になっていきました。
一方、アンティゴニッシュは、もともと大きなシリア人コミュニティやイスラム教徒コミュニティがあったわけではなく、地域住民がシリア人を「迎える体制」を新たにつくりました。
そのアンティゴニッシュで、最初期に迎えられたうちの一人が、Tareq Hadhadさんでした。
Hadhad一家は、もともとシリアのダマスカスで、チョコレート事業を営んでいました。
長年、家族でチョコレートをつくり、中東各地に商品を出荷していたそうです。
しかし、シリア内戦によって工場は破壊され、一家はレバノンへ逃れます。
その後、カナダの民間スポンサーシップ制度を通じて、アンティゴニッシュにたどり着きました。
Tareq Hadhadさんの存在が、アンティゴニッシュの成功の鍵になります。
Hadhad一家は、もともとシリアのダマスカスで約30年にわたりチョコレート事業を営み、中東やヨーロッパに商品を出荷していました。
しかし、2012年に工場が爆撃で破壊され、一家はレバノンへ逃れた後、2015年末にアンティゴニッシュに再定住しました。
カナダに来た後、Hadhad一家は自宅のキッチンでチョコレートづくりを再開します。
最初は小さな再出発でしたが、地域の人たちが工房づくりや資金面、販路づくりを支え、2016年にはPeace by Chocolateとして事業が立ち上がりました。
地元の支援を受けながら、やがてカナダ国内に商品を届ける会社へと育っていきます。この物語は、
Peace by Chocolateの成功は、Hadhad一家だけの成功ではありませんでした。
まず、会社が育つことで、他の難民背景の人たちの働く場にもなりました。2023年時点で、Peace by Chocolateの従業員の25%は難民だったと紹介されています。なお、全社の従業員数は、2021年時点で55名とされています。
難民として受け入れられた家族が、今度は別の難民にとっての雇用の入口をつくったことになります。
そして、おそらく一番大きいのは、象徴としての成功です。
Peace by Chocolateの物語は、本や映画にもなりました。
戦争で工場を失った家族が、地域の支援を受けてもう一度チョコレートをつくり、地域の雇用と誇りを生む。
その物語は、難民受け入れを「負担」ではなく、「新しい価値が生まれる可能性」として見せたのだと思います。
その後SAFEは、47家族・167人を支援したと報じられています。
日本における「難民×地域住民」のコミュニティ創発
それでは具体的に、日本で「難民×地域住民」のコミュニティ創発を考えるとしたら、何が論点になるのでしょうか。
ここで、すこし整理しておきたいことがあります。
難民の受け入れや定住支援については、日本でもすでに多くの提言や実践があります。
たとえば、第三国定住の拡充、日本語教育の充実、多文化共生政策、教育パスウェイズ、民間スポンサーシップの導入検討、当事者団体やNPOによる生活支援、自治体や地域社会による定住支援など。
これらは、官民の団体・個人たくさんの方々が、すでに長く取り組んできた論点です。
そのうえで、僕が『THE OLD OAK』や館林、アンティゴニッシュの事例を見て強く感じたのは、次のことでした。
難民の人たちを「支援されるだけの存在」として扱わないこと。
そして、地域社会を「受け皿」としてだけ見ないこと。
大事なのは、「難民の人たちと地域住民は、どうすれば互いを消費せず、共に暮らす共同体を生み出せるのか」という問いなのだと思います。
その観点から、日本で考えるべき論点を、僕なりに整理すると大きく3つあります。
①誰をどのルートで迎えるのか
これは、すでに制度論としても議論されている論点です。
日本で難民の人たちを受け入れるには、難民認定、第三国定住、補完的保護、留学、就労、教育プログラムなど、何らかの制度ルートが必要になります。
難民といっても、状況は一人ひとり違います。
国籍を持っている人もいれば、ロヒンギャのように無国籍状態に置かれている人もいる。
すでに日本にいる人もいれば、難民キャンプや第三国にいる人もいる。
家族で来る人もいれば、一人で来る若者もいる。
そうした人たちが、どの制度ルートで日本に来るのかによって、必要な支援も、地域側の準備も大きく変わります。
ここは、僕の思いつきでどうにかなる話ではありません。
制度、法務、国際機関、NPO、自治体の実務が必要な領域です。
ただ、館林の事例を見て感じたのは、正規のルートが弱いと、日本に着いた難民の移動や生活が、どうしても不安定になるという現実です。
館林のロヒンギャ・コミュニティは、日本でも難民の人たちが地域に根づきうることを示しています。
