小説・祭りのあと④
今、夕暮れの能登の曽々木海岸に立っている。
つい先日卒論の予備発表が終わり、卒研旅行にやって来たのだ。勝見が予備発表で安心したのか、夏のことを思い出し、急に行くことになったのである。まだ10月なのに目の前の海は荒々しく、見慣れている瀬戸内海の海とは全く違う。
誰も居ない。動いているのは波と風に揺れる木々だけだ。何か寂寞とした気分になってくる。皆がジーッと砂浜にたたずみ、落ちる太陽を眺めている。
突然院生の岡本が「ええなぁ、こんな感じ」と、ボソッと言った。
確かにいい感じではあるが、学生の6人は拍子抜けである。民宿も我々8人以外誰も泊まっていないし、通りに出ても店屋の一軒も開いていない。もちろん若い女の子など皆無である。海辺のカフェでコーヒーなど飲みながら若い女の子と話でもできるかなぁ、と淡い期待をしていたのだが。
そんな感傷に耽っていると「こういう雰囲気もええもんや。若いときにはなかなか経験でけへんで」とプリンスがしんみりした顔で言う。いつもキザな格好をしたプレイボーイだが、案外センチメンタルなところがあるのかもしれない。
「しょうもな。もうええやろ、民宿に帰って酒でも飲もうや」と、一番若い渋谷が帰ろうとしたが、それからが大変なことになってしまったのだ。
「おい! こらぁ待て!」と最年長の本田が怒鳴りながら追いかけ、そして彼の胸倉をつかむと強烈な一撃を右の頬にくらわしたからたまったものではない。
どぉーと砂浜に倒れこみ、切れて血の滲んだ唇を右手で拭いながら「なぁ、何するんや」と渋谷は本田を睨みながら叫んだ。
「お前、大体前から口の利き方が生意気なんや。いっぺん痛い目に遭わんと分からんやろう」と言ってまた掴みかかろうとする。
周りの人間はいったい何が起きたのか分からず、キョトンとしている。それでも、気づいた岡本が本田に抱きつき止めに入いろうとしたのだが、そこは少林寺拳法部の本田である。岡本の股間に1発、右の足首が決まったものだから堪らない。
「ぎゃーっ」と絶叫を発すると、岡本も砂の上でのたうち回っているのである。
「ふん。大体お前も前から気に食わんかったんや。まとめていてもたろか」と、薄笑いを浮かべて本田が言う。
あまりの突然のことに皆呆然としていたが、ただ一人勝見助教授は「大怪我せん程度にやらしとけ。わしは民宿で酒のんどくから」と言って平然と帰っていくのだった。
学生運動でこういう修羅場を多く見てきたが、先生も入れてたった8人の卒研の内輪でこんなことになろうとは全く思いだにしなかった。岡本は唯一の院生ということで近くに居たこともあり自分が止めねば、と思ったのであろう。
渋谷は私が考えても常日頃から少々生意気な奴である。学生6人のうち現役は田中と渋谷の2人で、本田は一旦高校をでて3年間社会人生活を送ったあと一念発起大学受験をし理工学部にきたもので、いま25歳で岡本と同い年ある。そういう彼の境遇が、まだこの当時学生相手のワンルームマンションなどほとんどない時代に等持院横の1LDKの新築マンションに住み、ブルーバードUを乗り回していた渋谷には常日頃から反感を持っていたのだろう。当時は同志社とか京都府医大の学生は車を持っている者もがいたが、立命館大生は貧乏学生で世間に通っていた。またその通りで乗用車を持っている学生は、我々の周りでは渋谷だけであった。
ちょっと離れたところに立っていた田中と朝田がやっと騒動に気付き、びっくりしてがむしゃらに本田を抱きかかえ、一生懸命に宥めだしたのである。渋谷は半身を砂の上に起こし痛そうに殴られた頬をさすっており、岡本は股間を握ったまま、まだ呻いている。
私と崔は覚めた目でその光景を眺めていた。なにか、波の音と風の音が先ほどより増して虚しさを感じさせるのだった。もう海と空の境界線も溶け込み、波のざわめきだけが空間を支配している。
岡本の落ち着くのを待って、重い足を引きずるようにトボトボと民宿に向かう。辺りには全く人影も犬や猫の気配もない。古めかしい街灯が所々に灯った漁師町の冷たいアスファルトの上を風だけが通り過ぎていった。
この小説公開に至った思い、父と私の話はあとがきにつづりました。
自作小説一覧はこちら
