51.所有/感じない私。
長らくの間『感じない私』を所有していた。
そのきっかけとなったのが。
スピリチュアルな世界に興味を持ち始めのころ、様々な講座で「感じる」ということをやったとき、
まったくもって、なんにも、全然
感じることができなかったからだ。
たとえば
パワーストーンを持って「石の波動を感じてみる」、
ボディスキャンで「臓器の声を聞いてみる」、
目の前の人とつながって「相手の心にあるものを感じてみる」など
何をやっても「感じること」ができなかった。
そのうち「感じる」ということがどういうことを示すのか、さっぱりわからなくなっていき、しまいには、“ 感じないコンプレックス ” に。
そんな状態でMr.DXのセッションを受け、言われたのが
いまイスに座ってますよね?
お尻がイスの座面をとらえてますよね?
それが「感じる」です。
いま手のひらはどこに置いてますか?
ももの上?
手のひらがももをとらえてますよね?
それが「感じる」です。
もうすでに感じてるじゃないですか。
「感じること」に特殊技能はいらないんですよ(笑)。
いまから思うと、当時の私は「感じること」をすごく特別なものとして捉えていた。
なにか聞こえるとか、見えるとか、スピリチュアルな要素とくっつけて、そういった特殊能力が「感じること」だと定義していた。
「そんなの私にはない。。。」
と、『感じない私』を自己定義し、どんどん苦しくなっていった。
自我の構造上、
『感じない私』を現すためには、目の前には真逆の『感じてる人』が必要なわけで(自己定義、他者定義の原理により)
当時学んでいた講座のクラスメイトは私からするとみな素晴らしい
「感じる能力者」ばかりで、
クラスに出れば出るほど自分がダメさ加減が露呈されていくようでツラかった。
それでも「この学びを深めればいまよりラクになれるはず」と必死で講座に通い続けた。
が。
ラクになるどころか、講座に通う前よりしんどさは増していった。。。
それもそのはず。
「頑張ればこの先ラクになれるはず」と『未来を善』としたとき、おのずと立ち上がるのが
「いまそうなれてない自分はダメだ。。。」という『今が悪』という自己否定だからだ。
未来よくなるために「いま頑張る!」というのは、
三次元では当たり前の『善』とされてるけれど、
真実はその逆で
「いまのままの自分ではダメだ」と
現状の自分にダメ出しし続けているようなものなのだ。
そりゃツライはずだわ。
『感じないダメな私』を強固にするために、『感じてる素晴らしい人たち』を周囲に用意して、
そんな私でも『いま』頑張れば、『未来』よくなる、と
『今の自分』をどんどん卑下し、追い詰めていく。
しかも、これ👆ぜ~んぶ、自我の自作自演だもんねw。
もちろん、目的は
\ エネルギーを滞留させるため /
いまだからこんな風に笑って言えるけど、当時は本当につらくて結局講座に通うのをやめてしまった。
自我にしてみれば作戦成功!といったところだ。
けれど。
こういったことは私に限らないような氣がしており。
フィクションの世界で自我に支配されて生きていると「感じる」より「考える」優位で生きている人が多いのではないだろうか。
小さい頃から親や先生に
「ちゃんと考えなさい」
「自分の意見をハッキリ言いなさい」
と言われて育った我々は、「感じる」ことよりも先に「まず考える」ことを強制されて育つ。
ゆえに、
「感じる」ことすらも頭で理解しようとしてわからなくなってしまう。
過去の私に起こっていたことはこういうことなのだろう。
「感じる」とは
当たり前にある身体感覚にただ氣づくだけ。
※自我の解釈抜きで。
Mr.DXのよく言う「五感を解釈なしにただ感じる」とはこれなんだろうなと。
「感じること」がムズカしくなってしまった私たち。
日常生活の中で、どれだけ「ただ感じる」ことを意識できるか。
それが次の次元へシフトできるキーのような氣がしています。
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