一方で、これは最初から安全で計画されたルートによって生まれたものではありませんでした。
だから、まず最初に「日本にたどり着ける道」をどう確保するかが重要で、その次の段階として地域住民とのコミュニティ創発があります。
②地域に丸投げしないこと
これは、カナダの民間スポンサーシップを見て強く感じた論点です。
民間スポンサーシップは、地域の人たちが難民家族を迎える主体になるという意味で、とても示唆的です。
だけど同時に、スポンサーになる市民グループや地域団体には、かなり大きな負担がかかります。
民間スポンサーシップでは、住まい・生活費・学校・病院・行政・言語・地域との関係づくり、これらを通常1年間、地域のスポンサーが支えます。
これは、カナダのように移民国家、寄付文化、市民活動などの土台がある国だから成り立っている面が大きいのだと思います。
日本の地方で、これをそのままやるのは難しい。
人口減少、高齢化、言語の壁がある地域住民に対して、「難民家族を受け入れてください。生活も伴走してください」と言っても無理があります。
だから、日本で考えるべきなのは、カナダ型の民間スポンサーシップを模倣することではなく、「受け入れ側の地域を、誰がどう支えるか」だと思います。
この点は、すでに難民支援や第三国定住の領域でも提起されています。
実際、政府の難民事業本部(RHQ)の第三国定住支援では、「地域定住支援員」を置き、病院受診・健康管理・子どもの教育・行政手続き・ごみ出しなどの生活ルール・日本語学習・職場への順応などを支える仕組みがあるようです。
一方で、地域で本当に共同体が生まれていくには、行政手続きや病院受診、日本語学習の支援だけでは足りません。
たとえば、近所の人と挨拶をする。地域行事に参加する。
職場で必要とされる。困ったときに相談できる人がいる。
子ども同士が学校で友だちになる。
そして、難民の人たち自身が、地域の中で「支援される人」ではなく「一緒につくる人」になっていく。
『THE OLD OAK』では、この地域に対するケアが抜けていたことが、住民の不安や怒りが難民に向かった要因のひとつだったと思います。
そこまで含めて考えると、RHQのような公的支援は重要な土台ですが、その上に地域住民、企業、学校、NPO、当事者団体がどう関わるかが問われるのだと思います。
③創発パートナーとして迎えること
最後は、難民の人たちを「支援される人」ではなく、「共に地域をつくる人」として迎えられるかです。
この点も、すでに多文化共生や外国人材受け入れの領域で語られてきた論点です。
たとえば、外国人や難民を「単なる労働力」としてではなく、一人の生活者、地域社会の構成員として受け入れるべきだという議論があります。
また、難民や外国人住民を、地域を支える活力として捉える視点も提起されています。
ただ、『THE OLD OAK』や館林、アンティゴニッシュの事例を見て、強く感じたことがあります。
難民の人たちは、「労働力ではない」を超えて、新たな知を持ち込む人たちではないか。
料理、商売、農業、信仰、家族、共同体、戦争や迫害を生き延びてきた経験。そうしたものも、地域にとっての知になり得ます。
アンティゴニッシュのHadhad一家は、まさにその象徴でした。
彼らはチョコレートづくりの技術と商売の記憶を持っていました。
地域は、それをもう一度かたちにする土壌になった。
『THE OLD OAK』でも、難民の人たちとの関わりを通じて、一時的に対立を起こしながらも、最終的に地域住民が自分たちの誇りを取り戻すきっかけになりました。
すべての難民の人たちが起業できるわけではありません。
すぐに日本で働ける人ばかりでもありません。
それでも、難民の人たちを「何も持たない人」として見るのではなく、「何かを持ってきた人」として見ること。
その人たちが持っている見方や経験が、地域に何をもたらして、どんな新しい関係、仕事や文化を生み出していけるのか考えること。
それを粘り強く考える姿勢が、ただの支援ではないコミュニティ創発につながっていくのではないかと感じました。
この問いを持ち続けること
ここまで考えると、日本で問うべきことは、単に「難民を受け入れるべきかどうか」ではないのだと思います。
どうすれば、難民の人たちが、支援されるだけの存在ではなく、地域で共に暮らし、共に未来をつくる主体になれるのか。
どうすれば、受け入れる地域も、負担だけを背負うのではなく、新しい関係や誇りを生み出せるのか。
どうすれば、故郷を失った人たちと、未来を探している地域が、お互いを消費せずに出会えるのか。
館林は、自然発生的に生まれたコミュニティの可能性を示しています。
