見出し画像

小説・祭りのあと③

◁◁  ◁前へ  次へ▷  ▷▷

棚橋自慢のFMラジオからサイモンとガーファンクルの歌が流れ、下宿の前の小川のせせらぎが更に雰囲気を高めてくれて、気分爽快な朝である。明日は、長井の彼女の美っちゃんが3ヶ月ぶりに紀伊田辺からやって来る。

1週間前から頼まれていたのだが、土曜日だというのに、下宿仲間4人で氷室谷の一番奥まった所にある長井の6畳一間のプレハブ周りの小道や小川の整備をやっている。氷室谷は周山街道から北に別れ、金閣寺の西側の奥まった全長500~600m、幅は平均2,30m程度の小さな谷筋で、小川はまず西側を流れ、少し広くなったところで大きく蛇行して東側を流れている。

民家のある程度立て込んでいる一番奥が私の下宿で、平屋建てで4畳半の部屋が8つ、真ん中の廊下の突き当たりの左右に共同の炊事場と便所がある小さな建物で、当時としてはごく一般的な学生相手の下宿であった。玄関を入ってすぐ右の南向きの4畳半が私の部屋である。部屋には半畳分の押入れがついており、中学時代に図工の時間に作った専門書が10冊ほど立つ木の本立てとほんの小さな水屋が隅に置かれている。中央には目覚まし時計と電気ポット、そしてFMの入らないラジオが1台乗った電機炬燵があるだけであった。

しかし、前の下宿に比べれば、格段に広くて明るく、西の窓を開けると道を隔ててすぐに山が迫り、自然豊かでとても気に入っている。長井のプレハブはここから更に50mほど奥にある。定年まで京都御所に勤めていたという老夫婦が住む、小さいが京都らしい風情のある家が1軒ぽつんと建っており、そのすぐ西きわを流れる小川の西斜面に沿って4軒の6畳一間の下宿が建っていた。手前から2軒目が長井の下宿で、3軒目が棚橋の下宿である。

このせせらぎの水源は更に20m程谷を上ったところから年中かれることなく滾々と湧き出る清水であった。夏にはビール、西瓜等を冷やし、風呂の代わりに行水したりと重宝したのだが、何と言っても一番は洗濯である。洗濯物を川の中に石で重石して1日浸けておけばオッケーなのだ。
乾かすのも小川のほとりの木の枝に引っ掛けておけばすむ。アイロンも何もしないので、ヨレヨレではあるが、綺麗な谷川の水で洗い、カラッと乾いた洗濯物を着るのは心まで洗われる気分がして爽快感に満ち足りていた。

学校から帰ると所謂風呂――石で堰きとめ河床を若干掘り下げた深さ50cm 、広さ1m程度に入って行水をし、あがると枝に引っ掛けて置いた下着を身に着けて、脱いだ下着は川に浸けておく、という毎日である。銭湯は学校の近くに2、3軒あったのだが、貧乏学生には1回30円の銭湯代は、学食のC定食が食べられる値段で、下宿の小川は非常に有り難いものであった。


 今日の仕事は、プレハブ周りの雑草抜きと木の枝落とし、そして橋の設置である。ごみ等は常日頃から全く落ちていない。数少ない下宿生も”我々の谷”という愛着があり煙草のポイ捨てすら誰もしなかった。小川は、いつもは中ほどにチョット大きめの石が1個置いてあり、それを踏んで渡るのだが、

「なにせ淑女が渡るには危険であり橋が必要だ」と言って長井が譲らない。たかだか幅1m程の流れである。

「賀茂川にも踏み石の渡しがあるくらいやから、風情があっていいではないか。」と3人がいくら言っても聞き入れない。

「材料は自分は経営学部やから段取りできんけど、お前ら3人は土木と機械の卒研で調達できるやろ」と簡単に言う。

「長さ2m位の厚めの板が最低3枚は要るで。そんなん機械にないわ」と樋野が呆れてため息をつく。

とその時、私にいい考えが浮かんだ。「棚橋、お前の卒研にコンクリートの供試体置く板があるやろ。あれ持ってこいや」と言うと、真顔で「なに言うとんねん。怒られるわ。あほなこと言うな」と、すぐに怒って反論するのであった。

「ええやん。ちょっと借りるだけや。月曜の朝一番に返したら分かれへんで。あかんかったら買わなしょうないで。」と言うと、そこは貧乏学生ばかりである。2人が私に同調し、結局金曜日の夜に大学から持ち出す手はずとなってしまい、今その板を繋ぎの桟で釘止めしているところである。

「おい。供試体置く方に釘打つなよ」と、板を架ける土手の土を掘っていた棚橋が気が気でないような口調で長井に言う。確かにコンクリート卒研の明石教授も尼崎助手も神経質のようだ。これがいつも麻雀やビリヤードで我々を鴨っている柿沼助教授や勝見助教授のような奴なら楽勝なのだが。

どうにかして橋が完成し「さぁ、渡り初めするぞ」と、長井が嬉しそうに声をあげた。3歩ほどで渡れる橋だ。そんな大層なものでもないのに……。

橋の上で何か考えている。「うぅ、手摺がいるなぁ。ちょっと揺れるわ」と我々をみて困った顔をして言う。

「何言うとんねん。こんな橋でいるかい。揺れるんやったらお前が美っちゃんの手を引いてやったらええやんか。彼女の手握れるで。お前、まだ手も握ったことないんやろ」と最年長の樋野が言い「さぁ、終わった終わった。酒でも飲もうや」と長井の下宿に上がり込もうとした。

「何しとんねん。掃除したばっかりやのに。棚橋とこ行こう」と長井が慌てて言う。

しかし棚橋は綺麗好きで滅多に自分の部屋に人を入れない。私も後片付けの面倒くささと、煙草の臭いが部屋に染み付くのが嫌で、あまり歓迎はしない。そうこうしているうちに大家の御婆さんが生垣から顔を覗かせ「お茶と京菓子があるからおいで」と声をかけてくれた。

小さな谷を見渡せる庭の縁台に座って頂く京菓子は、見た目にも美しく上品な味(これが上品な味だと皆が確信しているのだが)がし、甘いものを口にすることの少ない貧乏学生にとって、京都の大学に来ているのだなぁと実感させる1つであった。

棚橋、長井は店子だから週に1回くらいは呼ばれているらしい。樋野と私は、せいぜい月に1回程度の御呼ばれである。「良いんですか。お邪魔します」と樋野が嬉しそうに返事した。御婆さんはニコニコ笑いながら「冷麦もありますから良かったら食べていきなさい。学生さんには物足らないかもしれませんが」と手でこまねいてくれている。樋野は嬉しくてたまらない。彼は京菓子が大好きなのだ。いや、味が好きというよりも京菓子をこの場所で食べているという雰囲気が好きなのだと私は思う。

塩尻の由緒ある神社の息子で、古い京都に小さいときから憧れていたようだ。東京の大学に2年間通ったあと、改めて京都の大学に入りなおしている。元の大学はレベル的にはほとんど同じで全国的にも名が通っている。何も2年間行った大学をやめて来るほどの今の大学でもないのに。京都に憧れたのと、姉2人の末っ子で甘やかされて育ったせいだといわざるを得ない。

この日は夕方まで老夫婦と他愛のないおしゃべりをし、京菓子と冷麦をご馳走になって皆大満足でそれぞれの下宿に帰っていったのである。特に樋野は満面笑みを湛えていた。

◁◁  ◁前へ  次へ▷  ▷▷


この小説公開に至った思い、父と私の話はあとがきにつづりました。

自作小説一覧はこちら


いいなと思ったら応援しよう!