アンティゴニッシュは、地域が先に受け入れの器をつくることの大切さを示しています。
そして『THE OLD OAK』は、難民と地域住民の出会いがどれほど難しいかを教えてくれました。
だからこそ、いきなり大きな制度や理想の地域像を語るより、小さな関係づくりから始めるのがよいのかもしれません。
制度の前に、顔が見える接点をつくる。
支援の前に、互いを一人の人として知る。
そこからしか、本当のコミュニティ創発は始まらないように思います。
主な出所:
映画『THE OLD OAK』公式サイト
映画の舞台設定、あらすじ、作品情報の確認に参照。
BuzzFeed Japan「日本に逃れてきたロヒンギャの人々」
館林にロヒンギャの人たちが集住するようになった経緯、最初期の移住、イスラム教徒コミュニティや工場労働との関係、BRAJの設立、人数規模について参照。
UNHCR Japan「日本でロヒンギャとして生きる~夢を信じて前に進んだ17年」
館林で暮らすロヒンギャの人たちの生活、日本語学習支援、生活相談、地域での支え合いについて参照。
本田倭子・浅羽祐樹「在日ロヒンギャ難民の社会的包摂と排除」
在日ロヒンギャの歴史、館林コミュニティ、BRAJの位置づけ、社会的包摂・排除の論点について参照。
Government of Canada “Private sponsorship of refugees program”
カナダの民間スポンサーシップ制度の概要、スポンサーの種類、支援の考え方について参照。
Government of Canada “Post-arrival requirements for private sponsors”
民間スポンサーが到着後に担う金銭的支援・定住支援、支援期間について参照。
Statistics Canada “Syrian refugees who resettled in Canada in 2015 and 2016”
カナダに再定住したシリア難民の家族構成、英語・フランス語能力、民間スポンサー型と政府支援型の違いについて参照。
SAFE Antigonish “About Us”
アンティゴニッシュでSAFEが設立された経緯、地域住民による受け入れ活動、これまで支援した家族・人数について参照。
SAFE Antigonish “Committees”
SAFEにおけるボランティア体制、生活支援・教育・医療・定住支援などの役割分担について参照。
Guysborough Journal “Seven years SAFE: Antigonish volunteers embrace one family after another”
2022年時点でSAFEが22家族を受け入れ、さらに5家族が手続き待ちだったこと、Tareq Hadhad氏がSAFEの最初期の受け入れ事例であったことについて参照。
Global Affairs Canada “Building Back, Giving Back: Refugees Model Compassion”
Hadhad一家がSAFEに支援されたこと、Peace by Chocolateの事業成長、雇用規模、社会貢献について参照。
UNHCR Canada “Sweet story: Peace by Chocolate documents Hadhad family’s extraordinary journey from Syria to Canada”
Hadhad一家のシリアからカナダへの移住、アンティゴニッシュでの再定住、Peace by Chocolateの歩みについて参照。
Peace by Chocolate “Our Story”
Hadhad一家がシリアで営んでいたチョコレート事業、内戦による工場破壊、カナダでの再出発について参照。
RHQ 難民事業本部「第三国定住難民とは」
日本の第三国定住難民への支援、地域定住支援員、生活順応支援、就業定着支援、日本語学習支援について参照。
RHQ 難民事業本部「定住後の支援」
第三国定住難民に対する地域定住支援員、病院受診、健康管理、子どもの教育、地域関係者との連携について参照。
難民研究フォーラム/石川えり「日本における難民の第三国定住に関する論点」
第三国定住、地域への統合支援、関係アクターとの連携という既存論点の確認に参照。
UNHCR “2026 Projected Global Resettlement Needs”
世界で第三国定住を必要とする難民の規模について参照。
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